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【記憶より記録】図書館頼み 24' 7月

 我がアトリエの坪庭の地面から生まれ出た蝉君たちが一斉に鳴き始めました。いよいよ、本格的なが始まるようです・・・と思えば、隣県の山形・秋田では、未曽有の大水害が・・・。今はただ、被災した方々に一日も早い心の平安が訪れることを願うばかりです。
 とまれ、こうした自然災害に際しては、国が喧伝してきたお題目「国土強靭化」が空虚に響くと同時に、その言葉を具現化していくことの困難さを痛感させられるばかりです。(ない頭が知恵熱を起こしています。)

 さて、夏の近況をば少々綴らせて頂きましょう。
 この7月、体調不良に四苦八苦していた私ではありましたが、処方薬とアドレナリンの力を借りつつ「出たり入ったり」を続けておりました。
 ちなみに、私の「出たり」は「涼しい場所での打合せ」といった恵まれた環境でのお仕事よりもむしろ、喧騒に満ちた現場(建築前の敷地ないしは建築中の現場)であることが殆どです。
 現場に到着して、そそくさと車を降り、取り急ぎ安全帯ハーネスとヘルメットを装着。そして、代理人さんと軽口を交わしながら図面を開くや否や、大粒の汗が製本図面の上に塩辛い溜池を作るといった始末。互いの顔を見合わせながら「現場に着いて5分も経ってないぜ。」と苦笑い。まったくもって、炎天下の建設現場は熱射地獄さながら・・・。
 いやはや、8月が思いやられますな。

 それはそうと、私自身は、打合せや検査・調査の類で現場に立ち入るだけなので体力的な負担は少なくて済みますが、朝から夕刻まで施工に従事してくれている職方達は大変です。彼らの姿は、正に縁の下の力持ち。彼らの働きがあったればこそ「0から1が生まれる」わけで、それこそ昨今旺盛を極めるAIには出来ない仕事だと言えましょう。
 四季折々の中、こうした現場の中に入って仕事をしていると、「人の汗=労働」の崇高さを改めて感じてしまいます。(前近代的な考えだと批判される向きもあるやもしれませんが、こんな時代だからこそマンパワーを軽んじるわけにはいかんのです。)

 建築に限らず、過酷で悪条件と言われがちな労働の多くを外国人労働者に委ねて久しい我が国。(こうした制度や仕組みに付随する闇も大問題)
 ジャパン・クオリティーを維持発展させるためにも、汗をかくことを厭わない若い力と知性が多くの現場おしごとで求められています。私も、そんな未来を紡ぐ若い力を育んでいかねばならないと決意を新たにしているところです。


 長い前置きは、ここまで。
 先月は「図書館頼み」をお休みとさせて頂きました。
 体調不良に加え、目を通さねばならない本業関係の資料が山積みで、図書館から借りてきた本に手を延ばすことができませんでした。
 そんな愚痴はともかく、7月の「図書館頼み」に入らせて頂きましょう。

1:おにぎりの文化史 -おにぎりはじめて物語-
 
 監修:横浜市歴史博物館 出版:河出書房新社 

「夏休みの研究」を連想させるような題名を持つ本書は、横浜市歴史博物館が2014年秋に企画した「大おにぎり展」の好評を受けて出版されたものだ。かような背景を持つことから、本書は当該企画展の展示に即した構成になっており、「おにぎりの現在から過去へ」といった具合にタイムスリップ感を堪能しながら読み進めることができる。

本書の題名を一瞥すれば「おにぎり」が主役であることは容易に分かるだろう。しかし、内容は「おにぎり」にとどまらない。実際には「おにぎり」の歴史を辿るために必要不可欠となる「日本の米食」について広く取り上げている。この点に、本書の芳ばしさがある。

なにはさておき、生れてこの方、自然に口にしてきた「おにぎり」のことを体形的に学ぶことができたと感じている。
「現在のバリエーション豊富なおにぎり」から「古代のおにぎりとおぼしき炭化米塊」に至るまでの道程(逆行)を、とても平易に、されど知識の品質を著しく下げることなく解説している点が素晴らしい。また、その間を埋める様に掲載されたトピック(豆知識)も秀逸だ。
こうした優れた部分は、多種多様な来館者の視線を常に感じ取ってきた博物館(学芸員)が監修していることに因るのだろう。

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前出の様な純粋な感想とは別に、本書を読み進める中で、人間の如何いかんともし難い気質かたぎについて再考させられたことがあった。
備忘を兼ねて、20年以上前の「地元の選挙」に際して起きた事件を絡めつつ綴らせて頂きたい。※末尾の「余話」もご一読あれ。

狭い地域を舞台にした選挙戦は、町議、市議、県議を問わず、利権に関わる一部の土着民にとって殊更に重要なイベントになっている。それ故、この時の選挙も多分に漏れず盛り上がったと記憶している。
私が属する選挙区の中に、メディア出身の立候補者がいた。彼は、自身の知名度を生かして当選を果たしたのだが、激しい選挙戦の熱が冷めていく中で「あの人の選挙事務所で配った”おにぎり”の中に千円札が入っていたらしいよ。」というまことしやかな噂が立った。それから程なくして、彼は選挙違反者として検挙されたのである。実際に「異物混入おにぎり」が主たる罪状になったか否かは分からないが、法を犯してしまったことに変わりはない。
いやはや「火のない所に煙は立たぬ」とはよく言ったものだ。

さて、私なりの「雑感以上 考察未満」の結論で締めさせて頂こう。

本書に因れば、前出の様な「違法行為」に類似した状態の「異物混入おにぎり」は、15世紀後半(中世)にまで遡って確認できる・・・としている。(複数枚の錢が混入している炭化米塊の写真と解説が掲載。)
どうやら「人間の進歩」というものは、あくまでもテクノロジーに関してのみであり、生来せいらい人間に備わっている気質(性根)に関しては望めないようだ。悲しいかな、賢くなったと思っているのは当の人間だけなのである。

とまぁ、そんなこんなの読書時間を経た結果、晩節を汚すことなく善人のままあの世に行きたいのであれば、謙虚かつ自重して暮らすに越したことはないと再確認しているところの伝吉小父であった(苦笑)。

※あらぬ誤解を防ぐための余話
本書に掲載された事例「複数枚の錢が混入している炭化米塊」は、中世の火葬場として利用されてきた場所から発掘されたものである。なお本書では、複数の発掘事例に基づき、中世の南関東界隈において「錢入りおにぎり」を墓の中に入れる風習が存在していたと推察している。
確かに、亡き人の黄泉よみへ向けた旅立ちに必要な食べ物と金銭をコンパクトに携帯させようとしたと考えれば合点もいく。(三途の川の渡し賃みたいな)

故に、前出の不祥事(選挙違反)とは異なる動機によって、おにぎりの中に錢を混入させていたことは明らかだ。(くれぐれも誤解無きよう。)
さわさりながら、こうした風習が源泉となり、時間の経過と共に「隠蔽」という負の性質を強めていきながら、後ろめたい行為に手を染める人間達に鋭意活用されていったことは想像に難くない。

世は21世紀。もはや「おにぎり」で賄賂を渡そうとする立候補者が存在するとは思えないのだが、本文で触れた様に、人間の気質が変わらないことを鑑みれば、相も変わらず「異物混入おにぎり」が日本の何処かで飛び交っているのかもしれない。それを想像すると、不謹慎にも笑ってしまう。
(こんな話を綴っていたら、違法薬物を持ち込もうとして捕まった勝新かつしんたろうの姿を思い出してしまった。隠す場所にも程があると(笑)。)

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