ADHD、ASD傾向が強いなって思ってる
私の父は典型的なASD、母はADHDの傾向があるなあって感じます。
医者に診てもらったわけじゃないけど、間違いないと思います。
事例を挙げていくと本1冊分にはなりそうなので、いつか私のオモシロ両親(毎日離婚危機)について出版したいです。そして私は見積もりが激甘な特性があるので、結局5冊分くらいになりそうです。
私は難なく日常生活を送ることはできるので、病院で検査しても高確率で発達障害「ではない」という診断になるんじゃないかなと思いますが(なるかもしれないけど)、発達障害に関する本を8冊読んでみて、これまで私が感じてきた「なぜかできない」ことのすべてが「発達障害」で説明がつくので、とにかくかなり近いところにはいそうだな、と思います。
以下、「時間」「お金」「空間」で感じたことを書いてみます。
時間
ADHD傾向が強い人は忘れっぽさや、日時の感覚が身につきにくく気がつくと時間が過ぎ去っているそうで、私も完全に時間感覚が死んでます。
実家にいた頃は、優しい親が毎日車で駅まで送ってくれていたのですが、「信号が全部青だと最短2分で駅に着く」ので、駅に着きたい時間の「3分前」に家を出ようとする癖が根付いていました。
ので、毎日怒られていましたが、「でも早いと2分で着くし…」と思っていました。早くなければ2分では着かないことに、理屈では理解してても感覚的に理解することは結局ありませんでした。
結婚して実家を出ても、朝の身支度の時間見積もりがいつも激甘で、「自分が悪い」のではなく「時空が歪んでいる」としか思えないんですよね。
よくよく振り返ると、家を出る45分前に、45分かかる洗濯(のあと干す作業がある)を始めて、家を出る30分前に、40分かかる洗顔などの身支度を始めていて、明らかに間に合わない時間に作業を始めています。「どの作業に何分かかるか」という時間の見積もりができていても、そもそも「いま何時何分で」「あと何分で家を出る必要がある」認識がうまくできなくて、結果時間感覚が狂うんですよね。ちなみにこれは今朝の出来事です。
傷病休職に入ってからは、知識欲・学習欲が爆発しまくって、時間が許せば一日中机に向かって読書しながら紙に考察メモを残したりしています。
家事、風呂、運動するときは、コテンラジオで哲学みたいな難しい話を「ちゃんと理解しようとして」聴くので、実質起きてから寝るまでずっと頭がフル回転しています。
本だったら、1冊読むのに4〜5時間かかった本を、読む前は「1時間で読も」とか思っているので、やりたかったことがほとんど終わらない毎日に気持ちが下がり続けています。本当は1日3冊読みたいのに、実際は3日でやっと1冊読める程度なので、毎日気付くと一日が終わってキレてます。
最近は卓上タイマーを買って、本を読む時間はストップウォッチ機能の方を使ってカウントアップすることで、所要時間を可視化する取り組みをしています。「いつの間にか時間がない」から、「想像したよりも4時間多くかかった」という感覚に移り、まあ…苦しいままですけど「何が起きているのかわからない」状態からは抜け出そうとしています。
お金
そもそもお金の管理が子供の頃からなぜか好きなので、大学生のときにはExcelで家計簿を作り、袋分け管理法で家計(こづかい)管理をしていました。
クレカ支払いベースでしたが、その日のうちに使った分を別の封筒に分ける徹底ぶりです。
これはASDの方が出ているのかな?と思ってます。
費目をめっちゃ細かく分類して、正確に付けたがります。
そして帳簿上と実際の残高に差違が発生すると、ものすごいストレスを感じて、徹底的に過去を洗い出し、1円レベルで整合性を保とうとします。
(現在は簿記の知識を習得した結果、企業レベルでさえ不明な残高の差違を「現金過不足」という勘定科目で処理することを知って、じゃあ個人レベルでも発生し得るか…と納得したので、いまでは家計簿でも「現金過不足」で処理することにしました。なぜ自分ひとりのコンセンサスコストがこんなに高いのか。)
あともう一つ、1年、2年、5年ごとなど、毎月ではないけどいつかくる突然の出費にものすごいストレス(=毎月の支出をなるべく一定に保ちたいという欲求が強い)を感じるので、完全に月毎で按分します。
我が家は、以下の出費を合わせて、毎月35,350円ほど積立用の口座に分けておいて、出費が発生したときは積立用口座から支払うことにしています。
・車両保険料
・JAF
・車両法定点検
・自動車税
・車検費
・火災保険料
・地震保険料
・浄化槽点検費
・浄化槽汲み取り費
・固定資産税
・NHK費
・寄付金(ふるさと納税とか)
安心します。
空間
中学に入って自分の部屋を与えられてから18年間ゴミ屋敷でしたが、傷病休職中に3ヶ月かけてモノを捨てまくったので、およそ解決しました。
ゴミ屋敷の頃は、私の場合「その状況に不を感じない」タイプで、テレビで片付いた家を見ても、それが常にその状態を保っているわけではなく「テレビが来るので片付けられた」部屋だと思ってました。
常にモノが散乱していない状態の家が存在すると気付いたのは、かなり最近の話です。本当に知らなかったんです。
現在は常にモノが片付いてる…というかモノがない状態が保たれていて、初めて「楽だな…」と実感しています。
ちなみに実家に帰るとモノが散乱していて懐かしいです。これだよこれ!(早く捨てまくりたい)
おわりに
正直、自分がADHDだろうが、ASDだろうが、発達障害だろうが、そうじゃなかろうがどうでもいいんですけど、「そうである」と仮定して振り返ると行動に説明がつくことが多いんですよね。
「あーだからかー」と思えたら、これまで「摩訶不思議な事象」だと思っていたことが「特性による(時間や空間などの)感覚の異常」として認識できるようになり、ここでようやく対策を考えることができるんです。
人間、わからないものごとに対して不安を感じるいきものなので、わかることで安心しますし、対策が成功すると生活も楽になるので、とりあえず私は発達障害であると仮定することにします。おわり。
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