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もっと素直に生きればいい。

さて今日も書いていこうか、3000字。今が21時44分。昨日は大体45分くらいで書けたので、今日もそれくらいのペースを目安に書いていこう。

いやはや、少しこの長かったトンネルの出口というか、出口っぽい方向の光が見えてきた気がする。光明が差したというやつでしょうか。やっぱり思うに、何かが停滞している時というのは人とのやりとりが少ないときではなかろうかと思う。

僕は気分障害、うつ病や躁鬱病ではないけれど、気分の上がり下がり期というのはある。外交的な時期と、内向的な時期というか、それは調子がいいときと悪いときみたいに分けることもできるし、明暗期と呼ぶこともできそうだ。明るい時期は、やっぱり気分もいいことが多いし行動的だ。経済的に調子が良いかどうかはあんまり関係ない気がする。そりゃ経済的に調子が良い方が明るい気分にはなりやすい、少なくともお金の心配がへるので、直接的な不安の要因は減るのであるが、過去を振り返って見ると、密接な関係にあるようには思わない。暗い時期は、心がしんどいし、あまり人と話たくはないし、モノへの関心が減るというわけでもないけれど、街へ出てもあまりアレコレ買いたいとは思わない気がする。それよりも静かなもの、穏やかなものを好み、そういう気分にさせてくれる場所、もの、特に書籍みたいなものに惹かれていく。

今書いていて思ったけれど、買い物というのは明暗期の移行においては結構キーなのかもしれない。暗い時期というのは買い物、特に嗜好品みたいなものへの買い物に抵抗を感じてしまう。今、そんなことにお金を使えないというか、罪悪感というか。物欲がないのでなくて、物欲を抑えるという感じに近いのか。今の自分にはそんな価値はないだろう、そんなことをしている場合じゃないだろう、そんな贅沢をしている場合じゃないだろう、もっとやることがあるだろう、みたいな罪悪感。でもそこを逆手に取るじゃないけれど、あえてその買い物をすることで、罪悪感から解放されるきっかけにすることができるのかもしれない。

先日、ジャケットを買ったからそんなことを思うのだ。年末というのは何かと新調したくなるもので、家族へのクリスマスプレゼントやら、実家への年越しの贈り物や、家のタオル類、日用品、などなど買うことになる。僕は自分への買い物はあまり大きな額を使えないけれど、家族への贈り物にはなるべくいいものを買いたくなってしまって、つい予算オーバーになってしまうことが多い。予算内より、自分がいいもの、贈って嬉しいものを選ぶからだ。去年から誕生日、クリスマスのために毎月の積み立てまで始めたのだっった。そうしておけば、この金額の中でおさめようという区切りがついて、スッキリするだろうと思って始めたのだったが、結局今年のクリスマスプレゼントはその予算だけでは足りず、自分のお小遣いとして取っておいたお金を足して、いいものを買ってしまった。おかげで、クリスマスが待ち遠しくて仕方ない。
自分のジャケットの話に戻そう。そんな自分にはあまりお金をかけられないタイプの僕だが、先日ジャケットを買った。僕は体型が難しく、なかなか市販のもので体にフィットするものがない。シャツなんてオーダーメイドでないとダメだ。スーツもオーダー。金がかかる体型なのだ。そんな僕にちょうど良さそうなジャケットを見つけた。ジャケットが欲しいと思っていたというか、必要性を感じていたこの頃だ。普段は自宅で仕事をしているし、自営業なのできちっとした格好はする必要がないが、それでも銀行系や商工会などきっちりした方々との面談や、ちょっとしたセミナーなどではジャケットを着ることになる。
見つけたジャケットは家で洗えるというタイプで、しかも僕の体にフィットしそうとのこと。通販で買い、試着し(試着OKな店)、ばっちりサイズだったのでそのまま購入した。

