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【読書日記】斜陽の国で『ブッデンブローク家の人びと』を読む

啓蒙の18世紀に興り、反動の19世紀に没落してゆく、ある商家の物語。著者トーマス・マンの生家がモデルになっている。

君の人生は「鎖の一環」

ブッデンブローク家は、「わが子よ、昼は仕事に喜びもて励め、されど、夜、安らかに眠れるごとき仕事にのみ励め!」というプロテスタント的家訓に忠実に、勤勉と節度と倹約をもって都市の上流階級となった旧家である。

娘のトーニに、恋する相手とは別の男との婚約するように諭す父親の手紙に、次のような一節がある。

私たちは、愛するトーニ、近くしか見えない目で自分の小さな個人的な幸福と考えているものを追い求めるために、この世にあるのではないのです。私たちは、ばらばらの、独立した個別した存在ではなく、鎖の一環です。私たちの前を生きて、私たちの歩くべき道を教えてくれた人たち、きびしく生きて、右顧左眄せずに、りっぱな、尊厳な伝統を守りつづけた人たちを考えずに、私たちの存在は考えられません。(望月市恵訳)

また別の場面では、家長の兄が道楽者の弟をしかりつける。「要するに、君は君だけの君じゃないんだ。」

個人は過去から未来へ続く「鎖の一環」。この鎖とは時間を超えて血統でつながっている家である。家督を保持し継承していくという家の原理に、私情は従属しなければならない。いまを生きている家族の情愛さえも例外ではない。家の名誉を守ることによって個人も浮かぶ瀬があるわけで、キリスト教的というよりも、いつか話をした日本のイエの信仰に近い。

しかし、このドイツ的ビュルガーはフランス的ブルジョワジーにとって代わられていく。新しい世代の商人は、名誉よりも成功、勤勉や倹約よりも気前良さ、伝統よりは自由を貴ぶ。

文明化と生きる力の衰退

啓蒙時代の父祖たちは単純で楽天的であれた。自分が死ぬ直前まで、生きる喜びに疑問を抱かなかった。妻の死に顔を見たときにはじめて、二代目ブッデンブロークは、この疑問に取り憑かれる。

 老人は、つきつめて考えはしなかった。今までの生活と人間の一生を考え、かすかに頭をふりつづけたが、老人には、人生がふいに遥か遠いふしぎなものに感じられ、家にさわがしいざわめきのように感じられ、そのざわめきのまん中に立っていた自分が、いつかそのざわめきから取り残されてしまい、遠くにどよめいているざわめきに、きょとんとして耳を傾けているのだった。……老人は、いくどもつぶやくように一人ごとを言った。
 「奇妙だ! 奇妙だ!」

この世代はドイツ性などということに拘泥せずに、日常の会話にもフランス語が自然に混ぜこまれる。ドイツ人である前にヨーロッパ人であり、すなわち普遍的な人間であると無邪気に考えられた。だから、息子のヨハンを「ジャン」とフランス語発音で呼ぶ。「前進せよ! en avant!」というフランス語が、陽気な老人ヨハン・ブッデンブロークの口癖であった。

だが、19世紀に生まれ育った世代は、若いときからすでに非日常的なものへの繊細で複雑な感情を育んでいる。家業の商売を神聖な義務と心得ながらも、ただ献身的に働くだけでは満たされない自我を持つようになった。宗教的なもの、芸術的なものへの欲求を抑えられない。

四代目の家長トーマスは、そのような弟や息子に苛立つが、そのかれ自身が自分の内部に似たような感情を抑えつけている。心配性で道楽者の弟クリスチアンに対するいら立ちは、おそらくかれ自身がこうなりかねないという恐れから来る。かれが考えないようにしていることを、弟はわざわざ口にしてしまう。これが我慢がならない。クリスチアンはトーマスのアルターエゴでもある。

折しも時代が変わって、勤勉や倹約などの自己犠牲だけでは成功できない。競争が激しくなって、正直な商売だけでは生き残れなくなっている。この内外の変化が、旧家の没落を不可避な運命として予兆する。

イロニー的エロス

1901年発表の作品で、トーマス・マンの初めての長編小説である。マンはドイツ性というものにこだわった作家であるが、古き良き時代、19世紀の市民社会が終わりつつあるという雰囲気のなかで書かれた。ニーチェが広く読まれた時代であり、トーマス・マン自身もショーペンハウアー、ワーグナーと並んで、ニーチェからの影響を認めている。

