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娘の幸せを願う

ぼくは20代終盤の数ヶ月を、自閉症の方と働いていた。
まだ見ぬ我が子と、自分自身のために、その働き方を選んだ。

当時のぼくは、身体的、精神的ダイバーシティには理解があるつもりだったが、いざ当事者になった自分がどう反応するかには、自信がなかった。彼らへの興味本位ではなく、自分自身を確かめるために、そうしたかった。

解剖学者の養老孟司先生がなにかの講演で「酒鬼薔薇聖斗事件は、『人間は誰しも少年Aになりうることを自覚すべき』という提示である」というようなことを語っていた(記憶が定かでないが)。

自分はこんなことをするはずがない
自分はこんな発言をするはずがない
という思い込みほど、怪しいものはないと思っている。

少なくとも僕は、自分を不確かなものだと考えている。
正月の誓いは間もなく熱が冷めるし、前の晩にあれほど憎かったことが、寝て起きたら許せるようになっていたりする。

たった一つのアイデンティティなどなく、「変わらない自分」は意識が作り出した幻だと思う。

他人を受け入れることは、自分を受け入れることである。
他人を受け入れられないのは、受け入れたくない「想定外の自分」が表れたからだ。意識が自己防衛のために、拒絶を起こすからだ。

他人を受け入れるには、自己の意識を拡張するしかないと思う。
これまでの「あり得ない」意識を解体し、あり得るものとして組み込むしかない。実体験するしかない。


初めて対面した自閉症の同僚に対して、ぼくが最初に持った印象は「怖い」だった。それは相手への怖さと、見知らぬ自分への怖さだった。

その時のぼくの顔は、自覚できるほど引きつっていたと思う。
自分にショックを受けたが、自分の考えなど信用できないなと痛感した。

数日たつと、怖さは消えた。
彼らを通して、ぼくは自分の持つ凸凹に気がついていった。

彼らは素直に生きていた。
素直さだけでは回らない社会の住人(自分を含む)のほうが、彼らとの接点をもつのに苦労している気がした。

給与面で長続きさせることが出来なかったため数ヶ月で離職したが、この職場での学びは大きかった。


当時、お付き合いしていた彼女がいたが、将来結婚して、子供ができたときのことを想像していた。

我が子を心から愛せる為にぼくがしておくべきことは、自分の意識の中から1つでも多くの「あり得ない」を解体しておくことだと思っていた。
差別のない世の中を望む前に、差別のない親であれるよう、できる限りの準備をしておきたかった。

あれから4年後、あの頃の彼女は、奥さんになり、母になり、僕は父になった。生まれてきた娘は、いまも健康だ。

娘がこれからどうなるかは分からない。
ある日、トランスジェンダーかもしれないし、同性のパートナーを紹介されるかもしれない。アメフトをやりたいと言うかもしれないし、インドに一人旅に行きたいと言うかもしれない。

心配のあまり、受け入れがたいこともあるかもしれないが、自分の心の弱さの範囲の中に、娘を留めるようなことだけはしたくない。

信頼なのか、愛なのか。

言葉と意味はどうでもよくて、ただ娘の幸せを願うのが一番であって、娘の幸せは、娘のものであり、ぼくのものではないということだけは確かなのだ。


この投稿は、次のnoteにインスパイアされて、書いたものです。


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