【報告】ねとらぼを退職しました(&この10年でやってきたこと振り返り)
私事ですが、11月15日をもってアイティメディアを退職し、約10年関わってきたねとらぼの編集・運営業務から離れました。
いやー10年もいたのかと我ながら驚いていますが、いたらしいです(ちなみになんかモメたりしたわけではなくただの転職)。
そんなわけで、この記事はいわゆる退職エントリというやつになります。
ねとらぼという得体の知れないサイトのわりと初期から関わらせていただき、10年かけてそれなりの規模にまで育ててこれたというのは、なんだかんだで自分にとってはかなり貴重な経験でした。せっかくなので、ねとらぼがどのようにしてあの形になったのか、中の人は日々どんなことを考えて更新していたのかなど、怒られない程度に書き残しておきたいなと思います。
(といいつつ結構いろいろ書き散らかしたので、怒られたら五体投地してすぐにごめんなさいする所存です)
自分がねとらぼでやったこと
自分がアイティメディアに入社したのは2012年の5月。ねとらぼの正式オープンが2011年の4月なので、オープンからだいたい1年後に参加したことになります(実は立ち上げにはまったく関わってません)。
業務内容としては、前半の数年間は主に記者として、後半は主にねとらぼ本体の副編集長として、記事の執筆と媒体運営を半々くらいでやっていました。
ちなみに「ねとらぼ本体」というのは、立ち上げ当初からあった純粋な「ねとらぼ」のこと。後からできた「ねとらぼエンタ」や「ねとらぼ調査隊」といったサブチャンネルは基本的に別のチームが運営しており、区別するために内部では、オリジナルのねとらぼのことを「ねとらぼ本体」と呼んでいました。なので、以下で書くことは基本的に「ねとらぼ本体」についてだと思っておいてください。
――で、この10年間でやったことを超ざっくりまとめると、おおむねこの2つに集約できると思います。
入社時点では月間1500万ページビューほどだったのを、ねとらぼ全体で約3億PVにまで伸ばした(本体はこのうち1億PVくらい)
なんやかんやで10年続くサイトにできた
このうち、PVについては子どもの成長みたいなもんで「続けていたらいつのまにか大きくなっていた」という感じなんですが、個人的に良かったな~と思っているのが2番目の「10年続くサイトにできた」という点です。
ニュースサイトって、短期的にガッと儲けようと思ったらわりといろんな手はあるんですけど、それだと焼き畑というかチキンレースというか、いつか大クラッシュを起こして爆発四散してしまう。そういう業界にあって、少なくともこの10年間まあまあ平和に生き残ってこれたというのは、自分的によくやったなあと感じているところです。
そもそもねとらぼって何だったの?
これはけっこう答えに迷う問題で、中の人に聞いても(あるいは読者に聞いても)きっと一人ひとり持ってるイメージが違うんじゃないかと思います。
一応、公式の説明では「ちょっと気になるネットの話題をお届けする情報サイト」ってことになっていますが、これはあくまて立て付けの部分。ねとらぼのねとらぼらしさって、言葉で説明できないような「その外側」にあったと思うんですよね。しかも見ていた時期によって中身もけっこう違う。
だから実は、ねとらぼって何なのかという問いに答えるのは、中の人でもなかなか難しい。一方、言葉にこそできないものの「なんかねとらぼってこういうサイトだよね」という、ぼんやりとした共通意識みたいなものがあったのもまた事実です。
だからこそ、ねとらぼがどのようにして今の形になっていったかというのはちゃんと書き残しておいた方がいいと思うんですよね。ということで、ここからはねとらぼの歴史を、大きく3つの時代に分けて振り返っていくことにします。
2012~2014年くらい:ねとらぼ草創期
最初の3年くらい(僕の入社から数えて)は、ねとらぼの基本的な運営ルールやトーン、扱うネタの基準といった、おおよその方針が少しずつ固まっていった時期でした。逆に言うと、最初のうちはこのあたりが全然定まっていなくて、かなり危なっかしい状態のまま走っていました。
一応、立ち上げメンバーは社内の別メディア(主にITmedia NewsとITmedia Gamez)からかき集められていたので、ひととおりのサイト運営スキルはもちろんあった。ただ、普通のニュースとは違う「ネットの面白い話題」というのをどう扱ったらいいのか、というノウハウについてはほとんど持っていなかったんですよね。
リリースも出ていないようなネットの出来事をどうやってニュースにするのか? 画像は使っていいのか? ソース確認はどこまで/どうやってするのか? ネット上に転がっているネタを紹介するのに許諾はいるのか? その場合どうやって連絡したらいいのか……?
