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わたしは何を書きたいのか。

書けない。

京都エッセイが書けない。自分がそのエッセイで何を伝えたいのかがわからない。
先日、そんな趣旨の記事を書きました。

わたしは京都が好きです。
「また行くの?」と言われるほど繰り返し京都へ通っていますが、全く飽きません。自分でも「飽きずにまぁ、よく通うわ」と感じますが、だって飽きないんだもの。行く度に新たな発見をしたり、不思議に思うことがあったり。興味がつきないから京都に足を運んでしまいます。これはもう、好き、と言うよりもライフワークに近いかもしれない。

そんな理由もあってか、「京都のおすすめを教えて」と聞かれることもしばしば。京都はわたしの得意分野なので、この質問を受けた時はそら来た、とばかりにものすごくテンションがあがります。
が、わたしの答えに対する反応はイマイチ。なぜなら、相手が求めていた情報とわたしが提供した情報にズレがあったからです。相手が欲しかった情報は、見ごたえのある景色、写真映えしそうな場所、おいしいお店にかわいいカフェ。対してわたしのおすすめ情報はというと地名の由来に京都の歴史。
「そういう情報は聞いてない、マニアックすぎるよ」と冗談交じりにスルーされてしまい、不完全燃焼。しゃべらせて、しゃべらせて!京都の地名っておもしろいんだよ!京都の歴史っておもしろいんだよ!

そうかなるほど。
わたしが書きたいのはこれだ。あの時しゃべれなかった京都の情報。それをここで書きたかったんだ。不完全燃焼を解消するために。
京都の情報を提供したいだけだから、自分の気持ちがわからない、気持ちをどう表現したら良いのかわからないと悩む必要はありませんでした。

ただ、その情報を欲している人(少ないとは思うけれど)にどうしたらその情報が届くのか。情報をどのように書けば良いのか。それらはきちんと考える必要がありそうです。需要があるところに情報を届けたいから。

「そんな情報は聞いてない」

って結構、悔しいからね!笑

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