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2023/11/16 1度に1つのことをやるのがいい


10日目

最近の散歩は、カセットテーププレイヤーやCDプレイヤーを持ち歩くことが増えた。

iPhoneで聴いているときよりも、特にカセットは、次の曲へ飛ばすことができない(早送りだけ)などの物理的な制限もあいまって、じっくり曲を聴くことができるのがいい。それと、「iPhoneを触らない」ということが、気持ちいい時間につながっている。

iPhoneからの開放感というか、なんだかそんなふうに書くと、iPhoneの奴隷みたいな生活を送っているんだなと感じてしまうけれど、実際そうなのかもしれない。

iPhoneがあると、ぼーっとできないんだろう。無意識のうちに、iPhoneと接続してしまっていて、絶え間ないストレスになっているんだと思う。
それを知っているので、iPhoneとは、なるべく物理的な距離を置くことを意識している。たとえば、家にいるときは、少し離れた部屋に置いておくとか、外出中はポケットじゃなくて、鞄の中にしまっておくとか。たったこれだけだけど、けっこう気持ちが変わるのでおためしあれ。

なんだかiPhoneの話ばっかりだけれど、言いたかったのは、もっと物理的な、物体としてのモノを生活のなかで意識してみたほうがいいってことだ。

なんでもかんでも、デジタル化して、ものがなくなったような気になっているけれど、それは単に役割をスマホやパソコンに一極集中させているだけで、どんどんスマホやパソコンに依存した生活になっていく。

僕は、できるだけ「単機能」がいいと思っている。そのほうが、1度に1つのことに集中できるからだ。もっと言えば、できるだけマルチタスクはしないほうが健康的だと思っているので、あれもこれもできてしまう「多機能なもの」は不健康につながると思っている。その権化がスマホなわけだ。

カセットテーププレイヤーは、「音楽を聴くことしかできないから、他のことを諦めて、音楽を聴く」わけで、このあきらめるってのが、今は大事なんだと思う。
重いし、裏面にひっくり返すのは面倒だし、有線だからコードはからまるが、音楽を聴くことへの身体的な比重は高まる。

なんでもてっとり早く済ませることが、いいわけじゃない。
なにをやるか、以上に、それをやりながらどう感じたかのほうが大事だと思う。

じゃないと、「できるだけたくさんのことをやる」とか「できるだけ早くやる」のが目的になってしまう。
タスク完了が目的になってしまう。

それは例えば、
子供とディズニーランドに行く、ということであれば、
できるだけたくさんのアトラクションやイベントを消化するすのが第一になり、そのために子供を急かしたり、コントロールしたりする、みたいな話だ。

そもそも、なぜディズニーに行きたいと思ったのか。
子供とたのしい時間を過ごすためだとすれば、アトラクションに乗ることはただの手段であって、目的ではない。
もし乗れなかったからといって「せっかく楽しい時間を過ごそうとおもったのに!」と怒り出してしまったのでは、本末転倒だ。手段と目的がいれかわってしまっている。

1度に1つのことをやる。
そのほうが、目的を見失わずにすみやすい気がする。

なんでもまとめてやってしまわないほうがいい。

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