サエッキー

心に灯る火を追う日々。 介護→40代で引っ越し屋 →ブロガー。 映画好き。

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最近の記事

フィリピンの危険地帯へ行った話④

■英語通訳の女の子フィリピンで話されている言語は、100以上あると言われていますが、僕は一般的なタガログ語も話せません。 ミンダナオ島のホームステイ先でも、周囲にいる人が話す言葉は、印象から何となくイメージする程度で、まるで分かりませんでした。 日本語が話せる人がいても、内容は非常に限られています。 そんな中、6人いたメイドさんの内、1人の女の子が英語で通訳してくれたので、僕はとても助かりました。 何しろ分からない事だらけで、これからどうするか、何をしてはいけないのか

    • フィリピンの危険地帯へ行った話③

      ■僕たちは殺しながら生きている次の日、日本人のオジさんに車で送って貰ったお宅で、僕はホームステイのような状況で過ごしました。 このお宅は、ご両親とその娘さんの家庭でしたが、いわゆる地主さん一家でした。 パーム椰子やお米をメインに、人を雇って農業していました。 家には家族の他に、6人ほどの女の子達がいました。 彼女達は親戚の娘さんや農場で雇っている人の娘さんでした。 地主の娘さんから、ちょこちょこお金を貰っていたので、メイドさんですね。 この家にいる若い娘達は、普段

      • フィリピンの危険地帯へ行った話②

        ■日本人のオジさんに案内して貰うフィリピンのミンダナオ島の南東で農業をしているという日本人男性に頼んで、どんな生活をしているか見に行ける事になりました。 ただし、男性は日本に帰国して用事があるため、現地へは僕1人で向かいました。 ミンダナオ島にはジェネラルサントス空港まで飛ばなければ行けませんが、日本からの直行便は当時なかったため、まず首都のマニラへ降り立ちました。 僕はその頃、オンラインの英会話でフィリピンの先生に教わっていたので、ついでに先生に会いつつ、次の場所を目

        • フィリピンの危険地帯へ行った話①

          ■危険なフィリピン南部へ行く事を決めたきっかけフィリピンの南部にミンダナオ島という島がある。 フィリピンのドゥテルテ大統領が市長をしていたダバオ市も含む地域です。 外務省のフィリピン治安情報でも、現在ミンダナオ島の西側はレベル3「渡航をやめて下さい」と勧告されており、ミンダナオ島の東側も、ほとんどの地域はレベル2「不要不急の渡航は止めてください」となっています。 特にミンダナオ地域西側、レベル3の地域では武装勢力による身代金目的の外国人誘拐が爆弾テロ事件等への警戒から高

        フィリピンの危険地帯へ行った話④

          先生に貰ったもの

          ■先生になれなかった女の子海外で会った女の子がいた。 その娘は25歳くらいで、先生の資格を持ってるらしい。Facebookで友達になったけど、たぶん二度と会わないと思う。 Facebookの友達って、僕の場合は、そういう関係が多いかもしれない。 でも、友達になるとその娘のその後の姿を見る事もある。 この娘は、アフリカかどこかの国で、日本語の先生をしていた。それは、とっても短い間しか先生を続ける事が出来なくって、1週間くらいで終わってしまう授業でした。 でも、たった1

          先生に貰ったもの