反民主的、反自由主義的なところがあって、露骨な保守反動と受けとられかねない内容であるが、必ずしも没落する保守的な上流階級に肩入れしているわけでもない。喪われつつあるもの、歴史の敗者にも愛情を持ちつつ距離を保つ「イロニー的エロス」みたいなものが感じられる。チェーホフなんかに近い。

この「イロニー的エロス」という言葉は、マン自身が後の『非政治的人間の考察』という書で用いた言葉である。イロニーであるから突き放して対象化するのであるが、それをするのも愛着ゆえ、という矛盾した方向性をもつ態度のことを、こう表現した。

運命とは酷薄であり、不条理である。これが、トーニの境遇によって強調されている。激しい情熱をもちながらも、家の名誉を守るという関心を兄の家長と共有するトーニであるが、それゆえに彼女は自分を不幸にし、また家の名誉を汚していくという不名誉な役割を割り当てられてる。

しかし、この憎らしい運命に抗わずに、諦念をもって引き受けるという、ショーペンハウアー風の諦念、ニーチェの「運命愛」の影響が感じられる。これがイロニー的エロスとどうも関係がある。

有機体的社会観

四代百年余で興隆し凋落した商家なんてものは、きっと日本でもたくさんあった。二代目、三代目はより複雑で豊かな人間性を持つようになるが、その代わりに先代の「生きる力」を失う。個人の生が幼年・青年・壮年・老年というサイクルを辿るように、一族もまた生命力が次第に枯渇していくかのようである。

19世紀には、「有機体」という考えが猛威をふるった。啓蒙時代の機械論的自然観に反して、宇宙を生命に満ちたものと見る。自然は神が作った機械仕掛けの時計ではない。そこには生命が宿っており、したがって生きようという意志が存在している。この宇宙の運動の第一原因は、死んだ物質に生起を与える「意志」そのものである。そういう考えを19世紀のロマン主義もドイツ観念論ももっていた。

生命をもつのは生物学的個体だけではない。人種、民族、社会、文化なども一種の有機体と見なして、そこに生命の力をみる。生きようとする意志を見ようとする。人体でさえ一種の機械と見ようとした18世紀の(そしてフランス的な)唯物論への反動である。

機械とはちがって、有機体は「成長」する。時計のようにただ盲目的に法則にしたがって動くのではない。さまざまな困難に遭遇し、それを意志の力で乗り越えていく。「反動」の思想は、この人間の自由を高唱する思想でもあった。

だが、生命である以上は、それは誕生・成長・衰退・死というサイクルを辿る。「成長」には限りがある。有機体は不可避的に解体に向かう。ブッデンブローク家もまた、このサイクルを辿った。そして生命力の枯渇した一族の最後の末裔であるハンノの身体の解体によって、一族の歴史も終るのである。

であるから、有機体論的自然観・社会観は、近代以前の彼岸願望や遠くにあるものへのあこがれと結びついて、「死への共感」を伴うものになる。生を賞賛する思想が、逆説的に、生そのものが苦痛であり死こそが救済であるという仏教的な宗教性にも結びつく。

青年ハンノの死因は病死であるが、かれには、若くして現世で生きていたいという希望が失われていたことが示唆されている。かれ自身の年齢とは関わりなく、ブッデンブローク一族の「生きる力」がすでに失われていたのである。

日本の没落?

第一次世界大戦後のヨーロッパでは、シュペングラーの『西洋の没落』が広く読まれた。シュペングラーは、この有機体のライフ・サイクルという比喩を文化・文明に適用して、西洋文明の死を予言した。西洋は、その成長力を使い果たし、もう年老いたのである。

今日の日本もまた、生命の盛りを過ぎて解体過程に入っている。今日の若者が古い世代より複雑で繊細な感情を非日常的なものに対してもっており、「死」というものに取り憑かれているのも、そうした「生きる力」の衰退の表れである。そう言いたい誘惑にかられる。そう言うときに、われわれもまた無意識のうちに、この19世紀的な比喩に頼っている。

これがぼくらの心を動かすのであるが、その際に、この比喩がどこまで妥当なものかを、ぼくらはいちいちチェックしていない。だから、比喩が比喩以上のものになって、一種の形而上学にもなりかねない。

国とか民族とか社会とか文化などというものは、本当に一つの有機体として扱うことができるのか。個人の生はより大きな有機体の「鎖の一環」にすぎないのか。そして、日本のような社会はもう解体していくしかなくて、そこに属する個々人もともに没落していくしかなくて、それを諦念をもって、静かに、愛をもって眺めることが、ぼくらのできる最良のことなのか。

コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。