先生に貰ったもの
■先生になれなかった女の子
海外で会った女の子がいた。
その娘は25歳くらいで、先生の資格を持ってるらしい。Facebookで友達になったけど、たぶん二度と会わないと思う。
Facebookの友達って、僕の場合は、そういう関係が多いかもしれない。
でも、友達になるとその娘のその後の姿を見る事もある。
この娘は、アフリカかどこかの国で、日本語の先生をしていた。それは、とっても短い間しか先生を続ける事が出来なくって、1週間くらいで終わってしまう授業でした。
でも、たった1週間でも、生徒の女の子が別れる時に泣いてくれてて、僕も「いいな」と思いました。
たった1週間で相手に何か価値を渡せるって、凄い事なんじゃないかと僕は思ってて。でも、その娘は日本に帰って介護士になったみたい。
そんな先生になれたはずの子が、先生になってない日本の現状。
おかしくない?
この『おかしくない?』という気持ちの持って行きようが欲しい。
怒りとか悲しみとか感情が動くって事は、そこに自分が大切にしている信念が隠れていると思う。
■小学校の先生がくれた価値
僕の家族は、僕が小5の時、祖父母の家のすぐ近くに引っ越しました。
環境が変わったためか、その1年で僕は成績がガタ落ちになりました。最下位だったかもしれません。
その年の先生はある時、忘れ物をした僕に平手打ちを食らわせて、家に取りに戻らせた事があったので、僕は先生と人間関係がうまく行っていなかったのでしょう。
(後に僕が20代後半くらいで再会した時に、この先生は謝ってはくれました。)
小5の成績は悪過ぎて、分数や小数の計算方法が分からない僕に同級生が教えてくれたりしてました。
今更ながら、ありがとね。
そんな1年後、再び前の住所に家族で引っ越しました。
母親と祖母の仲が悪かったから、僕の成績が悪くなった事をダシに、離れたかったのかもしれません。
そして、次の年の先生が大アタリでした。
この先生は、教科書に書いてある事に対してちょっとした気付きを発表したり、クラスの皆が知らないような事を発表したり、とにかく良い点があると評価してくれる方でした。
先生は、誰もが見れる名簿を用意して、生徒に良い点があると、シールを渡して、生徒に貼らせていました。
シールは良い順に、金色、銀色、それ以外の色を渡されました。
後からその名簿を見ると、誰がどれだけ良かったかひと目で分かるため、先生も成績が付けやすかったでしょうし、生徒にも不満が溜まりにくい風通しの良いシステムでした。
こういう採点方式の結果、クラス中の生徒が手を上げては発表していました。
つまり、減点方式じゃなくて、プラス方式だった訳です。
そんな訳で、僕の成績が前年と比べ物にならない程、爆上がりになりました。
前がそれだけ悪すぎたんですけどね。
この先生の配慮は、それだけではありませんでした。
宿題をして来なかったり、忘れ物をしたりすると、そうした子ども達に辞書を見開きすべて丸写しさせていました。
これには、理由がありました。
僕が転校していなかった小5の時に、この学校にいたある先生が、1人の男の子に嫌がらせとも言うべきペナルティを与えた事が、後々問題になりました。
男の子は、忘れ物を何度かしたのかもしれません。
そこで当時の先生は、その男の子に「『もうしません』と100回、いや200回、1000回書け!」と言い渡したそうです。
意味のない『もうしません』を1000回もノートに書く作業をさせられて、この子の両親は担任の先生にもの凄く不信感を持ちました。
結局、この不信感が原因だったのか、「もうしません」先生は別の学校に異動となりました。
こうした『もうしません』のエピソードを踏まえて、小6の担任の先生は子ども達に意味のある文字、すなわち辞書を書かせたら、それが子どもの為になると考えたのでしょう。
こうした良い先生が担任になりましたが、結局、『もうしません』と書かされるペナルティを受けた男の子は、小6の間に別の学校へ転校して行きました。
■まとめ
人を見て、活かせる方向性を思い描く余裕がないと、またどこかで不幸を産み続けるんじゃないか。
僕は40代半ばを過ぎて、自分の事で精一杯。
願わくば、Facebookの友達になった女の子も、幸せになって欲しい。
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