日本縦断歩き旅《沖縄編》11日目『出会い』沖縄市⇒知念
3時起床。
早く出れば安く済むが、
眠り足りず、5時まで寝てしまう。
やはり、朝に弱い。
疲れていて、あまり道を調べられなかった。
泊まるところの目途が立っていない、
民宿などもとれなかった。
また、野宿になりそうだ。
出発。
この日も暑いが、
漫画喫茶で氷はたくさん貰えたので、
すこし安心。
コンビニでさんぴん茶を買って、
水筒に詰め替える。
坂道が続く。
坂を下ったあたりで、すき屋に入り朝食。
おじいさんの店員さんが、若いスタッフに指導を受けながらレジを打つ。
俺もあの年で、仕事を覚えて毎日動けるだろうか?
ただでさえ今の倉庫仕事がおぼつかないので、
なおさら心苦しい。
あとで知ったが沖縄は離職率が高いらしい。
雲が大きい。
この日は一段と雲が大きく感じた日になった。
蜘蛛の巣。
危うく顔にクモがぶつかりそうで焦った。
沖縄の市街のイケイケの車の横を歩く感じが苦手で、
県道を外れて歩く。
暑く長い道、日影が少ないが、
小さな日影を見つけては、水筒を開けて冷たいさんぴん茶を飲む。
コップに残った冷たい雫も惜しく、
飲み終わると太ももに雫を払う、ピピっと冷たい雫を感じる。
汗でへばりつく服をパタパタして気化熱を期待するが、
汗が多すぎてべったり身体に着く。
スマホを握る手には汗のしずくが浮いていて、
流れた汗が指先に流れる。
濡れた指先でスマホがぬるぬるとしてしまって、
操作がおぼつかない。
ほとんど濡れている服の乾いた場所を探して、
スマホと指を拭いてようやく操作する。
額からは汗が絶えず。
バンダナ代わりのタオルを
逆さに折り返しながら使う。
しばらくすると目の上に汗が流れるほどに濡れてしまって
折り返す。
たまにブンブン振り回して乾かし、
気化熱で冷えたバンダナを巻く。
そんな事を、繰り返しながら猛烈に暑いなか進む。
古く保全されている建物があり立ち寄る。
石油の貯蔵施設だろうか?
ビーチが近いが暑さでバテてきて、木陰を探してまた水筒を飲む。
ビーチが見えた。
家族ずれなどで賑わっていた。
駐車場は車がたくさん止まっていた。
お腹が減ったというより、
涼んで回復するためにお店に入った。
気になっていたA&Wに入ってみる事に。
日本だと沖縄ぐらいにしかないらしい。
飲み物はルートビアがおすすめっぽいので頼んだ。
ルートビアはドクターペッパーに味が近く、
バニラやハッカ系の香りが強い、
薬品のような味にも感じるが妙に癖になる。
甘すぎるのと炭酸が弱いのが残念。
おかわり自由なので2杯飲んだが、店を出た後も妙にまた飲みたくなった。
ハンバーガーはちゃんと具がしっかりして美味しい。
ポテトはカリカリホクホク系ではなく少し、ねっちょりと感じた。
ホクホク、カリカリ系が好きなのでポテトは好みではなかった。
ツイストしているポテトの方があっていたのかもしれない。
広場でイベントが行われていて、
少し立ち寄り、チラ見する。
地域の子供たちのステージがやっていた。
売る覚えだが、
歌われている歌詞が沖縄の過去を忘れない内容だったと記憶する。
ステージから離れて喫煙しながら見ていたおじさんに話しかけられる。
沖縄を一周している話をした。
話しかけられたから答えたのだが、
答えた後に沈黙してしまったので。
先を急ぎますね。と言って立ち去った。
なにか返答が妙で、モヤモヤした。
やはり異質な存在なので、警戒されていたのかもしれない。
あとで知ったが移住者でなく、元々いる沖縄の人はシャイで口数が少ない人が多いらしい。言われてみると最北部で話したおじいさんもシャイだったかも。
橋を渡り川沿いを歩く。
シロサギだろうか。
国道331沿いを歩いていると、
父と子が駆け寄ってきて。
子供が
「がんばってください!」
とドリンク2つとクッキーをくれた。
向かいの通りに停車していた車には
母と娘が車から手を振ってくれた。
おそらく一度見かけて、ドリンクを買ってまた来てくれたのだろう。
ありがとう!
鶏!
