一人、面倒な幸福


例えばおかずを何品も作る
例えば疲れた仕事帰りに悩みを聞く
例えば電車に乗ってボランティアに行く

あなたの笑顔を見たいこと
だれかにつらい思いをして欲しくないということ

ちょっと面倒なときもあるけど
それでもやっぱりやめないこと。

それはつまり

あなたの笑顔を見て
私が笑いたいからであって

だれかの苦しむ様子を見て
私が辛い思いをしたくないということに過ぎない。


あなたが幸せだと私はとても幸せなので
そのために何か出来れば良いけれど
結局それは
自分が幸せになりたい為に、あなたに幸せでいてほしいだけなんじゃない?
何度も繰り返す疑問

でもいいだろう私はそれで。
偽善と言われたこともあるけれど

やらない善行よりやる偽善
間違えたらごめんって言ってもう一度
思ってるだけじゃVRにだってなりはしない



やることに見返りを求めちゃ間違いやすいし

おれがそうしたいから、そうする
だれかの幸せを思って、そうするけれど
その後
『お前のために』
って続けたくなることはたぶんまちがい。

なんにもいらない
感謝もいらない
見返りは自己満足

それは間違っているのだろうかと何十年も堂々巡りして
答えは出ないのに次々と起こる問題
片付くものも風化するものもあるけれど
ずっと考え続ければいいこれからも。

行動の全ては自己満足でも
やりたくなる理由は側にいるだれか
自分で納得することは重要だけど、
独りよがりの押し付けでないことも大切なこと
紙一重



今朝
1時間なりっぱなしの家人のスヌーズを耳に

起こさなきゃいけないのか起こしたら可哀想なのか
遅れて慌てる様子と不機嫌そうにまだ早いのにとぼやく様子を交互に予想していらいら

自分以外の人間を気にかけ時間を割かねばならないというしあわせに
気がつけたしあわせ

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