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◎無料公開◎【おもんない】さいきんとみに上方の人らがおもしろくない件

 わたしは實にふしぎなのだが、このところ、上方の人たちがおもしろくない。おもんない。どうしたんだろうと思う。心配。

 とくこの、ニシンだか、ミシンだか、名前忘れたけど、指導者の方々が滅茶苦茶におもんない。ボケてボケて、ボケたおしている。ひとりごっつじゃねえんだから。

 ふむ。不思議と云ったが、理由は私には分かっている。私は何でも、だいたい分かるのである。

 上方の文化として、漫才がある。おもろい。漫才は、ボケがおり、ツッコミがある。この両者が混然一体となって、笑えるのである。

 現状、どうもこの、ツッコミ役が、人材不足である。みんながみんな、ボケている。高度な笑いなのだろうか。はたから見ている私たち素人は、しかしどこで笑っていいのかわからない。上方では、それがおもろいのかもしれないけれど。

 というかほんまは、ボケてないのかもしれない。怖い話だけど、本気なのかもしれない。まったくもって、上方の人らしくない、と思う。心配。

 もっと突っ込んでくれや。「なんでやねん!」とか「どないやねん!」とか、「もうえええわ!」「ええ加減にせえ!」とか。適宜、突っ込んで「ありがとうございました」と言って終わるのが、漫才の型である、と思う。あんまりお笑いは知らんけどもやな。知らんけど! それにしてもおもんない。ときには、さぶい。

 上方のみならず、もしかすると全国的にそうなのかもしれないし、全世界的に蛮族化し、奴隷志望みたいになっているような、そんな感じがする。

彼らは、ときには公然と、大抵はひそかに蛮族を羨望し、賛嘆し、必ずしも自分で認めているわけではないが、蛮族の奴隷になりたいと思う。

シオラン『時間への失墜』(69頁)

『生まれてきたことが苦しいあなたに』大谷崇(星海社新書158)

 “笑い”というのは、いつからこんなことになったのだろうか。おもろいか? 私は全然、おもんない。年をとったからなのか。頭が固くなり、新世代のお笑いに付いていけなくなったのか。笑うどころか、むしろ、滅茶苦茶に、怒っているのだが。出島(マジでの意)。

 私はオールド・スタイルの笑いがすきや。すきやねん。

 兎に角、突っ込みの人らに、もっともっと頑張ってもらいたい。深刻なツッコミ不足!

 何なら私がやったろか? 私は12センチ弱だが、太くて、固いぞ。

 ホンマに、怒るでしかし(メガネくいっ)

 きよしくん、きばりやー。チバリヨ―。

 こんなん、若い人らに、示しつかへんで、ほんまに。アカンで。

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