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【記憶より記録】図書館頼み 24' 5月

 あっという間に5月が終わろうとしています。って言うことは、あと1ヶ月もすれば上半期が終わると・・・くわばら、くわばら。
 そんな或る日、次男坊が通っていた高校の学年主任から連絡を頂戴しました。なんでも「高校時代の受験体験談を後輩に聞かせる」といったカリキュラムで、OBとして大いに語ってもらいたいとの事。(よくある奴)
 仔細を聞けば光栄な依頼ゆえ、親父特権で「当人と直接やりとりして頂いて結構です。」と伝えました。後日、次男坊から「予定を調整できたので月末の金曜日に帰省するよ。」との連絡がありました。※他人様の財布(学校が往復の新幹線代を負担)で帰省できるなんて幸運至極(笑)。
 何を後輩に伝えるのか分かりませんが、焦らず騒がず淡々粛々の態で自主自学(我が家の家訓)を続け、親を受験貧乏足らしめずに進学してくれた彼であるからして、似た環境・境遇の後輩にとって響く言葉が伝えられるのではないかと想像しております。
 そんなこんなで、翌々日に迫った次男坊の帰省を楽しみに、慌ただしい日々をやり過ごしていた伝吉小父でした。(高々2ヵ月振りなのですが)

 さてさて、5月の「図書館頼み」を備忘させて頂きましょう。因みに、今月は「夜なべ仕事」を優先してしまったが為に、プライベートの読書は先月と同様の有様になっておりますので、ご容赦あれ。

1:子どもの言いごと
 
 著者:斎藤たま 出版:論創社 

心に沁みる一冊であった。
図書館で本書を手にとり、冒頭を飾る「はじめに」を斜読みした。

子どもたちは友達に話しかけた。太陽に話しかけた。空吹く風に話しかけた。雨に話しかけた。煙に話しかけた。鳶にも鳥にも話しかけた。小さい流れにも、神様にも、ミミズにも話しかけた。シビレにも話しかけた。蛇にも、死にかけた魚にも話しかけた。それぞれに用向きがあったから。

子どもの言いごと「はじめに」より引用

この都合三行の文章・・・否、「それぞれに用向きがあったから。」という末尾の一文に、私は心底やられてしまったのである。

本書は、日本の各地に遺っている「子どもの言いごと≒子どもたちの唄」を、体系的に著わした一冊である。体系的と言っても、四面四角に分類したのではなく、近似した傾向を柔らかく捉えてまとめている点が特徴と言えるのだろう。(その柔らかさに一定の好感を持つと同時に、読み難さも感じてしまったのだが、それは末尾の「初出」を確認して合点がいった。即ち、本書の成り立ちの都合上、仕方がなかったと理解している。)

転勤族の子どもとして各地を転々としてきた私にとって、新しい土地に暮らす瞬間の緊張感や、初めて出会った子ども達から浴びせられた言葉(新参者に対するからかいの言葉や唄)を思い出し、ここ最近では体感したことのない類の感傷を覚えてしまう場面も少なくなかった(微笑)。

そうした言葉・唄は、地域に因らず各地に広く存在し、長い時を経て子どもたちの口から発せられてきた。それらは、素直で無垢で他意もない分、残酷でもある(下の引用は奄美大島名音の事例)。

あんわらぶや 何処だー
耳切っち 鼻切っち
もうそう もうそい

第1集:1「あの子、どこの子」より

しかし、これらの言葉や唄は、子ども達の世界に流れる時間の・・・それも大切で愛おしくなるような瞬間や場面を、様々な感情を伴いながら埋めてきたと同時に、消えぬ言葉(消せぬ言葉)として子ども達の心(幼き時分の私の心)に刻まれてきたのである。

私にとっては、酸っぱくて苦い記憶を呼び覚まされた格好になってしまったけれど、その後味は決して悪いものではなかった。それは、自分自身が、子ども時分の「負の出来事」を十分に咀嚼し消化できていることの証にも思え、心明るく読み終えることができたからだ。

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