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民族と民俗(アンソロポロジーとは)

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最近、どうも長話が多くなって、書く方も大変ですが、読む方もしんどいようです。やはり長い話は分割して、あとでマガジンにでもまとめようと思います。今回は「アンソロポロジーとは」というテーマなんですが、やはり少し長話になりそうなので、二、三回に分けてしようと思います。今回がその第一回です。

アンソロポロジーといえば今日では人類学なんですが、自分の話は狭い意味での人類学を越えた話です。人間学、もしくはヒト学とでも訳すべきアンソロポロジーです。

アフリカへの道

アフリカというのは日本人にとってもっとも馴染みの薄い地域です。自分もまだ訪れたことがありません。知り合いも少ないし、どんな人たちがどんな風に暮らしてきたか、よく知りません。本もあまり書かれていません。だからせめて文学でもと、アフリカ文学というのを少し読んでみたりしています。

最近読んだのは、ベン・オクリというナイジェリア出身の作家の『満たされぬ道』です。邦訳も出ていますが、私は知らずに原文で読んでしまいました。だけども、短くて単純な構文の英語で書かれていて、かなり長い話なんですがスラスラと読めました。英語で読む力をつけたい人にはぴったりの教材です。簡潔な文が集まって非常に複雑なことが表現されているのが見事です。

以前、やはりナイジェリア出身のエイモス・チュツオーラが書いた『やし酒のみ』を読んだときにも似たようなことを感じました。こちらは岩波文庫にも収められているアフリカ文学の古典の一つです。私は邦訳で読んだのですが、原文は英語で、しかも文法的にはかなり怪しい英語らしいです。だけど、話が口語に近くて、本を読んでいるというより話を聞いている感じです。

それもそのはずで、このチュツオーラは、どうやらナイジェリアの声の文化、語り部の伝統を引き継いだ作家らしいのです。オクリの方は「正しい」英語で書かれているのですが、やはりこの語り部の伝統がまだ生きているみたいなんですね。

森という異界

だからかどうか、語り口のみならず、この二人が語る世界にも共通点がある。それは死者の魂や魑魅魍魎に取り囲まれた世界なんです。

邦訳の題名は上品に訳されて意味が取りにくくなりましたが、原題の The Famished Road は直訳すると「腹ペコの道」のような感じです。道が腹を空かせているんです。フィクションなのかどうかわからんですが、ナイジェリアの民間信仰の一つに、街道は人の呑むというのがあるらしいんです。道路が「道の王」として人格化されたカミさまなんですね。

実は、このカミは「道の王」と呼ばれる前に「森の王」であった。しかし、植民地支配下で近代化が進む。木が切られて、土が掘り出されて、家が建てられ、道路が建設されていく。森が人間に侵食されていく。だけども、棲み処を破壊された「森の王」は消えてなくならない。そうではなく舗装された「道の王」になってしまう。そうして、やはり人々を呑み込みつづけるんです。

ナイジェリアの人々にとって、「森」というのはどうも人間の住む世界とは異なる異次元の世界なんですね。そこは死者の魂とか魑魅魍魎が徘徊している。下手に迷い込むと大変なことになる。そういう異界なんです。その森を切り払って光が当たるようにするのが近代化なんですが、そうするとなんと今度は近代的な街道が供物を要求し、人を呑むようになる。

そうなると、異界であった森が人間に侵食されただけではない。人間の住む世界が異界に侵食されたことにもなる。今までは森の境界で区切られていた二つの世界が、この境界がとっぱらわれたために相互に侵食しあうわけです。

『やし酒のみ』を読んだとき、どういうわけか私は柳田国男の『遠野物語』を連想しました。日本の民俗世界の「山」というのがチュツオーラの「森」とそっくりなんですね。そこは死者の魂が帰る場所であり、魑魅魍魎が住んでいる異世界なんです。そして、そのような得体の知れない者とカミガミの区別が曖昧である。だから善悪の区別もつけにくい。なにか超人的な力を持つものを「カミ」と呼んだアニミズムのようなものの名残が残っている。

森や山というのは鬱蒼と樹が茂っていて、人を寄せ付けないところがある。見通しがきかないから、その奥に何が潜んでいるかわからない。だから生きてる人間が所属しない世界が向こうにあるという考えが生まれたのも不思議ではない。

果たして『やし酒のみ』の世界がどこまで民俗的なものなのかわからなかったのですが、『満たされぬ道』にもそのような世界観が見られますから、やはり西アフリカの民俗世界に日本の民俗世界に似たようなところがあるようなんです。

違いは、『やし酒のみ』は幻想の世界が舞台です。一種のメルヘンです。トリックスター、文化英雄の話で、時代設定が曖昧です。ユーモアに満ちた日本やギリシアの神話みたいです。自分のノートを見返すと、「吉四六さんによるオデッセイのような語り口」なんて変な印象が書かれてます。

世界にはまだ魔法がかかってる

これに対して、『満たされぬ道』の方は現実世界が舞台です。メルヘンと違って独立前後のナイジェリアの現実的風景と入混じっています。自分は文学の分類はよくわからないのですが、マジック・リアリズムと呼ばれるジャンルに近いものです。

森の王が道の王になるなんて話は、どうもつぎのようなメッセージが含まれています。近代化は世界の理解を合理化して、人々の迷信を打破する。そして世界は脱魔法化される。そういわれている。だけども、どうも近代化は民衆の生きる世界を完全には脱魔法化しなかった

道路が人を呑むだけでない。電気は一種の魔法であるし、電灯が盛り場につくと、それを見に、千と千尋に出てきそうな魑魅魍魎たちが集まって来る。電灯が妖怪を駆逐するどころか引き寄せるんです。そんな世界に人々は生きている。しかも、作者はそれを嘆いたりバカにしたりしていない。むしろこの「迷信」が、人々に不条理な世界を生きる力を与えているかもしれない。