とにかく一事が万事こんな感じで、何もかもが手探り状態でした。必然、このころは今のルールからは逸脱した記事もちょくちょく載っていて(だいたい僕が犯人です……)、今でも一部でねとらぼが快く思われていないのは、このころのイメージがいまだに尾を引いているからでしょう。これについては本当にすいませんとしか言いようがない次第です。
白ねとらぼか黒ねとらぼか
この時期、いろんな失敗や試行錯誤を繰り返しながら少しずつルールやトーンが固まっていったわけですが、中でも大きな分岐点となったのが「白ねとらぼか黒ねとらぼか」という議論でした。
「白ねとらぼ」というのは、できるだけ危ない橋は渡らず堅実にサイトを運営していく方向。「黒ねとらぼ」というのは、当時勢いのあったブログメディアやまとめサイトのように、多少ヤンチャをしてでも、ネットの面白い話題を全部網羅していく方向(もちろん黒といっても、著作権ガン無視、対立煽りや事実歪曲もなんのそのみたいなドス黒ではない)。
――で、僕はどっちだったかというと、“黒寄り”でした。
誤解を恐れずに言うと、当時の僕はまとめサイトにかなり大きな可能性を感じていて、「まとめサイトの『毒』の部分だけを排除し、おいしい部分だけを取り入れたニュースサイトを作れないか」と思っていたんですよね。
まとめサイトが幅を利かせているのって、裏を返せば既存メディアが読者の希望に応えきれていないからで、逆にメディア側がまとめサイトのお株を奪ってしまえば「良貨でもって悪貨を駆逐する」みたいなことができるんじゃないか、とかいろいろ考えはあったんですが……すいませんこの話めっちゃ長くなりそうなんでここでは割愛します。
結局、最終的にどうなったかというと、ねとらぼは「白寄り」の方向で行くことになりました。これは明確に会議とかで「そうしよう」と決めたわけではなく、いつのまにか編集部の総意としてそうなっていた記憶があります。
要は僕の方が自然に折れたわけですが、「白でもいいな」と思うようになっていった理由として「そのままでは扱えなそうな話題でも、ひと手間加えればけっこう扱える」ことがだんだん分かってきたというのがありました。
例えば個人のツイートや作品を紹介したかったら、ちゃんと連絡して許諾をもらう。一次ソースがなかったら企業なり団体なりに問い合わせてコメントしてもらえばそれが一次ソースになる……とか。いざやってみると、意外とみんなOKくれるし、問い合わせの手間についても、「待ち」の時間こそ発生するものの、工数自体は慣れてしまえばそんなにかからない(速報性についてはやむなく犠牲にせざるを得なかった)。
このへんのノウハウがだんだん蓄積されてきたことで、立ち位置としては白に置いたままで、そのままでは扱えなそうだった「うすグレー」くらいのネタならわりと拾えるようになってきたんですよね。
もちろん、それでも「扱いたいのに扱えなかったネタ」は山ほどあり、僕が本当にやりたかった「ネットの面白い話題を全部網羅する」というのはさすがに断念せざるを得ませんでしたが、これはまあ仕方がない。
このとき黒寄りを選んでいたらどうなっていただろう……というのは今でもよく考えるんですが、2016年のWELQ騒動のときはさすがに「白寄りにしていてよかった~!」と編集部みんなで胸をなでおろしました。白に寄せたことで、サイトの成長速度という点では多少緩やかにはなったと思いますが、持続可能性という点で言えば白寄りにしたのは正解だったと思います。
白にするために決めたこと
そんなこんなで、3年目くらいにはおおよその運営方針が固まってきていました。主なものを書き出すとこんな感じ(これも僕が決めたわけではなく、どれも自然にこうなっていった)。
事実確認できるネタしか載せない(うわさや転伝で記事を作らない)
裏とりは慎重に(極力2つ以上のソースに当たりすり合わせる)
個人のネタはちゃんと許諾もらって掲載(ツイート埋め込みは本来利用規約の範囲内だけど、あくまで礼儀として)
