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感情を込めた文章を書くことにどうも慣れないです

嬉しい、悲しい、怒った、喜んだ。
それらの表現があまりにも少ないんじゃないか。

私が書く文章…いや普段の会話でも言えることかもしれませんが…他の方のnoteも読んでいて思ったことです。

5つくらい記事を投稿できたので、自分の記事を読み返してみました。
文章のクオリティは置いておいて…なんかこう、見えないな、人が。
なんか、なんとなく、喜怒哀楽が見えない。人間臭さが足りない。人間味が足りない。

という感想を抱きました。

これは、まるで
報告書かな?
説明書かな?

なぜ感情が見えない文章を書いてしまうのか、心当たりはあります。

いくつか職を経験していますが、報告書や引き継ぎ書を書くのに慣れてしまっていました。
個人の感情や感想は基本的に書かないものです。
別に無感情で仕事をしていたわけではありません。
こういうnoteのようなブログで書く文書とは全く別物の文章を書くことに特化していただけだということです。

私は気持ちに蓋をしているわけではありません。
書くべきことは書くし、書かなくてもいいところは削る。
いや……おそらくそう言う推敲作業で、感情的な表現を書いたとしても消してしまったのかもしれません。

それに本音、とはなかなか怖いものです。
本音を文章という形にしたときに、私の人間性を疑われるのではないかと思っているし、疑われることは遺憾というわけでもなくその通りだとも思うからです。
人間関係に関する感覚もズレている自覚はあります。

数少ない友人がいうには、私の思考回路はちょっと斜め上らしいです。
しかも意見はトンチキじゃなく合理的だし参考になる、付き合う分には問題ない。
違う視点の意見を聞きたい時に、ちょうどいい話し相手らしいです。

私は人間味のある文章や行動するには、まだ知識と経験が足りていないのかもしれません。

人間関係の感覚のズレをさらけ出さないために、感情に関する言葉を避けてしまっているのであれば、もう少し本やドラマで勉強し直そうと思います。

元同僚が言いました。
我々は地球に研修しにきてる宇宙人だから、バレないように地球人を研究して地球人のように振る舞う。そうすればトラブルは回避しやすくなる。

文字に起こすと面白いですね。
新しい自分の特徴にも気づけます。

これからも地球人のフリをがんばります。

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