今年最後の実家てくてく
今日は今年の締めくくりてして、遠方から来た妹とおかんに会いに行きました。
施設に向かう前に、京都駅でお土産の上生菓子を購入。(写真撮り忘れましたが、「老松」という老舗店です。) 自分では滅多に買わないものなのて、世間相場を全く知りませんでしたが、おおむねケーキと同じくらいなのですね。
非常事態宣言が解除されて以来、施設の面会規制が多少緩和されましたが、おかんとの面談は30分以内に制限されています。私はいつでも会おうと思えば会えるのでまぁいいのですが、何時間もかけておかんに会いにくる妹はちょっと気の毒です。和菓子を食べて談笑してたら、30分なんてあっという間に過ぎてしまいます。
施設を後にして私は実家へ、妹はお墓参りへと向かいます。ふたり一緒に行動すればいいような気もしましたが、ここは合理的に役割を分担します。
施設を出て妹と別れた後、なんとなくぽっかり穴が空いたような気分になりました。でもそれが何に起因するものなのかよくわかりません。わからないにも関わらず、深く追求するとあまり宜しくないような気もします。
そんな正体不明な感覚は気持ちが悪く、何かで塞いでしまいたくなります。こんな気持ちが高じて人は過食や買い物衝動に走るのかもしれません。
そんな悶々とした気分を抱えつつ、電車に揺られていると、不意に睡魔が襲ってきました。
夢の中で突然啓示が降りてきました。
ーー 自分は*****だから、*****なんよ。
その言葉を聞いて、突然頭の中がクリアになります。
ーー なるほど!***だから、***なのか!
でもそれは覚醒とともにサラサラと消えてしまい、なにがどうでそうなのか、なんにも思い出せません。
あぁぁぁ、なんやねん。。
主のいない実家のリビングには、おとんの大きな遺影が飾られています。おとんの遺影に向かって、「おとん、来たでー!」だの、「おとん、家ん中寒いわー!」などと話しかけながらサクサクと用事をしながら、小一時間くらい過ごしました。火の気のない家の中は寒すぎて、あまり長居が出来ません。
「おとん、ほんだらまた来年も来るしな。」
最後におとんの遺影にそう話しかけて、実家を後にしました。でも、おとんはじっとしてるような人ではないので、実家にも墓にもいるわけがなく、一体今どこで何をしてるんだろうと思います。
☆余談
「うばたま」を食べました。
漢字で書くと、あるお店では「姥玉」で、別のお店では「烏羽玉」です。昔から食べてたのがどっちなのか、よくわからないのですが、多分字面的に覚えてる「姥玉」の方を食べてたのでしょう。
ちなみに今日食べたのは「烏羽玉」の方なのですが、食べ比べたことないので、両者の違いはわかりません。
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