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真面目も悪くないと思わせてくれてありがとうございました。

将来について悩んだとき、必ず思い出すことがあります。大学時代に所属していたゼミの講義です。冗談抜きで落ちこぼれだった私が、唯一真面目に出席していたのがこの演劇ゼミでした。
(ちなみにどれくらい落ちこぼれかというと、偏差値55の大学で第二外国語を4年生まで履修していたくらい落ちこぼれです。とくに理由があって落ちこぼれたのではなく普通にサボって落ちこぼれました。)

本当に、私はこれからもこの思い出を糧にして生きていくんだろうなと思ったので、未来の自分を励ますために書き残しておこうと思います。


演劇ゼミの話

申し込みで必ず失敗する女

まずはゼミに申し込むまでのお話。この演劇ゼミに申し込むにあたって「イギリス文学概論」という授業の履修が推奨されていました。…が、1限開講やら授業の難易度が高いやらで、私は案の定履修放棄してしまいました。しかも履修放棄してから、演劇ゼミの履修推奨科目だと気がつきました。何もかも手遅れの人生。

ダメ元で「イギリス文学概論を履修放棄してしまいましたが、演劇ゼミへの所属を検討しています。こんな自分でも授業についていけるでしょうか。」という旨のメールを教授に送りました。今思い返してみても「そんなん知ったこっちゃねーよ、お前が悪いだろ。」の一択です。
どうせ「そんなん知りません。」的な返信がくるのかと思いきや、教授から以下のメールが届きました。

当該学問領域を真面目に勉強したいという強い意欲さえあれば、基本的には「何も」障害はない筈です。「一学期の授業が個人的に難しく、履修放棄するに至」ったと書いてあるのは、貴方が「高い理想」を持っている証拠だとは考えられませんか?

そうだとすれば、選択肢は二つだけでしょう。
その「高い理想」に向かって前向きに努力するか、何処かで諦めてしまうか...。(努力する方が、きっと後悔が少ないのではありませんか?)

では、何が「難し」かったのか、何が足りなかったのか、「よく」考えてみましょう。それが単なる「知識」だけなら、話は簡単です。登録用資料には「参考書」が色々挙げてありますから、その書籍に書いてある参考文献なども含めて、図書館で事前学習を始めましょう。(最初は日本語の文献からで構いません。)
その書籍の周りには沢山の本が並んでいますから、「現在の」自分の力量を見極めつつ、色々な工夫をしながら「前向きに努力」してみましょう。

また、映像資料も大いに参考になると思います。
(地方出張先からの返信が遅くなった)○○より。

本当に、このメールが自分の人生を変えてくれたと思っています。
この教授に出会うまで、お恥ずかしながら「後悔が少なくなる行動を選ぶ」という考え方すら知りませんでした。人生は失敗と成功の二択で、失敗して満足のいく結果を残せなければ、それまでの過程は意味のないゴミだと(わりと本気で)思っていました。そしてそんな凝り固まった価値観をバコーンと壊してくれたのが上記のメールだったわけです。あとカギカッコ多用するところが大学教授らしくて好きです。

幸いにも演劇ゼミはなぜか基本的に定員割れしており、これといった選考もなく、私は晴れて第一希望のゼミに所属できることになりました。

あとから察したことですが、いわゆる「救済措置」にあたっていたのがこのゼミだったように思います。留学ではなく、落単や不登校で大学5年生になったであろう先輩たちが数名在籍していたからです。ゼミの所属にあたってこれといったレポート提出などを設けていなかったのも、教授なりのやさしさだったのかもしれません(詳細はわからないけど)。

真面目もなかなか悪くない

それまでは遅刻・落単・サボりの常習犯だったので、教室はいつも居心地の悪い場所でしかありませんでした。ですが、そんな価値観を変えてくれたのも演劇ゼミでした。上記のメールを受け取って以降、私はこの教授の授業だけはきちんとノートをとるようになっていったからです。優秀とは言えないまでも、人並みに授業を楽しめるようになったことが本当に嬉しかったのを覚えています。のびのびと勉強する楽しさを教えてくれた教授には感謝しかありません。

そんなこんなでゼミも2年目に突入したある日、学食で教授とばったりお会いする機会がありました。一緒に学食の列に並んでいると、教授は「高井さんはいつも積極的に発言してくれるし、授業を進めるうえで助かっていますよ。」と話し掛けてくださいました。「私的なお礼はできないのでお茶でもどうぞ」とトレーにお茶を置かれ、その後ろ姿を見送りました。

(醤油ラーメンには熱いお茶じゃなくて冷たい水だと思うんですけど…)とか(違うんです先生…いつも真面目なわけじゃないんです…私はフランス語が再々履です……)とか思いつつ、メチャクチャ嬉しかったです。そもそも「真面目に頑張って褒められる」という経験が人生でほぼ初めてだったように思います。

というのも「人生は失敗と成功の二択で、結果の出ない努力はムダ」と本気で考えていた自分にとって、真面目に過ごすことはとても怖いことだったからです。「真面目にやって失敗」が何よりもみっともないと思っていたし、恥ずかしかった。真面目にやっていなければ言い訳の余地があるけど、本気で挑んで失敗したら言い訳の余地はない。真面目に挑んで醜態を晒すくらいなら、適当に手を抜いてプライドを保っている方が安心できました。

しかし、ここでも教授の一言が認識を変えてくれました。お世辞にも優秀とは言えず、輝かしい結果は何も残していない学生でしたが、真面目に頑張るのも悪くはないんだなと心の底から思えました。先生、真面目も悪くないと思わせてくれて本当にありがとうございました。あと、ゼミ生で映画を観たときの差し入れが、賞味期限切れのカントリーマアムでしたね。なんだか面白かったです。

最終講義

そして迎えた最後のゼミ。この講義は4年生の自分にとっても「最後の」講義だったし、勤続三十数年の先生にとっても「最後の」講義でした。いつも通りシェイクスピアの話をしたあと、先生はこう仰っていました。

「…まずは受け入れるところからスタートしなさい、ということがここでも言えると思います。困難であろうと運が良かったり悪かったりするんですから。上手に受け入れて、上手に肥やしにできるかどうか。それができれば立派な人生ですよ。」

「皆さんね、有名になる必要なんて全く無いんですよ。自分が好きなことや面白いと思うことをやってみて、それで個性が広がればそれでいいんです。それで周りの人から『ああ、あの人と出会えてよかったわ』って言ってもらえたら、それでいいじゃないですか。」

もう本当に、この2つの言葉だけは忘れないようにします。第3志望の大学に通って、大学4年生の11月まで就活して、入った会社も1年未満で辞めた私ですが、この言葉だけは忘れず抱えて生きていきたい。

次回に続きます

お気持ち整理も次回で一区切りつきそうです。

「ほ~ん、なかなかよかったですよ。」と思われた酔狂な方は、以下よりサポートいただけましたら幸いです。気が向いたときだけで十分です。ありがとうございます。