コメントもらうひと手間を惜しまない
そのためにスピードは多少遅くなってもよい(プラスアルファがあれば後出しでも読まれる)
個人を蔑んだり、貶めたりするネタは扱わない(特に炎上モノ。ただし企業や団体などが対応するレベルまで延焼した場合は別)
トラブル関係はできるだけ両論併記
「事実9、主観1」を心がける
メディアはあくまで中立であり、特定の意見や思想は持たない
ただし事実10割ではなく「おもしろい!」「おいしそう!」みたいな書き手の主観もちょっと入れる。うちは新聞ではないので、ニュースは楽しく読んでいい
「元ネタ以上の面白さ」を盛らない。ネタそのものの面白さをストレートに伝えるのが本来のお仕事で、書き方や文章で面白がらせるのは違う
とにかく防御力、低姿勢、ドジっ子キャラ(低姿勢ドジッ子キャラについてはTECHSIDEのてっくさんを勝手にお手本にしてました)
目線は読者と同じ高さ。むしろ読者より低くていい
淫夢ネタ(語録含む)は使わない(これはもうちょっと後になってから追加したルールだったかな)
人間が運営する以上間違いは避けられない。間違えたときは素直に謝り、訂正する(おやつ抜き)
「ソースはねとらぼ」と言ってもらえるサイトに
このへんは特に明文化はされていませんでしたが、3年目あたりで急に「ねとらぼ憲章を作ろう」という声がどこかから降ってきまして、最終的に編集長がこんな感じでまとめました。
これは今でもアイティメディアのWebサイト上に掲載されています。なんで急に「作ろう」という声が降ってきたのかは今でも謎ですが、たぶん上からは相当危なっかしいメディアだと思われてたんじゃないですかねw
だいたいここらへんまでがねとらぼの草創期という感じです。
2014~2018年あたり:ねとらぼ拡大期
こうして最初の3年でねとらぼの大体の基礎は固まったわけですが、次に立ちはだかったのは「高すぎる目標」という新たな強敵でした。
最初のうちは会社もあまり期待していなかったのか、目標もゆるめで「まあ社内に1つくらいこういう変なメディアあってもいいでしょ」みたいな雰囲気だったんですが、4年目あたりで急にどこからか「おうもっとPV増やしたらんかい」みたいなミッションが降りかかってきて、編集部一同ひっくり返った覚えがあります。
はっきり覚えてるのは、僕が2015年3月31日に書いた「味覇の中身が変わる」という記事で、この日がちょうど約束の「もっとPV増やしたらんかい」の期日だったんですよね。で、最終日になってもわりと達成できるかできないかギリギリの状態だったところに、滑り込みでこの記事がYahoo!トピックスに載って「キター!」と喜んだのはよく覚えています。まあ、この後も高い目標との戦いは続くことになるので、あくまで「第一の魔王」を倒したにすぎなかったわけですが……。
このへんからPVを意識したムーブが求められるようになり、それまでは大学のサークルみたいな感覚で運営してきたねとらぼも、だんだんと資本主義社会の荒波へと巻き込まれていくことになります。
この時期、特に意識したのは以下の2点でした。
個人プレーからチームプレーに
「ネコとジャーナリズム」のバランスを意識
ウイイレからサカつくに
1つ目の「個人プレーからチームプレーに」については、ひとえに初期メンバーがオールラウンドプレーヤーすぎたというのがまずありました。チーム全体の動きも見えるし、ネタも探せて記事も書ける。「ゴールも守れてシュートも打てる中盤の司令塔」みたいな人ばかりで構成されたチームだったので、それぞれが好き勝手に個人プレーをやっていればそれでうまく回っていたんですよね。
――が、ねとらぼが大きくなってスタッフをどんどん増やしていくにつれて、さすがにそういうオールラウンダーばかりではなくなってきた。
