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七月がもう暑いから酒が飲めるぞ酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ

最初に注意書きであるが、自粛など無視して酒を飲みにいこうという趣旨の話ではない。この機会に人と酒の関係について考えてみようという話である。言うまでもないが、一人一人が責任ある行動をとるであろうと自分は期待している。

さて、ここ一週間くらい、感染症対策としての酒類販売自粛をめぐるごたごたが話題になってる。はっきりとは言われないが、どうも専門家と政府と酒販売店のあいだの思惑のちがいが背景にある(国と自治体の間にも摩擦がある)。

感染拡大防止を使命と心得る専門家にとって問題は単純である。端的に集まって酒を飲ませたくない。

酒を売る方にとっては、酒がないと商売にならない。営業してもいいけど酒はダメというのは、どこかの社長さんが言ったように「生殺し」である。

政治家の事情は少し複雑である。できれば、大いに飲んでお祭り騒ぎしてもらいたい。それが政権や与党への支持につながると踏んでいる。だがそれが感染拡大につながると、無責任という誹りを免れない。自粛は苦渋の決断だ。

だが、あまり問題にならないのは酒を飲む方の立場である。飲まない方がよいようなときでも飲みたい。そう思うのは、何もアル中にかぎらない。酒を売りたい人と売らせたくない人たちの立場はよくわかる。こんなになっても酒を飲みたいという人たちは、いったいどんな人たちであるか。

飲む口実

そういえば歌があった。「一月は正月で酒が飲めるぞ、酒が飲める、飲めるぞ、酒が飲めるぞ」という調子で、一年中飲んでる。豆まきで飲むし、ひな祭りでも飲む。暑いと言って飲むし、寒いと言っても飲む。いったい酒好きの人というのは、いつでも酒を飲む理由を探してる。何にもなければ、つまらないことでも口実にして飲みたがる。

だが、逆に言えば、何か理由がないとなんとなく飲みにくい。ちょっと前までは、一年で酒が飲める日というのは決まっていた。酒屋なんかがない時代には、村の田植えや祭りの日に、庄屋や名主の家で醸造された酒をふるまわれた。その日ばかりは酒を飲めるし、また飲まなければならなかった。だが、その日以外は飲めなかった。その名残りが、まだ残っているらしい。

自分の祖父なども、そういう日が来るのを待ち焦がれていて、飲める日になると本当にうれしそうなニコニコ顔で飲んでいたらしい。というのも、その家の主である曽祖父は飲まない人であったから、婿である祖父としては普段から飲むわけにいかなかったのである。

酒が商品化されるようになれば、いつでも飲める。一升瓶を台所に隠しておいて、毎日晩酌などをするようになった。いったい一人の飲むのであれば、自分を納得させる以外には、口実など要らない。だから、酒を飲む口実は、みんなで飲むために必要なんである。

酔っぱらうことがつながること

柳田国男によると、昔の酒はけっしておいしいものではなかったらしい。清酒という透明な液体になるのは江戸時代で、以前は濁り酒だった。「どぶろく」である。

であるから、今でこそ味や香りの品評などしながら飲む人もいるが、以前はもっぱら酔っぱらうことが酒を飲む目的であったらしい。酒の味がわからん自分などは、今でも多くの人はそうじゃないかと疑ってる。

では、なぜ酔っぱらいたいのか。かつては酒はもっぱら神事の際に用いられた。酩酊状態にならないと、人と神が一体になれないと感じたのである。というよりも、酩酊や陶酔がそういう状態にいちばん近いと考えられた。これは日本にかぎらぬ現象で、酒だけではなく今日では麻薬と呼ばれるようなものの助けを借りて、そうした状態を人為的に作り出した。

酔っぱらった人は分別がない。つまり、自分を忘れている。それが普段は個々人を分けている心の垣根をとっぱらい、また神と人とを隔てる溝をまたぐことを可能にする。いかなる形式にも堰き止められずに、生の流れに合流し、宇宙と一体になることができる。