柳田の『遠野物語』はどうでしょう。『遠野物語』の舞台は遠野郷という実在の場所であり、幻想の世界ではない。だけれども、『遠野物語』の読者が住んでいるような都会とは隔絶された「異郷」である。ちょっと読みにくい日本語ですが、『遠野物語』の序文から柳田自身の言葉を引いてみましょう。

わが九百年前の先輩『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり。たとえ敬虔の意と誠実の態度とにおいてはあえて彼を凌ぐことを得という能わざらんも人の耳を経ること多からず人の口と筆とを倩[やと]いたること甚だ僅なりし点においては彼の淡泊無邪気なる大納言殿かえって来たり聴くに値せり。近代の御伽百物語の徒に至りてはその志やすでに陋かつ決してその談の妄誕にあらざることを誓いえず。窃にもってこれと隣を比するを恥とせり。要するにこの書は現在の事実なり。(太字は引用者)

つまり、『遠野物語』に収められた話は、「むかしむかしあるところに」で始まる昔話ではない。「目前の出来事」「現在の事実」であることが強調されています。日露戦争という一つの近代化の一里塚を越えた頃の日本です。その日本にもちょっとアフリカ的なものがあったということです。

確かに初期の柳田には「異郷」に対する関心が強い。台湾の「蛮族」や山人など、いわゆるエキゾチックな他者へのロマン主義的な憧憬がある。遠野郷も日本の異界として位置づけられている。だけども、同時に、それが同時代的な事実であることも強調することを忘れていないんですね。これは「われわれ」の現実であると。

実際に後期の柳田は、都市での近代的生活においてもそうした民俗が根強く残っていることを強調するようになります。他者ではなく自己の中の民俗に注目するようになるわけです。これが他者を切り捨てて日本的なものに回帰したと批判されることもあるのですが、後知恵でみれば、民族学から民俗学への転換とでも呼べる面があります。

そうした民俗は因習かもしれませんが、同時にやはり人々に冷酷な世界を生きる力を与えてもいる。そういう風にも読める。これも後知恵なんですが、そう考えると、アフリカの作家たちに通ずるような視点が見出せる。

そうなると、そんなに遠くない昔には、日本人も西アフリカの人びととそれほど異ならない世界に生きていた。否、今日でもそう遠くないところにいるかもしれない。そういう想像が可能になってきます。実際に、『青年と学問』に収められた「Ethnology とは何か」の中で、柳田自身がこう言っています。

日本の内地なども最暗黒ではない迄も、学問上に知られていないことは、或は中央阿弗利加の或部分に越えている。

日本とアフリカの民俗が似ているとまでは言ってませんが、比較可能であるという認識が垣間見える。

柳田は国際連盟の委任統治委員会の初代委員を務めていて、その際にやはりアフリカや中東について自分がまったく無知であることを痛感しています。同時にヨーロッパ出身の委員がアジア・太平洋についてほとんど無知であることも痛感させられました。だが、柳田はこの認識を更に一歩進めます。日本の内地の民俗について、西洋化した日本のエリートは西洋人並みに無知と偏見に満ちている。近代日本自体が植民地的状況に近い。そのような認識がこのような不用意な(?)発言を生んだ。それにしても、柳田の頭のなかには日本の内地とアフリカの内地はパラレルなものとして並んでいたから、そういう発言が出てきたわけです。

ちがいを大事にしない人々?

日本とアフリカが近い。そんなことを言うと、いろいろな方面から、アフリカと日本を一緒にするなんて怪しからん、というお叱りを受けるかもしれません。でも、自分がこんな文章を書いてるのは、まさにそれをするためです。日本とアフリカをつなぐ「と」があるかもと言いたいわけです。

日本とアフリカだけではありません。日欧の中世史家同士の対談で、阿部勤也が網野善彦にこんなことを言っていました。キリスト教が本当に民衆の生活の中に浸透していったのは11世紀である。それ以前はヨーロッパというのは人類学者の発見したアフリカに近い世界であったのではないか。そういうことを言っておられる。

阿部さんは「森」には言及していないのですが、以前に紹介したフレーザーという人類学者の『金枝篇』という本では、ヨーロッパがかつて「森」であったことが指摘されている。ヨーロッパの古代神は樫の木の神である例が多い。キリスト教化されたのちも、そうした信仰が長いこと民俗文化として残っていたらしい。そうなると阿部さんの指摘もあながち不当とは言えない。

異界としての森とは無関係ですが、もっと大胆なのは、最近読んだルネ・ジラールという人の『暴力と聖なるもの』という本です。詳しい話は後でしますが、ジラールさんは、一方でギリシア神話を題材とするギリシア悲劇、他方で近親相姦や人肉食を行なうアフリカの宗教的専制君主の間につながりを見いだしました。やはりキリスト教以前のヨーロッパとアフリカをつなぐ「と」を発見するんです。

それだけではありません。アフリカにとどまらず、アステカ帝国の血なまぐさいいけにえ儀式をはじめとする世界各地の宗教儀式にも、おなじようなパターンを見ます。さすがにはっきりとは書いてないですが、恐らくキリスト教のジーザスの犠牲もまたその一形態として説明できそうである。こうなると、もう世界中のあらゆる時代が「と」でつながってしまう。

印象論だけで物を言うな、証拠がどこにある。そういうお叱りの声が聞こえてきそうです。だけども、自分はあえてそういう話をしてみたいわけです。残念ながら、もう3頁をはるかに超えてしまったので、残りは次回にしましょう。

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