私が適応障害になったときの話をしょうか

2023年心も体も破壊の限りを尽くし6ヶ月休職、もう社会復帰出来ないと思いました。今は…

私が適応障害になったときの話をしょうか

2023年心も体も破壊の限りを尽くし6ヶ月休職、もう社会復帰出来ないと思いました。今は完全に自分を取り戻し働いています。この道のりがいつか誰かのお役に立てます様に。そして一人暮らしで療養している人へはひとりじゃないし絶対大丈夫だと伝えたい。

最近の記事

5.私、休職するらしいよ

「今日、ちょっと病院へ行って来たら休職の診断となりました」 会社へ電話するのは想像の50倍ぐらい本当にしんどかったが、他人事の様にかけたら案外ちゃんと出来た。 (あ〜どうしょう…)なんて真剣に考え始めてしまっていたらスマホ片手にフリーズして一生かけられなかっただろう。 下手したら休職診断書を持ったまま休み明けにそのまま会社に通い始めた可能性もある。 しかし、もはや考える力も気力も何も残っていなかったので普通に電話出来てしまった。 (最後まで職務を果たせなかった。) (で

    • 4.烙印

      2年間、つらかったですね。 前日までの(理解されなかったらどうしょう)という心配は、霞が晴れるように消えていった。 医師は、当たり前の様に状況を理解してくれ あっけなく休職の診断書が出された。 この日の診察の内容はよく覚えていない。 一体、何を話しただろうか。 「とにかく心と身体を休めたい」それだけだった。 帰り道 これで首を吊らずに済んだんだと思った反面 精神疾患を発症した私はもう会社で同じポジションには戻れないかもしれないと思っていた。 数年前までは、お金がなくて

      • 3.診察室に辿りつかない

        本来ならば、もっとはやく病院にくるべきだった。 自閉症スペクトラムや、発達障害を調べるテストを何種類も受けさせられた。 今の私はHPが7しかない。つらい。 家庭環境や人生の生い立ちも詳しく聞かれる。 両親は仲が良くなかったので話したくなかった。 親の仲が悪かった事は一人っ子の私にとってトップシークレットだった。悲しすぎて誰にも話せない。 『答えたくない』と伝えても若い男性心理士さんは許してくれない。 最終的に耐えきれなくなって二人とも死んだと嘘をついて、無理やり解決

        • 2.はじめてのメンタルクリニック

          私が藁にもすがる思いで(10秒で)選んだ病院は、なんだかPCRセンターみたいだった。 薄緑色を基調にしたテーマカラーで ソファではなく簡易的な椅子がソーシャルディスタンスを保って並んでおり 待合室から外の道路に通じるドアがなぜか全開だった。 突然大声を出す人が居るから逃げられるようにこうなっているのかもしれない。 (実際、通院してそんな人は1回も見なかったのだが)とか 今の私はiPhoneでいうとバッテリー残量が4、いや7ぐらいかな。9じゃないな、とか考えていた。 予

          1.自分が、ぶっ壊れてしまった

          2023年6月、 ついに私は一睡もできず会社に行くようになってしまった。 病院に行かなければ、病人ではない。 そう思って誰にも悟られないよう “自分は普通だ”と言い聞かせ、2年間は毎日出勤していた。 毎日、身体は鉛のように重く、全身が痛くて、 それに耐える事が自分の人生のすべてだった。 病院にいけば、必ず何かしらの病名はつくとずっと思っていた。 近くの大きな駅名+メンタルクリニックで検索して 1番上に表示された病院に電話できた。 この日の自分を褒めてあげたい。偉かっ