行列ができている、ぜんざい屋さんの前を通る。
冷たいかき氷をたべたい時だったので、めちゃめちゃ食べたかったけど、
行列を見るに結構待ちそうなのであきらめた。
あと2日で空港まで行かないと・・・。
不思議な奇岩。
慰霊碑があり、手を合わせる。
8月15日生まれで沖縄の地にラストに訪れる為に、
苦労して飛行機のチケットをとったが、
まだそれらしい事をしていない。
これから、被害も多かった南へ向かう。
妙に雲が存在感があり、
この日は何度も写真を撮った。
旅が終わって帰った後、
仕事への通勤バスに揺られる時、
空を見ると、
この日の雲の事を何度も思い出した。
それほど印象的な空になった。
海沿いのサンサンロードが終わり、国道331に戻る時、急な坂道になっていて息が上がった。
カートがあるので、カートが下へと転がるので、上りきるまで止まれない。
通る車は観光でキラキラしてる、その横で汗だくになって坂を上る。
真夏に沖縄を歩いて一周するのが愚かなのはわかっているいるが、
俺には今しかなかった。
珍妙な目線を向けられなんだが、観られるのが嫌で深く帽子をかぶっていた。
知念岬、手前の地域物産店まできた。
物産店の前で涼んでいると、
声をかけられ、飲み物を2つくれた。
どうやら、声をかけたが気づいていなかったみたいで、
結構、歩かせてしまったみたいだ。
なんかキラキラした観光地で、
浮いた存在がすこし恥ずかしくて、
人と目を合わせないようにしていた事が裏目にでて、
応援してくれる人さえも遮断してしまっていたようだ。
自分の悪い所がでてると思った。
岬への坂道で駐車用のゲートをみて、
入るのに有料かもしれないと思って知念岬を断念してしまった。
今思えば行っておけば良かった。
だが日没までに距離稼ぎたかったし、
寝床の心配もあった。
この先は工事中らしく、警備のおじさんに話を聞いた。
通れない場所があるらしいが、
警備のおじさん自体も歩きの迂回路をよくわかっていないらしかったので、
行ける所まで行かせてくださいと頼んで進ませてもらった。
慰霊碑。
いい事言う。
この辺りは険しく、カーブも多いし車もあるから、
子供が歩いていると交通事故起きないか心配な道だった。
交通事故が多い沖縄。
現地の人のゆっくりした速度と観光客のレンタカーのかっ飛ばした速度の緩急が激しいと聞いた。
だいぶ、海から離れてしまった。
沿岸沿いなら、どこか野宿できるだろうと思っていたが、
だんだん心配になってくる。
日がだいぶ沈んできている。
日本縦断で何度か見かけた道端の図書。
年月なのか、台風のせいか、日差しのせいか、
本がだいぶ傷んでいる。
歌碑が立っていて、写真を撮る。
写真を撮っていると、
ゆっくりと自動車が通り過ぎ、
車が坂へ下るところで声をかけられる。
旅をしている事などを、
簡潔に伝え。
「楽しんでいってくださーい」と窓から声を送ってくれた。
そこから、すこし歩いたところでカワイイ三毛猫がいて写真を撮った。
少し近づくと、においを嗅ごうと鼻をスンスンするしぐさが可愛かった。
絶景が見渡せる道の合流地点で写真を撮った。
すると、さっきの歌碑で話しかけてくれたドライバーが再び声をかけてくれた。
はじめは女性一人だったが、今度は二人できた。
どうやら、もう一人の子供が話を聞きたくて来たようだ。
最初は二人は親子?かと思ったが、どうも母親が若いし、子供が10代ぽかった。
名前をお聞きすると苗字も違うので、地域の知り合いのような感じだった。
苗字は二人とも沖縄の地名だった。
差し入れに飲み物をいただき、
記念撮影などもした。
声をかけられた後、だいぶ日が暮れてきてしまい、
ひたすら歩いていると。
軽トラックから声かけられた。
「旅してんの?」
「どこまで行くの、乗せていこうか?」
「歩いて旅しているので大丈夫です。ありがとうございます。」
「今日どこ泊まるの?」
「海岸で野宿しようかと思って・・・。でも海岸からだいぶ離れちゃって」
「・・・・」
「すぐそこに俺の小屋あるんだけど・・・。」
「ソファーで良かったら貸せるかも。でも、ちょっと泊まれるかわかんないな」
「ありがとうございます。でも、テントあるので庭先だけでも貸していただければ、大丈夫です」
「あー、それなら大丈夫かな。」
そう言って小屋に招待してもらった。
主人の家は別にあって、秘密基地的に趣味で使ってる小屋らしかった。
はじめは小屋の前のスペースにテント使わせてもらう予定だったが、
中に招待してもらい、ソファーで寝かせて貰えた。
小屋の中に招待されると、
民族の仮面など趣味の部屋らしく色々な物が飾られていた。
どうやら、音楽が好きらしく太鼓がいくつもあった。
小屋の主人とは夜更けまで色々話を聞いた。
・主人も旅をしていて、ヒッチハイクをしていた事
・沖縄で太鼓の演奏でストリートで積んできた事。
・沖縄に移住して20年(十年だったかも)ようやく現地の人から認められる実感が湧いてきた事
・日本神話と沖縄の神話の繋がり
・沖縄南部の事
・今は石積みの仕事をしている事
・ヨガの事
・今時代が変わっていて自分のようなライフスタイルが重要になってきている事
・はっぱの話
・宮崎駿の新作の話
・小屋の経緯
・ヤモリの鳴き声
色々、聞かせて貰った。
家族がいるので主人は家に帰っていき。
僕は小屋で寝かせて貰った。
大雨が小屋の屋根をたたき、
ヤモリがクエッ!クエッ!っと鳴いていた。
なかなか寝付けず、
ボディタオルで体中を拭いてサッパリし、
着替えたらリラックスできて眠れた。
寝ている間も、大雨で何度か起きて、
外でテントを張っていたら、テントがずぶ濡れで撤収が大変だっただろうと思うと、小屋の主人に感謝した。
縦断の旅で自分がシャイでご好意を遠ざけてしまっていたが、
一度は人の家で泊まってみたい気持ちが終わりに近づいて湧いていた。
それが最後の最後で叶った。
明日はいよいよ最終日。
終戦記念日生まれとして、戦争資料館に行く。
この日歩いた距離 42km