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自然とアスファルト | HINATABOKKO

札幌にも、ようやく夏がやってきた。歩くだけでじんわりと汗をかく、そんな陽気。こういう日は梅シロップのソーダ割りがいい。とろっとした飴色のシロップに炭酸を注ぐ。シュワシュワッと爽やかな音を聞くだけで、体温が少し下がったような気分になる。

ソーダ割りをすすりながら、窓の外の一本の木を眺める。我が家の庭には、松の木が生えている。樹齢はわからないのだけど、多分自分よりもずっと長いこと、生きているのだろう。カラスがよく巣を作るからと、あたまの方を斬られて以来、少し不恰好な形をしている。

自分の数少ない日課のひとつに「歩くこと」がある。夏は朝の日差しが強く、目的地に着く頃には汗でビショビショになってしまうから、夜歩くことが増えるが、春と秋は必ず朝歩く。

朝、冷たい水を浴びて目を覚まし、イヤホンで好きな音楽をかけて、ずんずん歩く。目の前に人が見えると、競歩でもしている気分になり、ずんずんと追い越していく。そう、私はせっかちだ。近頃は少しWEBサイトのローディング時間が長いだけで、更新ボタンを押したくなるし、CMはすべて即飛ばす。何かを忘れているような、ないがしろにしているような、そんな予感がするが止まれない。全身ハリネズミになったような、歩いているだけで周りを傷つけている予感がするが、ずんずんずんずん進んでいく。そうやって歩いていると、体の外にも内にも薄い膜を張っているようになり、周りのことだけでなく、自分のことも分からなくなる。もうアスファルトしか見えなくなり、まったく同じ繰り返しのこの道を早く抜け出したいと、ハリネズミはほぼ駆け足になる。

ふと明るい光を感じて、顔を上げると、公園が姿を表した。一歩、足を踏み入れて、イヤホンを外すと、さわさわと木々の揺れる音がする。公園にはいくつか池と川があり、ほどよい風に水面が揺れて、キラキラと輝いている。ゆっくりと散歩する人、ベンチに座ってカモの親子を眺めている人。みんな、自然の流れに身を任せて、思い思いに過ごしている。いつの間にか針はなくなり、スニーカーを履いた、いつもの自分に戻っていた。

芽吹き、花が咲き、葉が茂って、枯れていく。目に見えないゆっくりとした速度で。でも確実に、流れていく自然の時間がある。人は、早くなりすぎた自分を、柔らかい景色の速度にチューニングしに来ているのだろうか。

自然は、どんなものも受け入れて、そばに置く。環境が変われば、少しずつ自分も変えていく。そうやって柔らかくすべてを受け入れる度量がほしい。

せっかちな自分は、すぐ白黒つけたくなってしまう。グレーから流れ込んでくる物量に耐えられないのだ。しかし、世界はグレーで溢れている。見えないものを恐れてしまうけれど、そんな見えないものも包み込んだグレーを受け入れる、信じる強さがほしい。はやく、グレーが受け入れられる自分になりたい。こうやってすぐに、せっかちな自分は焦るから、日々の小さな積み重ねなのだと、毎日なのだと、言い聞かせる。

自然の流れとアスファルトの街の流れ。どちらも好きだからこそ、見逃したくないと思う、わがままな自分。あきらめが悪いけど、選ぶことなく、どちらもほどよく取り入れながら、バランスよく生きる方法がないかと、これからも模索は続くと思う。

今日も、私はずんずん歩く。


HINATABOKKO
癒しと温もり届け屋さん/ 企画・映像制作

本職(企画・映像制作)の傍ら、癒しと温もりを届けるをモットーにInstagramなどで活動。この頃は、散歩とロウソクとお茶に助けられている。札幌在住。

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