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出来なくて怒るのは、恥ずかしいことじゃない。

「デキナイーーーッ!」

娘が朝から怒っている。こどもちゃれんじのブロックがうまく組み立てられないらしい。2歳数ヶ月を過ぎたあたりから、娘は出来ないことがあると、怒るようになった。

出来なくて怒るのは、こうしたいというイメージがあるからだ。
僕も慣れないデザインソフトで、イメージ通りの制作ができないときに苛立つことがある。イメージはある、絵にも描ける。だが、ソフトを経由するとそれ通りにアウトプット出来なくて、それが苛立ちになる。

娘は、身体を通して、イメージ通りにアウトプットできないから怒る。身体の使い方を得るより先に、イメージを得ているということだ。まず先にイメージがあって、その後にアウトプットがある。

ただ、どうして苛立つんだろう。怒るんだろう。どうして笑わないんだろう。出来ないことは、本来から楽しいことではないということらしい。イメージ通り出来ないとニコニコする幼児はいるのだろうか。

なぜ、出来ないと怒るのか。
僕の想像ではあるが、「人に助けてもらうため」ではないか。

怒るという行為は、基本的に、周囲に強めの影響を与える。特に幼児が、出来ないことがあり怒っていたら、それは「困っている」というアラートであり、保護者は手助けしようとする。

出来ないからとニコニコ笑っていたら、アラートではなくなり、保護者に気づかれないまま過ぎ去ってしまうこともあるだろう。出来ないまま放置されてしまい、出来ないことは積み上がっていく。身体的な成長も鈍くなるだろう。

出来ないと苛立つのは、自らの成長に必要なことであり、他者の手を借りて補うための補助行為なのだと思う。

大人であっても、出来ずに苛立つことがあれば、それは積極的に他人に助けてもらうべきタイミングなのかもしれない。そういう意味では、怒ることは恥ずかしいことや、隠すべきことではない。むしろ、人と人との関わりしろを生み出す、人間らしく愛らしい行為なのだと思う。


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