買う予定はなかったし、そんなに安いものでもないけれど、それでもあると便利だし、ピッタリサイズの服は気持ちいい。いい買い物ができた。

そうすると気分が明るくなる。

これで調子が出たのかは知らないけれど、坂本龍一がオフィシャルで出した手書きのピアノスコアも買ってしまった。ピアノが弾けるわけではないけれど、坂本龍一が好きで、弾きたいと思っているし、どうせこれから練習するなら、いいものを買おうと思って購入した。PDF版の方が随分安いが、迷わずフィジカル版を購入し、送料がかかろうとも、そちらの方が買ってよかったと思っている。これも嗜好品であり、今まで考えていた範囲での贅沢品でもある。

最近は、音楽の時間を増やそうとしていて、以前から曲をきく時間を増やしてきた。秋口くらいから日記がわりに、その日いいと思った曲をapple musicのプレイリストに放りこんでいくという作業をやっている。1ヶ月ごとにプレイリストを区切り、今は2021/12を更新中だ。BandCampのアプリをダウンロードしてから飛躍的にリスニング時間が増えたこともある。
そして先週からはYMOのスコアを自分で手引きでDTMソフトに打ち込んでいくということを始めた。慣れない譜面読みをしながら、ど、れ、み、とかいいながら打ち込んでいく。曲は東風だ。BPMは100に落として、ゆっくり1小節ずつ、各パートを打ち込んでいく。せっかくなので、その様子を動画にtって、インスタ専用アカウントを開いて、公開していこうと思っている。オンライン英会話も始めたので、全部英文でやる。プロフィール分に書くことと、投稿のキャプションを英語で書いてみて、英会話の先生にチェックしてもらったところだ。アカウント名を何にするか迷ってるが、さっさと決めてアップしてしまおう。ちびちびとほぼ毎日打ち込んでいるが、楽しい。BPMを原曲の134に上げて再生してみるとそれっぽく一応聞こえる。笑える。楽しい。クオンタイズなどの修正処理はしておらず、今の自分のスキル、拙さをそのまま公開していこうと思っている。その方が1年後とかにこんなだけ伸びたんだとかがわかりやすいだろうから。
できればいろんな人に見てもらって、応援してもらえたらうれしい。

おっといつの間にか2500文字を超えている。途中から無心で書いていた。こういうのがいい。買い物の話をしていたのに、DTMの話にいつの間にかなっていた。だけれど僕の中では繋がっているのだろう。論理的ではないけれど、僕の脳内のシナプスが繋がっている証拠なのだから。それでいいのだ。そう、外面として、他人からみて論理的であるかどうかは重要ではないときがある。えてしてそうだ。人と何かを共有しようとする手段として論理は役に立つが、自分の意思決定、特に普段の生活において他人から見た論理性というものは少なくとも僕に取っては優先度は低い方がよく、それよりも自分の脳内シナプスに従って生きた方がいい。先月から、しいたけ占いのnoteを定期購読しているものだから余計にそう思うようになった。僕はとにかくやったー!とかわーい!みたいなことの連続性の中で生きていた方がいいらしい。それは自覚がある。人からは幼稚だとか言われていたので、それはよくないことだと長らく思っていたが、それは生かしておくべき僕の重要な資質なのだと思えるようになった。
昔、新卒入社で銀行に勤め始めた友達が、入って1年くらいして、仕事の辛さみたいなものを僕に話してくれた時「嫌ならやめればいいじゃん」と言ったら、そいつはすごい笑っていた。僕はその時フリーターだったから余計にインパクトがあったのだろうが、もちろん相手はいいやつだし、僕をばかにして笑っていたわけではないのはよく伝わっているし、だけれどあまり単純にいうものだから笑ってしまったのだろう。僕はそれは自分が幼稚すぎるのかなって思っていたけれど、とても素直な回答だったし、今思えばあれば僕の本質なのだろう。今はそう思う。だから僕はもっと素直に生きればいいのだ。3257文字。今22時26分、今日はこの辺でおしまい。

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