ニーチェであれば、アポロ的、ディオニュソス的という表現を用いたであろう。彼によれば、分別を要求する理性の神アポロの芸術と、あらゆる区別を無化し陶酔に沈み込む酒神ディオニュソスの芸術の二つが融合し、ギリシャの悲劇が生まれた(『悲劇の誕生』)。当時のニーチェはワーグナーに心酔していた。ギリシャ芸術論にかこつけてワーグナーの芸術を褒めようとしたわけであるが、これが彼の学者としての評判を傷つけた。だが、ワーグナー自身は、自分のやっていることが的確に表現されていると思ったそうだ。

日本においても、酒はアポロ的世界からディオニュソス的世界へ移行するための手段として重宝されたのであろうと思う。

酒に恋する下戸

柳田国男は、現代の酒の飲み方についていろいろと批判がましいことを書いている。ハレとケの区別が曖昧になっているというなかに、酒の問題があった。以前はハレの日にしか飲めなかった酒を、今日ではケの日にも飲んでいる。それでハレの日の感激も割引される。自分の家では晩酌はしない、云々。

だが、柳田の長男である為正氏によると、柳田は酒に片思いに近い感情を抱いていたらしい。下戸なのですぐに酔っぱらって真っ赤になってしまう。だが、なにか酒に対する期待もあって、機会があると飲み過ぎる。自分などもそういう下戸であるから、気持ちはよくわかる。

柳田は理知的、アポロ的な人だが、ディオニュソス的な世界へのあこがれを抱ているようなところがある。だから、彼の民俗学というのは暗い闇の世界を学問の対象にするようなところがある。言ってみれば、ディオニュソス的なものをアポロ的な態度で扱うのである。だから、実証主義な方法論で闇を明るく照らそうとする態度は表面的なもので、その奥には何か暗いものがあるような気がする。

いつぞやも書いたが、彼の書いたものを読む人は、彼のアポロ的な側面よりは、ディオニュソス的な素材のほうに惹かれる人が多い。そういう読み方を許すのは、柳田自身にもディオニュソス的なものに魅せられている面があるからだ。彼の酒に対する関係が、まさにその縮図になってる。

農村の生活や庶民の祭を観察する態度にも、それが見られる。外に立って、だが憧れをもって眺めている旅人の目線である。丸山真男の視線とも渥美勝の視線とも異なる。

最近自分はトーマス・マンというドイツの作家にはまっているのだが、マンは少し柳田に似た気質のある人であるな、と感ずるところがある(奇しくも同じ年に生まれてる。柳田のほうが七年長生きしたが、同時代を生きた)。マンは市民的・俗人的生活と芸術家気質に引き裂かれた(少なくとも自分をそう理解した)人である。アポロ的世界に憧れるディオニュソス的芸術家であるから、柳田とは逆なんであるが、そうなったのは偶然で、柳田もマンのような作家になりえたし、またマンも柳田のような学者になりえたような気がする。

今では芸術も立派な仕事になったから、酒との縁は曖昧になった。「花より団子」は「酒が飲めて騒げれば、何でもいい」という風に解釈されるようになった。だが、団子とちがって酒は腹の足しにならない。目的論的系列からは外れている。団子より花をめでる酒好きというのもありうるわけで、李白のように詩人には酒豪も多い。友人がやってくれば必ず酒盛りする。

こんな時勢に何も集まって酒など飲まんでもいいのに、バカだなあ、と自分のなかのアポロ的な部分は言うのであるが、だが、なぜ人がみんなと酒を飲みたがるのかは、実は自分もよく知っているところである。なんとなれば、自分にもまたディオニュソス的なものが心の奥底に蠢いているからである。ただ、アポロの神に対して言い訳を立てておく市民的な義理だけはまだ感じているから、それであんな歌が他人事には聞こえんわけである。

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