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教師の特典: 歳を忘れる??

自分で言うのも何ですが、よく「若いね」と言われます。もちろんお世辞だとわかっています。
ただ、教師という仕事は、自分の歳を忘れさせてくれのは確かです。

教師という仕事はありがたいです。常に未来のある子供たちと共に過ごせます。
卒業生は、大学を出て就職し、やがて結婚して大人になっていきます。でも、私たちの前には常にフレッシュな高校生がいるのです。まるで時が止まっているかのようです。

ある時友人に言われました。「あなたが若いのは、若い高校生のエキスを吸っているからね。」
「人を吸血鬼みたいに言わないで」と言いつつ、「なるほど」と思います。

鏡をじっくり見るのは、朝のお化粧タイムの10分程度。それ以外は、ほぼ高校生を見て過ごします。「犬は鏡に映る自分の姿を理解しないので、目に映る人間の姿を自分の姿だと思うの。だから犬は自分を人間だと思っているのよ。」これは母の口癖ですが、高校生を見て生活している私も、いつの間にか生徒の若さを自分に投影しているのかも知れません。

生徒たちは大人の年齢なんてわかりません。判断基準は「親より若いかどうか」位です。その割によく聞いてきます。「先生、歳いくつ?」いつの頃からか、「永遠の18歳よ」と答えることにしてきました。

そんな私にも、2度の転機がありました。1度目は、50歳の時です。

運動不足を感じて、テニススクールに入りました。初心者クラスは通いたい放題。少人数グループでしたが、メンバーは軟式テニスから転向した大学生、部活で硬式テニスを始めた高校生、これから硬式テニスを始める社会人など、若い人ばかりでした。通いたい放題なので、毎日通っている人や、1日に何回もレッスンを受ける人もいました。土日しか通えない私は、負けてはならないと頑張りました。レッスンは厳しかったですが、上達するので楽しかったのです。

ところが3ヶ月位すると、肘が痛み、腫れて熱を持つようになりました。レッスンを休みたくないので、湿布を貼って頑張りましたが、これがいけませんでした。とうとう、日常生活でも右手が使えなくなりました。電子レンジやオーブントースターのスイッチを回すことすらできませんでした。評判の良い鍼灸治療院に通い、針やお灸をしましたが良くならず、泣く泣くテニススクールは休会しました。

この時初めて気づきました。「もう、体を鍛える年齢じゃない。」

子供ができるまでは、運動部で生徒と共に汗を流し、子供たちがお留守番をできるようになってからは、近所のスポーツジムに通うなど(続きませんでしたが)、体を動かすことは好きだったので、「今は(時間がないから)無理だけど、いずれ(時間ができたら)鍛え直して新しいスポーツにも取り組める」そんな幻想が崩れた時でした。父の口癖を思い出しました。「運動は治療じゃない。やり方を間違えると体に悪い。」はい、その通りでした。

2度目の転機は、55歳の時でした。

当時はまだ子供たちに手がかかっていましたが、仕事も手が抜けず、平均睡眠時間は2〜3時間でした。21時半頃に帰宅して夕食を作り、食べ終わるのが23時頃。子供の学習や進路の相談に乗ったりしているとあっという間に24時近く。慌ててお風呂に入って、翌日の教材作り。2時頃ベッドに入り、5時には起きてお弁当作り。やり忘れた仕事を思い出して飛び起きることも度々あり、満足に眠っていませんでした。「睡眠時間を削ればなんとかなる。」若い頃はよく寝る方で、就職してからも8時間は睡眠を取っていたのですが、子供が生まれてからずっとこの調子だったので、特に気にしてもいませんでした。

ある日、突然胸が痛くなりました。

その日は早めに退勤しましたが、どんどん痛みが増してきて、歩くのも困難になりました。救急車を呼ぼうかと思いましたが、駅の近くに救急病院があるので、そこまで歩きました。その日は心電図を取ってもらい、翌日再通院しました。「肺炎」と診断されて、呼吸器内科のある総合病院を紹介されましたが、同時に膵臓に嚢胞が見つかりました。

肺炎は2週間で治りましたが、膵臓は精密検査が必要でした。検査の結果、IPMNという聞いたことのない病名で、「治療の必要はないが、10年以内に膵臓癌になる可能性が10%ほどある。」とういものでした。医学の進歩のおかげで癌は不治の病ではなくなってきていますが、膵臓癌だけは別のようです。膵臓癌と診断されたら、余命は数ヶ月から1年程度だと言われます。しかも私のIPMNがいつできたものかもわかりません。今年が10年目かもしれませんし、100人のうち10人が膵臓癌になると言っても、私にとっては確率は10%ではなく、「なる」か「ならないか」の50%にしか思えません。

それまでは、漠然と90歳位までは元気に生きられると思っていました。

父方の祖母も、母方の祖父母も90歳を過ぎても元気に暮らし、天寿を全うしました。当然私も90歳位までは元気に暮らし、細々と趣味や仕事に勤しむ毎日なのだろうと思っていました。「今は時間に追われてその日暮らしをしているけれど、定年を迎え子供たちが自立したら、もっと自由に心から楽しいと思えることをして暮らしていける。」と信じていたのです。

でも、10年以内に10%の確率で「あなたの寿命はあと数ヶ月です。」と言われる日が来るとしたら?

高校で大好きな英語を教えながら、家では可愛い子供たちを育てる毎日。職場の人間関係にも恵まれて「時間がない」以外に不満はない生活でした。膵臓やIPMNに関する情報を本やネットで調べると、必ずしも悲観することはなくて、むしろ気に病んでストレスを溜めることこそ体に悪い…ということがわかりました。頭では理解しています。でも、ふと立ち止まって自問するようになったのです。

「明日余命宣告されても、後悔しない毎日を送っているだろうか?」

「若いよ」と励まされ、自分らしく生きられる日が「いつか」やってくると信じ、時間に支配される日々を送っていた私にも、もしかしたら遠くない将来に、突然終わりがやってくるかもしれないと思い始めた「55歳の転機」でした。

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