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“クリエイション”へのコンプレックス

勝手にこじらせ話をします。
クリエイションという行為や作品を貶す意図はなく、「私の気持ちの変化」に焦点を当てた内容です。「コンプレックスに感じていたものを受け入れられるようになって安心した」という趣旨の小話なので、苦笑いでご一読いただければ幸いです。



演劇≠クリエイション

今まで「演劇と名乗る“クリエイション”」が本当に苦手だった。まず、私は演劇=エンターテイメント(客を楽しませるもの/某かの感慨を与えるもの)と考えているので、演者と観客は基本的に区別されるべきと考えているし、未だにこの考えが強い。
もちろん演者と観客の呼応が演劇の魅力だとは感じているけれど、それは私が「演劇の作り手を経験したことがある」又は「創作活動に関心がある」から魅力を感じているだけであって、要は属性が合う人との内輪ノリを楽しんでいるに過ぎないと捉えている。

クリエイションに求められるもの

一方で“クリエイション”を名乗る団体の作風として、「観客に一定の文化的感度の高さを求める」側面が強いと感じている。これは明確な根拠などなく、ただの肌感、暴論です。すみません。暴論からお気持ち表明をしていきます。

エンターテイメントが演者と観客を比較的はっきりと区別し、だからこそ観客に対して求めるものが少ない(=門戸が広い)のに対して、クリエイションは取り上げるトピックこそ普遍的なものの、そのまなざしには一定の教養・文化的感度の高さが不可欠な気がしてならない。そのまなざしを貧困やメンタルヘルスの中でも得られた人は、一定以上教養のある人たちなんじゃなかろうか、とどうしても思ってしまう。少なくとも私のまわりではそのように見受けられる。

クリエイションに対するコンプレックス

多くの人はどうにもならない苦しみの前にはひれ伏すだけだし、そういう人たちを無条件に救ってくれるのはエンターテイメントの方だと、今の私は考えている。自分が定める人並みを上手くこなせなかった私はエンターテイメントには居場所を感じたが、クリエイションにはずっと居場所を感じられなかった。教養のない自分にクリエイションと関わる資格はないと思っていたし、作品にも私を受け入れてくれる余白はないとずっと思っていた。
エンターテイメントが現実から逃れられるほどの高揚感をもたらしてくれるのに対し、クリエイションがもたらすのは教養のない自分という現実で、身なりのととのった人たちに混ざって作品を観たあとは晴れない顔をして帰るというのが、私の「あるある」だった。

自己肯定感のお話

しかしここ1,2年、クリエイションに対するコンプレックスが薄れてきている。理由は2つある。

浅ましい(?)自信がついたから

1つ目は単純で「私は教養があるのかもしれない。」という浅ましい自信がついたためである。現金なヤツめ。ただ自己肯定が高まっている点は素直に喜ばしい。長生きできる兆しが見えてきており、福音である。地獄にアイデンティティーを見出だすと「死」という選択肢しか選べなくなるので、これは非常によい変化だった。堂々とさせてください。

創作プロセスに魅力を感じたから

2つ目に「“クリエイション”を掲げる団体」の創作プロセスに魅力を感じたためである。結局、「創作プロセスを楽しむ」という内輪ノリからどうしても逃れられない。1つ目の理由と重複するが、そういったまなざしを持てているということは教養がついたのでしょう、とも感じている。

私が思う、エンターテイメントの抱える汚点/問題点として、以下2点がある。

①「観客を楽しませるためなら演者が壊れてもいい」と考えている人が一定数居ること。「創作過程がつらいほど作品が面白くなる」と勘違いしている人が散見されること。

②「作品が面白ければ客は勝手に来る」と甘んじ、広報/ブランディングのクオリティがお粗末な団体が多いこと。

私は某かの創作活動で飯を食っていない、食えていないので正直プロではない。プロではないけれども、上記2点に関して「これがプロ(セミプロ)のやることか?」と感じる事象はままある。特にエンターテイメントの気風が強い、ごく一部の団体に対して。一方で、これらの問題点を解消しようと取り組んでいる団体が「“クリエイション”を掲げている団体」であるケースも、非常に多いと感じている。

作品は面白いと思うのに、その過程は素直に許容できない(こともある)「エンターテイメント」と、出来上がった作品を面白いと感じることは少ないけれど、その創作過程には魅力を感じる「クリエイション」。この2つをいいとこ取りするにはどうしたらいいのか。答えはまだでていない。

「クリエイション」を名乗る人たちの教養と意識の高さ

これに帰結する。コンプレックスだと感じていたものが、結局は私の求めていたものだった。それだけである。長々と書かせていただいたが、本当にこれだけの話だ。コンプレックスを受容できるようになったことが劣化なのか成長なのかはまだわからないけれど、自分の変化を、自分だけは前向きに受け取ろうと思っている。


以上!終了!!とりとめのない文章をお読みいただいてありがとうございました。新宿三丁目のベローチェより愛とコンプレックスを込めて。無理矢理終わりにします。皆さんよい週末を過ごせますように。

「ほ~ん、なかなかよかったですよ。」と思われた酔狂な方は、以下よりサポートいただけましたら幸いです。気が向いたときだけで十分です。ありがとうございます。