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【作品紹介】『 草履に蛙 』の謎 #前編

 昨年12月末に、ほうほうの態で完成した拙作『 草履ぞうりに蛙 』
 古くから伝わるお題だけあって、先達たちの手による味わい深い作例を目にする機会も少なくありません。

 此度は、拙作の紹介ともども『 草履に蛙 』に込められた意図背景、そしてモチーフとなった蛙や草履などについて探っていこうと思います。
 興味のある方は、お付き合いください。 

1:『 草履と蛙 』の意図と背景

 『 草履と蛙 』は、以下の点にあると僕は感じています。
1:性質の異なるモチーフ(静物と生物)の組合せ。
2:連想ゲーム的な言葉遊びが巧み。

 上記2の「連想ゲーム的な〜」とは、” 草履=旅 ” と ” 蛙=帰る ” にかけて「旅から無事に帰る」という願望が込められていることを指します。

 こうした ” 言葉遊び ” は、根付を根付足らしめる要素の一翼を担っているわけですが、こと『 草履と蛙 』に関しては、意図することの分かりやすさという点において、似た傾向を持つ他の作品(お題)よりも傑出している印象があります。
 故に、多くの先達によって製作され、そして長い時を経てなお ” 魅力的な題材 ” として残り続けているのかもしれません。

 かく云う僕にとっても、この ” 分かりやすさ ” に加えて  根付の題材としてのカエル ” に魅力を感じていること、更には、技量の向上を確認するのに相応しいお題だということもあり、適時製作するようしています。

正直の『 草履に蛙 』:根付の図鑑《動物》吉田ゆか里 著 より

 さて、『 草履に蛙 』が多くの先達によって作られてきたことは、冒頭でも記しました。
 それらの味わい深い作品群の中にあって、僕が参考にしてきたのは、伊勢の名人にして「蛙の正直」と呼ばれた 鈴木正直すずき まさなお『 草履に蛙 』です。

 そして、この名人 鈴木正直 が活躍した舞台  伊勢地方 ” には、日本の総氏神を祀った伊勢神宮が鎮座しています。

別冊 太陽 「印籠と根付」印籠根付作家一覧より

 中世以降に広まった伊勢信仰の影響は頗る大きくて、全国各地に誕生した 伊勢講いせこう の加入者を中心に、毎年2〜400万人超の参詣者が伊勢地方を訪れていたそうです。
 当時の日本の人口(3000万人程度)や交通事情を鑑みれば、もの凄い数値であることが分かりますよね。(箱根の関所を越えない範囲、若しくは江戸から近い成田や鹿島であれば、まだ理解できるのですが … 。)

歌川広重「伊勢宮川の渡し場」NDLイメージバンクより

 そもそも、江戸界隈からだと片道15日以上の日数を費やさねばならないし、旅程や街道の状態に応じて出費も嵩むと。
 更には、追剥おいはぎ護摩の灰ごまのはい(盗人)の被害に遭うだけではなく、病気怪我を被る場合もあり得るわけで … 。
 当時の人々が水杯を交わして旅立ったというのも頷けますよね。 

 こうした当時の旅の様相に思いを致せば、長くて過酷な旅路の末に辿り着いた彼らの心情に、根付に込められた ” 洒落の効いた願い ” が殊更に響いたとしても、何ら不思議はないでしょう。
 そして帰路につく彼らが、 軽くて嵩張らない伊勢根付 ” を好んで土産にしたというのも容易に理解できるのです。

2:このカエルは ”何ガエル”?