シュートを打たせたら一流だけど自分からボールを拾いにいくのが苦手な人、ディフェンスは得意だけど自分でシュート打つのは苦手な人、普段のプレーではあまり目立たないけど戦略戦術を組み立てるのは天才的な人……(あと遅刻の理由を聞いたら「目覚ましを5時間のつもりが50時間にセットしてしまいました」って返ってきた人とか、富野由悠季をなぜか「富良野由紀夫」と書いてそのままYahoo!ニュースに配信しちゃう人とか……)
もちろんみんな長所はあってそれぞれ優秀なんだけど、とにかくここらへんから「個人プレーのままじゃ無理だわ!」と気が付いた。今までは各自で好きにボール蹴ってればよかったけど、そろそろ監督が必要になってきたというか、ウイイレだと思っていたのがいつのまにかサカつくになっていたというか。具体的に何をしたのかについては、とてもここでは書ききれないのと、一応秘伝のタレということで省略します。
やり方以外で大きく変わったのは考え方で、今までは「自分で書く」ことをすごく重要視していたけど、このへんからは「書くのは別に自分でなくてもいいかな」と思うようになった。
もちろん自分で書いた記事が読まれる方がそりゃー嬉しいんだけど、所詮自分一人でカバーできる範囲や記事本数には限界がある。でもチームで動けば、一人では届かなかったところにも手を広げられる。そう考えると、サカつくはサカつくで面白いんですよね。今の編集部のパーティバランスを考慮して「うーん、ここが足りないから次はこういう人を採りたいな」とかゲーム感覚で考えてみたり(このへんからライターの選考なんかも兼務するようになっていた)。
それともう一つ、「ネタの偏り」とか「取りこぼし」をあまり気にしなくなったというのもありました。
結局、いくら自分が「こういうサイトにしたい!」と理想を掲げてみても、基本的に「今いるスタッフの能力を超えて何かをやろうとする」のは無理なんですよね。
だったら、テレビや新聞じゃないんだから、無理に全部のネタを追わなくていい、むしろ今いる人の属性がそのまま出るサイトにしちゃえばいいじゃん、と考えるようにした。特に自分とは全然得意分野が違う人が、自分には思いもつかないようなネタや企画を持ってきてくれたときは嬉しかったですね。こういうのがチームプレーの醍醐味なんだなと思います。
ネコとジャーナリズムのバランス
この時期もう一つ意識したのが「ネコとジャーナリズム」でした。
要は「わざわざ手間ひまかけてジャーナリズムをやるより、かわいいネコちゃん記事を量産した方が効率がいい」という話で、その欲求にニュースサイトは抗えるのか、という問題です(ネコというのはあくまで「楽に作れてPVを取れる記事」のたとえであって、ネコちゃん記事が悪いというわけではないので誤解なきよう)。
で、ねとらぼも目標値がどんどん上がっていくにつれ、どうしてもこの「ネコに手を出さざるを得ない」という状況に追い込まれていきます。これは白ねとらぼというマジメルートを選んだときから、うすうす予想していたことではありました。
そして、これもしばらくは編集部内でも答えが出なかったんですけど、最終的には「これがファイナルアンサーだろう」というところに行き着いたので、結論から言います。
ネコでPVを稼いで目標を達成する
ネコで生まれた余裕でジャーナリズムもやる
――これがたぶんベストだと僕は思っています。少なくともPVモデルでニュースサイトを回していくならこれが一番確実なはず。
なんでかというと、ジャーナリズム記事ってコストのわりにホントに読まれないんですよね。もし渾身の記事が100万PV取れたとしても、その手間でネコちゃん記事を作った方が絶対儲かってしまう。しかも100万PVは大当たりの部類で、全力投球した記事が全然読まれないなんてこともざらにあるので、平均でならすと「ネコの方が儲かる」どころのレベルではなく、「ジャーナリズム記事は赤字」と割り切った方がいいくらい。
文春オンラインみたいに、PVじゃない別の収益源があればまた変わってくるんですけど(あそこはPVもすごいが)、じゃあ文春じゃない普通のニュースサイトはどうするかというと、やっぱりネコ記事をやるしかないわけです。ネコからは逃げられない!!!!!!
