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【迷い】文を売るという行為にまよっています

 私は、うまれてこのかた金に困ったことが一度もなく、貧乏であったことはありますが、それでも常に金はありました。

 お金というのはどうにかなるもので、私はあいにくお金を稼ぐ才能にはめぐまれませんでしたが、かわりにというか、言語に秀でているようなところがあり、はっきり言うと文才があります。

 孔子の弟子にたとうれば、子貢ではなく、宰予タイプです。顔淵ではありません(要注意)。

 要するに、みずから価値を生み出せるタイプの人間なのです。なので文章なら幾らでも書くことができるし、話せと言われればいつまででも話せます。

 書けば、発表する場を求めますし、こころに思うところがあれば、だれかに話します。

 というわけで、拙文を発表するのですが、ここに迷いがあります。果たしてこの文章は、一級品レベルを保っているつもりですが、これをロハでそのまま、垂れ流していいものかどうか。

 金は一切要らないし、売文稼業にも興味はありません。いちおう、定期的な収入はあるので。

 しかしかといって、タダでこれを提供すれば、受け取るほうもタダだと思う。これ人情でしょう。

 子犬がうまれて、飼い主を募り、希望者があればこれを譲る。というのはよくある話だと思いますが、この、譲渡において、金銭を介しないと、のちのち厄介なことになるという話を聞いたことがあります。

 厄介というのは、子犬にとって厄介で、譲渡された方は、タダで手に入れたばやい(場合)、これを粗末に扱う場合(ばやい)も、無きにしも非ずと、いうようなことがあるそうです(人によるのでしょうが)。タダだから、どうでもいい。ワンワンうるさい。そもそも畜生じゃねえか。山に捨てたろ。というパターン(パティーン)もあるそうです。

 これがいやなのです。

 お金なんていらない。そもそも私は金もちではないが、金は幾らでもあり、なければこれをどうとでも捻出でき、またそもそも、金の裏にある価値というものを、タダで、ゼロ・コストでつくれるんです。そーゆータイプの人なのです。

 図式化すると、

 私(金イラン、どうぞ)←→人(金払いたくねえ、ただでもろたろ、ただだから捨てたろドブに)=文化的損失

 ということを、心配しているわけです。

 どうしたらいいのでしょうか。

 迷ってます。

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