 さて、焦点を全体から部分に移していきましょう。
 
 両生類 に抵抗がない方であれば、この蛙が 蝦蟇蛙がまがえる系統 だということを、何となく分かって頂けるのではないでしょうか。

僕にとって「蛙」は「笑顔の象徴」

 実際、過去の作例を見ても、雨蛙らしき小型のカエルを草履に載せている例は無く(伝吉調べ)、また当該根付を草履蝦蟇ぞうりがまと命名する作者もおられることから、このお題に関しては、ガマガエルが前提になっていることが推測されます。

作品名に関しては『 草履蝦蟇 』の方が名詞的だとは思いますが、僕自身は、素直に ” 状態 ” を言葉で表した方が ” いにしえ ” を想起させるのではないかと感じているので、一部の先達の例に習い 『 草履に蛙 』 としています。

アズマ ヒキガエル:日本産 野外観察のための 両生類図鑑 緑書房 より

 で、この ガマガエル … 。
 ご存知の方も多かろうと思いますが、いわゆる ヒキガエル を指します。

 因みに、僕がモデルにしている ヒキガエル は、過去に何度も目撃したことがある アズマヒキガエル です。
 アズマヒキガエル 最大サイズは、何れの資料においても「16㎝程度」と記されていますが、こ奴が実際に動いている時のボリューム感は、その数値以上の圧と異様さを放っていました(汗笑)。
 ※以降は ガマガエル で表記を統一

 この実際のサイズと、感覚的なサイズ感の差異 … 。

 何れの側に準じた方が良いのか? 
 こうした思案もまた、数多の表現手法における悩み処というか、平たく言えば ” 生みの苦しみ ” の中の一過程でもあるわけですが … 。
 このスケール感については、後編にて記させて頂きましょう。

3:何故 〇〇ガエル なのか?

 更に、ガマガエル の話を続けていきます。
 ガマガエル は、北越奇談(随筆集・挿絵が北斎)や 自来也(児雷也:義賊・忍者)を描いた錦絵において ” 怪物 ” として扱われています。

 かような扱われ方から察するに、ガマガエル強烈な容姿や体躯、そして捕食の様毒をもつという性質から、ある種の 呪術的な能力(妖術・幻術)を備えた生物として認識されていたことが伺われます。

蝦蟇の妖術をつかう自来也の錦絵

 因みに、中国で誕生した 自来也 が日本に登場したのは 文化3年(1806年)で、北越奇談 が 文化9年(1812年)とされています。
 ※詳細は下記のWikiにて

 いずれの作品も 文化年間 なのです。
 僕は、ここに時系列的な符合を感じています。
 それは、前出の根付師 鈴木正直 が活躍した時代もまた、文化・文政(19世紀前半)であるからです。

 勿論、これらの事例よりも前に、蛙らしき生物  妖怪めいた存在 ” として描いた作品は少なからず存在したと思われますが、「当時の庶民(生活・教育水準に因らず)の間で満遍なく広がっていたか?」と言えば、そのようなことは無かったはずです。←私的推測

 とあるアイコンがマスに浸透するためには、特定の階級に属する一部の人間しか目にすることができない一点物の掛軸や襖絵ではなく、万人が手にすることができる冊子(読本)や錦絵となる必要があり、更には、人々の移動を介して広範囲に流布・伝播されていかなければ、共通のアイコンとして認識されないものです。(現代は話が別)

 こうした傾向は、情報伝達の速度や方法に乏しかった時代であれば尚更でしょう。故に、旅人(行商人・巡礼者・遊行者・参勤交代など)が果たした役割は大きかったと思われます。 

 これらの事から、宮大工の家に育った 正直 が、根付師として活躍していた時期(期間)に、ガマガエル 呪術的な力を持った生物 ” として庶民の間で認識されていたことは想像に難くないと … 。

 よって、旅の無事を願う根付『 草履と蛙 』の蛙に、あえて呪術性の強い ガマガエル を用いることにより、願掛けの効力増大を狙うという動機もあり得たのではないかと、僕は想像しているのです。

中入り

 さてと、一本の記事をこれ以上長くするのは、何れの端末を使って読むにしても酷すぎるし、自分で読み返すにしても適当ではないので、前編・後編に分けさせて頂くことに致します。

 なお、後編では、スケール感草履にまつわる話を中心に、凡庸なる作者の迷走の有様が詳らかになっていくはず … です。
 殆ど、自分自身のためにまとめているような備忘録になってしまい申し訳ないのですが、興味がある方に御一読賜れれば幸いです。

 それでは、暫時 中入り とさせて頂きましょう。

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