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火垂るの墓を小1の息子と見て、見方が全然変わった話。

家族で数年ぶりに火垂るの墓を見ました。昔はいつ見たかは覚えていないのですが、当時は「開始数分で泣く映画だ」と言われ期待してみたものの、理解力の乏しい小さい頃の自分にとっては、ただただ、戦争って怖いなっていう映画だった印象でした。

子どもが小学生になり、この夏は戦争や自分の置かれている身は当たり前ではないことを少しでも感じてもらえたらと思い、まず、火垂るの墓を見ました。見たあと、小学校1年生の息子は涙をこらえきれない様子でした。こういった感情がわかるようになり、抑えれない気持ちも出てきたようで、成長を感じました。#こうやって大人になっていくんだ。

本来なら、金曜ロードショーにて、見せてほしかったのですが、最近はやりませんね。調べてみたら、いろいろな大人の事情があるようです。世代を超えて、戦争の悲惨さを伝えることができる素晴らしい映画なのに、以下のような理由が事実なら残念で仕方がありませんね。

家族をもってこの映画をもう一度見たら、ぜんぜん違った

話をもとに戻しますが、家族をもって(あるいは、一定大人になって)この映画を再度見ると、見方が全然違って、本当に「これ以上見ていられない」という言葉がふさわしい映画でした。(親の立場で見れば、開始1分で涙でしたwww)

どこに共感があったか?

この物語は、「4歳と14歳で生きようと思った」という衝撃的なキャッチフレーズで有名です。この通り、14歳(今でいう中2かな?)の清太が4歳の節子と二人で戦争中に必死で生き抜こうと思った物語です。

僕はとにかく、清太の行動に共感しかありませんでした。もともとは裕福な家庭で育っていた清太ですが、母を空襲で亡くしてから、自分自身で節子を育てていかなくてはいけなくなり、必死になります。

必死になるというのは、具体的にどうなったかというと、
病気の節子のために、盗みを働いてしまったり、善悪の判断がつかなくなってしまったことです。

これは、空襲中に空き家になった家に入り、着物や食べ物を盗みにいったシーンです。だんだんなれていくと、清太は「もっとアメリカ軍空襲やれ」と空襲を煽るようになります。(空襲で母を失ったのに・・・です)

ただ、これは、個人的な意見としてはやむを得なかったと思います。
以下のような記事もありますが、

この時代では、もっとお国のためにできることがあったかもしれませんが、節子のためと思ったかもしれません。まだ中2です。中2の彼に見通しを持って行動できたかというと疑問です。今、目の前にいる節子が大事なのですから。

また、上の記事にあるように、清太の自己責任論という意見もあります。ただ、清太の環境が清太をあのような状況においやってしまったと思います。

社会のつながりがなくなってしまうと、善悪の判断もつかなくなるかもしれません。

何が良かった、とかではなく、見方を変えると、さまざまな人のそうせざる負えない考えや行動が理解できました。#叔母さんの行動もやむを得なかったかもしれない

なにはともあれ、非常に考えさせられた映画でした。節子が最後死ぬ間際に「お兄ちゃん。おあがり・・・」というシーンもこの記事には関係ないかもしれませんが、最後まで自分だけでなく、お兄ちゃんのことを思っていた節子には涙なしでは語れません。

この映画を見て、公助、共助、自助について考えた

清太は社会関係を断ったことによって、自助で頑張ろうとしました。しかし、だめでした。やっぱり、共助、公助は欠かせません。この映画で言えば、共助は叔母、公助は医者、あるいは、交番の警察でした。

今から言えば、叔母や医者、警察が若い青年になにか声をかけていたら、変わったかもしれません。また、清太が大人にすがっていれば、変わっていたかもしれません。当時の環境はそこまでの余裕がなかったかもしれません。

この映画を見て、今まだ根強い格差社会において、しんどい層の子どもたちへの共助意識、公助意識、そして行動を忘れてはいけないと改めて思いました。

一度見た方も、もう一度御覧ください。

ちなみにフランダースの犬も見ました。こちらの映画も同じく、考えさせられた映画でした。


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