「銀行員らしくない人にあいたい」という銀行の採用メッセージ。正直に感じたこと。
家の掃除と、組織の変革で決定的に違うのは、「玄関の掃除」と「リビングの掃除」の難しさの差だと思う。
銀行が、「らしくない」ひとを仲間にしたいらしい。
メガ銀が「銀行員らしくない」新卒採用を重視、銀行も“銀行離れ”
この手紙を書くことを躊躇した。僕は銀行出身で、とてもお世話になったからだ。仕事にも、そこで出会った方々にも、本当にお世話になった。心から感謝している。「銀行という組織」が好きかはわからないけど、人は好きだ。
でも、だからこそ、この手紙を書こうと思う。抗議文ではなく、ラブレターとして読んで欲しい。
今から書くことは、銀行に限ったことじゃないんだけど。
採用メッセージを「らしくない」ものにするのなら、配属もマネジメントも育成も評価も、既存行員のマインドセットも「らしくない」ものに、あるいはレギュレーションをきかせる練習を今からしておいて欲しい。
「らしくない」を肯定することは、今まで染み付いた「らしい」を否定するという壮絶な試練を越えなきゃいけないと思うから。
「銀行員として」と何回も何回も何回も言われた。「銀行員として」の解釈が最後までわからなかったし、今もわからない。銀行員は特別な職業なんかじゃない。悪い意味でなくただの人間だし、他の業種と同じように、ただのサラリーマンだ。そこには、いろんな人がいていいと思う。
組織と個人の変化する時間の「ラグ」が悲劇を生む
採用現場で「組織をかえる人が欲しい」と言うのは簡単だ。
でも自分たちをかえるのは本当に難しい。とても一年じゃ無理だ。
やはり、採用メッセージと比べると、数十年かけて築いた文化を変えるのはすごく時間かかるし、労力を要する。相当な覚悟も要する。
仕方がないのだ。
「個人のあたりまえ」と「組織のあたりまえ」は、粘度があまりにも違う。
だから、ときには、ずっと信じていた、もしくは信仰し、依存していた「自分たちの正解」を否定して
「不正解だったわ、ごめん。」
と、超縦社会の中で、自分より歳下の人に頭を下げる局面もあるかもしれない。
耐えられるだろうか?
悪意なき迫害、悪意なき裏切り
どうか、、
どうか、過渡期に自分たちの意思で仲間にした「らしくない」人を、それこそ「らしくない」ことを理由に迫害しないで欲しい。
どうか「組織を変えるために君の才能が必要だ」→「君の代わりなんていくらでもいる」という裏切りをしないでほしい。
それができないのなら、その旗を掲げないでほしい。
もし、激減しているエントリーを刹那的に稼ぐために、生半可な気持ちで掲げたなら、目を瞑って掲げたなら、すぐにその旗をおろして欲しい。
だって
今こんな状況の中で、銀行を目指す人は、相当な無知か、相当な勇者かのどちらかだから。
特に、後者は、大切に尊重してあげてほしい。
大なり小なり、人生懸けてると思うから。
銀行の方々には本当にお世話になった。
応援しています。
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