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【遺す物語】第二話:スコッチ ウイスキーをバトンに

序:「遺す物語」について

 「遺す物語」の意味は、読んで字の如し「遺す物を語る」です。
 さしたる財産を持ち合わせているわけもない僕ですが、死ぬまで自分の傍に置いておこう、若しくは、息子たちに託そうと考えている物と、その後ろ側にある物語を、この「遺す物語」の中に刻んでいこうと思います。



第二話:スコッチ ウイスキーをバトンに

 僕が飲酒をやめてから12年が経とうとしている。
 大きなきっかけは、去る東日本大震災ということになるが、それは一日も早い復興の願掛けとして一時的な断酒を自らに課したに過ぎない。
 然るに、僕が完全に飲酒をやめざる得なくなったのは、震災の翌年になって、同時に2人の認知症の親族(叔母二名)を介護しなければならない境遇に陥ってしまったことに因る。この状況は本当にこたえた。 

 勿論、お酒を嗜むことは、人生にとってかけがえのない彩の一つだと確信する。それが故に、この悦楽を手放すのには相当の覚悟がいる。
 僕は、能動的かつ受動的にその愉しみを失った。
 けれど、今更ながら感慨深く思うのは、あの夜も眠れぬような苦境をお酒に頼らないでやり過ごしたという事実についてである。もし、アルコールを頼りに乗り越えようとしていたならば、何もかもが悲惨な状況になっていたことは想像に難くない。
 人間万事塞翁が馬 
 
僕の実感を端的に表すならば、このベタな故事成語が相応しい。

 かつての僕は、甘辛両刀使いを自負し、お酒と名のつくものなら何でも口に含んでみたくなる気質かたぎで、旨い不味いよりもむしろ、好奇心で飲めてしまうたぐいの飲み手だったと言える。(だからスノッブではない。)   

 そんな背景を持つ僕が、自分で買っておきながら、ついぞ飲みそびれてしまった「虎の子の酒」が2本ある。
 これら2本のスコッチに共通するのは、シングルモルトで、且つネゴシアン物であるという事。そして双方ともに、既に蒸留所が閉鎖されてしまっているという点が挙げられる。
 そんな共通項を持つ2本の個性的なスコッチは、暫くして後に息子たちの手に渡すことになるのだ。

1:PORT ELLEN(ポート エレン)

 このモルトは、28歳の時分(1996年)に目白田中屋さんで買った。

 当時、僕は一級建築士を取得したばかりで、長野での建築人生がこれから本格的に始まるという希望の渦中にいた。けれども、一寸先は闇とはよく言ったもので、想定していなかった出来事により、郷里の仙台へ戻らざる得なくなってしまった。だから、仙台で勤務できる転職先が決まってもなお、僕は憤懣やるかたない思いを抱きながら悶々と過ごしていたのである。

 しかし、僕の心境とは別に予定は粛々と進捗した。
 その最中さなか、仙台の配属先へ向かう前に、東京の本社で1週間程の研修期間が設けられることになった。
 それを契機に、なんとか気持ちを切り替えようとした僕は、学生時代に何度かお世話になっていたカラファテ(クライミング・ショップ)で、生きる意欲が湧いてくるような買い物をしようと目白を訪れた。
 しかし、当のカラファテは休業日だった。無残にも目論見がついえ、絶望を感じ始めていた僕を田中屋さんが救ってくれたというわけだ。

1996年に購入(蒸留:1980年 瓶詰:1995年)

 このカスク・ストレングス(樽出し状態)のポートエレンを見つけた時は、ちょっとばかり驚いた。そして静かに興奮した。
 心を落ち着けてから手に取ってラベルを一瞥。そして、深く頷いた後に迷うことなくレジへ向かった。そう、一期一会を噛みしめながら。
 ポートエレンは、僕を絶望から歓喜へと反転させてくれたのである。

 個性が際立つモルトを産出するアイラ島。その島の港の名前を冠したポートエレン「辛口で刺すような味わいがある。」土屋 守氏は云う。かようなコメントを聞いて好奇心が疼かないわけがない。
 がしかし、僕はポートエレンの封を切ることをせずに今に至っている。 
 明らかなことは、このアイラモルトを手に取った時の僕は、人生の不条理と辛酸を舐めていた。それは正に、ポートエレンの味わいに近かったに違いないと勝手に想像している。
 それでいい・・・今なればこそ、そう思える。

2:ROSEBANK(ローズバンク)

 薔薇のつつみ・・・なんて素敵な名前なのだろう。
 ローランド地方で誕生したこのシングル・モルトを手に入れたのは、設計事務所として独立する直前(31歳/1999年)のことだった。
 独立という単なる転職とは異なる大きな決断に至るまでの日々は、正に逡巡と共にあった。僕の心はメトロノームの遊錘ゆうすいの如く左右に揺れ動いていたのである。

 そんな折に、地元の輸入酒販店で見つけたのが、このスコッチだった。
 一般的に評価が低いとされるローランド地方のモルトではあるけれど、そうした評価は全く気にならなかった。
 何より牧歌的で慎ましい名前が気に入っていたし、かつてショットバーで飲んだ時に感じた若葉の香りが強く印象に残っていたこともあり、迷わず手に取った。(ケイデンヘッドのローズバンク9年・カスクは焼きリンゴの香がすると言うが … 。) 

1999年に購入(蒸留:1984年 瓶詰:1996年)

 その当時、既にローズバンクの蒸留所が閉鎖(1993年)されていたことは知っていた。独立開業を考えている人間には、似つかわしくないスコッチにも思えるやもしれないけれど、僕は負のイメージを抱かなかった。

 それは、このネゴシアン物としてショーケースに並んでいたローズバンクが、有形無形を問わずあらゆる事物が「諸行無常」であることを証明してくれている様に感じたからだ。
 人は座って半畳、寝て一畳。死んだら骨壺だ。それでいい。
 命尽きてから暫くの間、僕を知る誰かの記憶に残ってくれれば幸い至極。
 それは、ローズバンクの原酒が底を尽いたら飲めなくなるのと同じこと。後は、このモルトを懐かしく思う人々の記憶のみ … 。それでいい。
 ローズバンクは、逡巡を繰り返していた僕に、そんな覚悟と決意を静かに促してくれたのだった。

ウイスキーの記憶

 ウイスキーには、ウイスキーでしか醸せない酒の席があったように思う。
 それが例え苦い席であろうが、悲しい席であろうが、はたまた無礼講の席であろうが、今となっては良き思い出になっているし、そこで口に含んだウイスキーの記憶は忘れることはない。

ウシュクベ・ストーンフラゴンは、ブレンデッドの中で3本の指に入るほど好み。瓶が可愛くて捨てれない。スプリングバンクは、家飲み用に常時在庫していたシングルモルト。だから未開封。

 住み込みのバイト先で日々の晩酌に出してくれた OLD PARR
 独身最後の贅沢でオーダーした THE MACALLAN 18年 
 支店の目標を達成して同僚たちと飲んだ ROYAL HOUSEHOLD 10年 。
 クライアントにお灸をすえられながらご馳走して貰った TALISKER 10年 。
 同業の先輩から尻拭いの返礼で奢ってもらった GLENFARCLAS 15年 。
 長男が生まれた時に独りで杯を重ねた THE GLENLIVET 18年 
 などなど ~ 数え上げたら切りがない。

 確かなことがあるとすれば、僕の喜怒哀楽はウイスキーの味わいと共にあったということだけだ。
 とまれ、後は息子たちにバトンタッチ。それでいい。

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