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ズビグ・リプチンスキーの『TANGO』がすごい

タイトルの通りである。
授業でズビグ・リプチンスキ―の『TANGO』を観た。

約8分の映像だ。
まずは見てほしい。

私は映像作品をそんなに見るほうではないし、興味もさしてないのだが、この作品は刺さった。

狭い部屋の中で単調な動きを繰り返す人物が、1人2人と増えていき、最後には満員電車並みの人口密度になるのだが、誰もぶつかったり、動きがさまたげられたりしないのだ。パズルのようにぴったりと、一切動きを乱すことなく、まるで周りの様子に気づいていないかのように、人物たちは動き続ける。

私はこれを見て、「音楽だ」と思った。

前から、音楽の本質は「時間が循環すること」だと思っている。音楽には過去も未来もない、ただある時間を繰り返す。その点では映像も同じだ。ただし、「ストーリー」を与えてしまうと、途端に時間は循環することができなくなる、2回目はネタバレになってしまう。直感的な物言いで恐縮だが、循環こそが、音楽の本質なのではないかと思う。

クラシックの理論では、音楽の最小単位を「動機」と言うそうだ。フレーズも似た概念で、これは演奏上の最小単位である。音楽は、この動機を繰り返し、時に変化させながら進んでいくのだ。小さな循環と大きな循環があり、いくつものそれが複雑に絡み合う。『TANGO』の印象はまさにそれだった。

この作品にストーリーはない。そして、感情に訴えてこない。それが、私に刺さった理由である。感情に訴えてくる作品というのはずるいのだ。結局ヒューマニティに依存している時点で、作品として自律していない。
これはかなり近代的な見方ともいえるが、近代的なものさしで見たときに、『TANGO』の自律性の高さに、私は感動した。

模倣でいいから、同じシステムの作品を作ってみたいと思った。


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