ただ、当然「じゃあネコだけやってればいいのでは?」という声も出てくると思うんですが、これはなかなか難しい問題で、僕は「余裕があるならできるだけジャーナリズムもやった方がいい」と思っています。
なぜかというと、ネコしかやらないとどんどん「サイトが痩せ細る」んですよ。利益とかPV目標とか、そういう表からは見えないところでどんどんインナーマッスルが衰えていく。たまにでいいから「お、ねとらぼやるじゃん」と思ってもらわないと、サイトのブランドがどんどん目減りしていってしまう(この後書きますが、これはもう少し後になって身をもって実感することになります)。
ときおり「ねとらぼどうした!?」と思われるような重めの記事をぶっ込んでいたのもこれが理由の一つで、漫画村とか香川のゲーム条例とかを追っかけていた背景には(もちろんただ担当者がやりたかったというのもありつつ)、ネコ記事との適切なバランスを維持するという意味もわりとあったりしました。
ただ、閻魔様の評価的にはやっぱり「目標を達成できたかどうか」が優先されてしまうので、最後はどうしてもボランティア感が強くなっちゃうんですよね……。せっかく書いてくれた人の評価にもつながりにくいし、ジャーナリズム記事の扱いはなかなか悩ましかった。
さておき、なんとかそこそこPVが取れるメソッドの開発にも成功。あまりやりすぎないように放水量は慎重に調整しつつ、たまには「ねとらぼやるじゃん」と思ってもらえるようなドスンとした記事も出しつつ――という感じで、苦労もしたけど最終的にはなんとかうまく回るようになった、というのがこの時期でした。
2020~2022年あたり:コロナでしっちゃかめっちゃか期
で、最後はここ2~3年くらいのお話です。ここらへんはあんまり詳しく書くと生々しすぎて怒られそうなので駆け足で!!!
ご存知の通り、ここ2年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、ねとらぼもやはりその打撃を受けることになりました。
といっても、巣ごもりの影響もあってPV自体はむしろ伸びたんですけど、打撃を受けたのは「広告」の部分。具体的なところは避けつつあくまで一般論として言うと、コロナ禍で広告業界が全体的に冷え冷えになり、広告単価がガクーンと下がったんですよね。
ということで、なんやかんやあってねとらぼもだいぶしっちゃかめっちゃかになりました(丸めた表現)。すぐ上で「放水量は慎重に調整していた」って書いたばかりですが、事ここに至ってあらゆる放水弁が常時全開状態ですよ。ネコとジャーナリズム? 知らない子ですね……とまでは言わないけど、かなーーーりネコ寄りのバランスにせざるを得なかったのは事実です。
で、さっきちょっと書いたんですけど、この時期、ネコ記事の放水弁をしばらく全開にしたことで、実際けっこうサイトの筋力が落ちてしまった。これはもう「こういう環境になったらどうやったってこうなる」という必然であって、厳しい状況下でがんばってくれた他のメンバーには一切非はないです。むしろこの時期入ってくれた人たちは本当に優秀で、おかげで助けられたことの方が多かった。マジでありがとうありがとう。
とにかく毎日が野戦病院のようなドタバタぶりで、正直ここ2~3年の記憶はあんまり残ってません。それでも直近の半年くらいは新しいネコ記事を開拓したり、おかげで内部の筋力も少しは取り戻せたりして(だから回り回ってやっぱりネコ大事なんですよ!)、どうにかこうにか最後は目標を達成して終わることができた。最後の最後で跡を濁すことにならなくて本当によかったw
そんなこんなで、最後の2~3年はこんな感じでした。最後が一番情報薄くなってしまったけど致し方なし。
その他、在籍中にやったこといろいろ
まだまだ書ききれないくらい思い出があるんですが、ここからは個人的に思い出に残っていることを箇条書きで。
職権を乱用して好きなゲーム(主にOuter Wilds)を布教しまくった
「年中Outer Wildsを布教している人」としてなぜかGame Sparkにインタビューされた
ゲームメディアでもないのに、2022年のゲームデザイナーズ大賞+次点2作品全部記事で扱っていた(Inscryption、7 Days to End with You、Needy Girl Overdose)
はちま起稿にインタビューして叩かれた
はちま起稿をDMMが運営していたことをバラした
静岡出身だったのでちょこちょこ静岡の謎文化記事を書いていた(キテレツをやたら再放送してたこととか、給食のご飯がアルミパックで出てくることとか)
ハンドスピナーが流行るちょっと前に記事にしてビックリするレベルで読まれた
