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noteを1年間書き続けてわかったこと。

先週の土曜日に、毎日更新1周年を迎えました。

365日毎日書き続けたことで、3つのことに気がつきました。今回はそれについて述べようと思います。

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1. 書くのも苦手

「毎日書こう!」と思ったくらいだから、書くことは得意なんだろう。
そんなふうに思っていましたが、とんでもない。得意どころか苦手でした。

①自分が何を言いたいのか、自分でもわからない
②考えていることを言語化できない

この2つが「苦手」の原因です。
以前も書きましたが、わたしは話すことが苦手です。口頭で自分の気持ちを出すことが苦手なら、文字で出せばいいじゃない!と思って始めたのがnoteでした。
が、手段を変えたからと言って、苦手を克服できるわけではありませんでした。頭の中を整理して言語化し出力する、という作業そのものが苦手だったからです。話す・書くなどの手段が問題なのではなく、「そもそも」に問題があったのですね。

ただ、ストレス度は全く違いました。
明らかに、書く方が疲れない。苦手ではあるけれど、苦痛じゃない。むしろ、心地がよいくらいです。
ひとりパソコンに向かい、自分は何を言いたいのか?と考える時間、タイピングをする時間。頭の中が「書くこと」一色になって、静かになります。わたしの脳内はいつも煩いので(ADHDの特性である脳内多動)、この静かな時間はとても貴重です。

自分の気持ちを整理して書き出す。疲れるし時間もかかるけど、心地よいのもまた事実です。


2. 順を追って説明することが得意

「気持ち」のように目に見えないものを形にすることは苦手ですが、目に見える事実を形にすることはできます。
いつどこで何をしてどうなったか、という客観的事実を、順を追って事細かに説明するのは得意です。

これはおそらく、1で述べた「何を言いたいのかわからない」に通じるでしょう。
言いたいことがわからないから、最初から全てを説明する。そうして結論にたどりつく。順を追って全てを説明することは、「言いたいことを明確にするための作業」なのです。
人から見たら無駄な作業かもしれませんが、わたしにとっては必要な作業です。自分が言いたいことを理解するまでに時間はかかりますが、その分、要点にたどり着くまでの過程は丁寧に追えます。

ただ、順を追って全てを説明すると、話や文章が長くなってしまうんですよね。
不要な個所を削ろうにも、どこをどの程度削ればよいのか検討もつきません。「不要」の基準がわからないからです。具体的な基準があればいいなぁ、と思います。

むずかしいですね。


3.フォロワー数に興味がない

フォロワー数を始め、スキの数、閲覧数…noteにおける全ての数字に興味がありません。

なんというか、数字に価値を見出せないんですよね。
わたしがnoteでやりたいことは、人と繋がることでも共感を得ることでもありません。わたしがやりたいことは「自分の考えを言語化して外に出すこと」。目に見えない「考え」を言語化できるか否かはわたしの能力の問題であって、数字とは関係ありません。

また、わたしが書いた記事は「今できる最善を尽くしたもの」です。自分の考えを出力したい一心で書いたものですから、文章の出来がどうであれ、わたしにとっては価値があります。スキや閲覧数が多かろうが少なかろうが、その価値は変わりません。

わたしは今何を思っているのか。何をどうしたいのか。
わたしの興味はそこです。

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一年間書き続けたことで自分の得手不得手がわかったので、毎日noteをした甲斐がありました。

今回もこの記事を書くのに気力を使いました。えらい時間がかかったし(毎日3時間パソコンに向かうのを計7日間)、脳疲労を起こしたのか生あくびも止まりません。まったく、これは何の修行だ。

でも、書いている間はずっと、頭の中が静かでした。自分が今何を考えているのかも少し見えました。

よかったなぁ。


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