コミックビームの奥村さんにインタビューできた(桜玉吉ファン)
ヨッピーさんに銭湯(水風呂)をオススメされ、ライフスタイルが変わるレベルでハマる
銭湯にハマりすぎて飼い猫の名前を「小杉湯」「玉の湯」にした
TENGAの取材が縁で当時の広報さんと結婚した
子どもの名前が決まらなすぎて編集部チャットで考えてもらった(A柳さんの悪ふざけで危うく「池谷似鳥(イケア+ニトリ)」にされそうになる)
編集長に第一子が生まれたのを記事にした(第二子のときもやった)
自分のときも記事にされたけどそっちはわりと雑だった(ありがとう)
――えーと、なんか補足することあったかな。
銭湯は多いときで月に20日くらい行ってました。いろいろ気疲れすることも多い仕事ですが、その日何があっても銭湯行って水風呂に入ればだいたい完全リセットされるので、このおかげで乗り切れたみたいなところはかなりありました。オススメしてくれたヨッピーさんありがとう。
あと、子どもの名前が全然決まらなくて編集部チャットに助けを求めたら、A柳さんの悪ノリで危うく子どもの名前が「池谷似鳥(イケア+ニトリ)」にされそうだった件。ちょうどこれ書いてるタイミングでこのツイートが流れてきて爆笑しましたw
逆に、やりたかったけどできなかったことも。
CPM(広告単価)の動的なコントロール
クラウドソーシングや編プロの活用
AIの導入
コメント欄の設置、活用
桜玉吉さん本人へのインタビュー(一度実現しかけたんだけどなあ)
どうしても忘れられないHagexさんのこと
特にやりたかったのは「CPMの動的なコントロール」ですね。
CPM(広告単価)というのは編集部がコントロールできない要素の一つで、極端な話、広告単価が半分に落ち込んだら編集部は今までの2倍PVを稼がないといけなくなってしまう(売上じゃなくてPVを指標にすればいいんだけどそれはそれで別の問題が出てくる)。最悪、広告単価の良し悪しでサイトのカラーまでガラッと変わってしまうわけで、ニュースサイトとしてそれはどうなのかとずっと思ってました。
ということで、例えば広告単価が下がったらいっそ思いきって広告を挿入する数をドバッと増やすとか、位置をもっと目立つ場所に変えるとか、広告の景気に応じてサイト側でダイナミックに調整することで、「PVあたりの広告収益」は常に一定値にできないか……みたいなのをやりたかったんですが、いかんせん大掛かりすぎて無理でした。
それから忘れられないのがHagexさんのこと。
Hagexさんとはイベントで少し会ったことがある程度の間柄だったんですが、あの事件はやっぱり自分にとっても衝撃が大きかった。
特に堪えたのが、犯人の動機がインターネットの書き込みだったということ。ネットが大好きで、少しでもネットを楽しい場所にしたいと思ってこの仕事をしてきたので、そのネットが媒介となってこういう不幸を招いてしまったことは、今でも喉の奥にずっと刺さっています。
だから今でも、たとえその人自身に何か落ち度があるとしても、その人自身を叩いたり、嗤ったりすることをエンタメにするのはすごくイヤ。
インターネットはやっぱり人を幸せにするものであってほしいし、ああいう事件がまた起こったりすることがないように、何か自分やメディア側にできることはないのかなあ、というのはあれからずっと考え続けています。
最後に
気付けば1万字を超えてしまった。長い長い独り言に、ここまで付き合っていただいてありがとうございました。
ねとらぼに入る前はフリーライターで、たまたま当時付き合っていた彼女にフラれたタイミングで今の編集長に誘われ、サラリーマンになることを決めたんですけど、この10年で得たものは思っていた以上に大きかった。
ライターと編集って似ているようでけっこう違っていて、ライター志望の人も一度でいいから編集を経験しておくと、ライターの立場では見えなかったものが見えるようになるのでオススメです。どうすれば記事がもっと読まれるのか、どうすればバズるのか、自分が好きなものと読者が求めるものの違い、記事のタイトルの付け方、どういう文章がいい文章なのか、とか。
あとビックリしたのは、退職の挨拶をしたら思った以上に「ねとらぼ=僕」と認識してくれている人が多かったこと。
最近はそんなに記名で記事も書いてなかったし、裏方に回ることも多かったのでちょっと意外だったんですが、考えていればねとらぼの人たち、僕以外あんまり「ねとらぼの人」って大っぴらに名乗ってないんですよね。
あくまで僕は「ねとらぼ本体の副編集長」であって、「ねとらぼ全体の編集長」はこの人です! 苦情は僕じゃなくてこの人に言うように!
それから「ねとらぼの次はどこ行くのか」ということについても書いておくと、実は11月16日からBuzzFeed Japanで働いています。
周囲からは「なんでBuzzFeedに!!!!」「絶対ないと思ってた」「似合わない!」とかさんざん言われていますが(やかましいわ)、そこらへんについてはまたの機会に。
とりあえず、この間書いた記事が初ヤフトピを飾ったりして元気にやっています。
いい加減長くなってきたので最後にお礼を。
特に編集部の皆さん、ライターの皆さん、こんなフニャフニャした副編集長に最後までついてきてくれて本当にありがとう。いなくなった後も記事楽しみに読んでます。
そして何より、ねとらぼを読んでくださった皆さん。
結局、最後にサイトのトーンを決めるのは「読者」です。ねとらぼが白ルートを選んでもなんとかやってこれたのは、そんなねとらぼを受け入れてくれた読者がいたからこそだと思っています。
ねとらぼも人間が運営しているので、これからもたまに失敗することはあると思います。そのときは「素直に謝り、訂正する」というのがねとらぼのスタンスなので(担当者はおやつ抜き)、ぜひ今後も生暖かい目で見守ってやってください。
それでは、10年間ありがとうございました!!!!
おまけ:自分的お気に入り記事10選+1
以下、掲載日順で。
1.「ねとらぼ」だから「虎坊」に行きたい――編集長の無茶ぶりから始まった、謎と神秘の「虎坊」探訪記
虎坊という地名がある、というだけの無茶振りで佐賀まで行ってきた記事。「行って終わり」ではないのが好き。2012年1月なので入社前ですね
2.TENGAで世界一をもぎ取った、若き世界チャンプの素顔
このときの縁が巡り巡って結婚しました。これも入社前
3.「アニメ不毛の地」の現実 なぜ静岡は「キテレツ」「ONE PIECE」を延々再放送するのか? 編成担当者が語った理由とは
静岡ネタシリーズの中ではこれが一番好き。子どものころからずっと思っていた「なんでキテレツばっか放送してるんだ……」の疑問を大人になってから掘り下げた
4.ARROWS vs iPhone 山暮らし対決! ベテランの猟犬が選ぶスマホはどちらか徹底検証
ヨッピーさんと一緒に取材行ったやつ。この帰りにヨッピーさんが「この近くにあるスーパー銭湯に寄りたい」と言い出し、これがきっかけで銭湯(水風呂)にハマりました
5.【速報】ねとらぼ編集長に第1子爆誕 3126グラムの元気な女の子
編集長の第一子誕生を勝手に記事化。ホントに勝手にやりました
6.「“読者のニーズが”とか言ってるヤツを見ると、ムカッと腹立つんですよ」 20周年を迎えた「コミックビーム」が目指すもの
長年の桜玉吉ファンとして、コミックビームの奥村勝彦編集総長にインタビュー。「O村さん口調」を文章で再現するのにこだわった。インタビューの中身もすごく面白いと思います
7.アメリカでは流行しすぎて禁止令も 謎すぎる玩具「ハンドスピナー」がついに日本でも流行の兆し
多分在籍中に書いた記事の中でこれが一番読まれた。うちの猫ちゃんズ(小杉湯・玉の湯)も登場
8.「LA-MULANA(ラ・ムラーナ)」というゲームのこと、1人のゲームライターの人生のこと
好きなゲーム紹介にかこつけた自分語り。ある意味、フリーライター→ねとらぼへの転職エントリでもあります。LA-MULANAはウルトラ超絶おもしろゲームなのでもっと知られてくれ
9.【木村祥朗×堀井直樹×なる×ZUN】「BLACK BIRD」爆誕祭 なぜゲーム開発者はシューティングを作りたがるのか、「原点にして究極」と語るその魅力
すごい豪華な顔ぶれで「なぜゲーム開発者はシューティングを作りたがるのか」という疑問について語った座談会。なるさんはこのあと「天穂のサクナヒメ」が大ヒット!!!
10.香川ゲーム条例、パブコメ原本を入手 賛成意見「大半が同じ日に投稿」「不自然な日本語」――あらためて見えた“異常”内容
会社の会議室にA4用紙の束を広げて、キショ松さんとヒイヒイ言いながら集計した思い出
11.【寄稿】太陽系消滅までの22分をループし続けるオープンワールド宇宙ADV「Outer Wilds」がとんでもない傑作だった
あれ、10選のつもりが11個あったw Outer Wildsに狂って書いた最初の記事。もともとnoteに書いてたのを、僕が職権を乱用してねとらぼに転載させてもらいました
おまけ:【速報】ねとらぼ副編集長に第1子爆誕 2908グラムの男の子
子どもが生まれたとき、編集部のみんなが書いてくれたやつ。ありがとうありがとう
今度こそおしまい。