タイパ爆発してたあの頃。

タイパという言葉がある。タイムパフォーマンスの略で今時のZ世代がよく口にする言葉ではあるが、元々はビジネス用語らしい。
Z世代のいうタイパの例は、好きな曲はサビだけ聴く、映像は1.5倍速で見る、連続ドラマは最初と最後だけ見る、などが挙げられる。ありえない。曲はしっかりイントロから1曲フルで聴かないと良さは分からないのでは?Z世代にイントロドンをやったらどうなってしまうのか。きっと中山のヒデちゃんが泣くだろう。
タイムパフォーマンスとはそのままの意味で時間に対して作業がいつもより進めばタイパが高い、作業が滞ればタイパが低いということになる。タイムパフォーマンスの類似語には生産性や効率などが当てはまる。
私は10年前に入社した当時から上司にタイパを求められ叱咤激励されて成長を繰り返してきた人間だと自負している。
おかげさまで仕事は滞りなく常に求められていること以上の成果を挙げることを目標に働くのが今の仕事のスタイルとなった。
ある時、いつものごとくタイパを爆発させて仕事を捌いていた横でパートのおばちゃんに言われたことがある。「みっちゃんはその仕事量に対して費用対効果が合ってないよ。」そのときに初めて聞いた費用対効果という言葉の意味を聞けば、時給で働く私たちは効率よく仕事を捌いても捌かなくても同じ時給を貰えるから、その時給=費用に対してのパフォーマンスが効率が良すぎることで見合っていないということなのだと言う。
果たして褒められてるのかけなされているのかは定かではなかったが、確かに頑張っても頑張らなくても同じ時給なんだったら頑張らなくても良くね?の思考になる気持ちは分からなくもない。そんな考えのやつ世の中にゴロゴロいるのだろう。
タイパを極めまくった私は、仕事上では周りから信頼されたり安心して任せて貰えたりすることで、自分自身も良い環境に身を置くことが出来るというメリットを感じている。ところが、良い意味でも悪い意味でも自分の中で余白を作らない。
そんな一方で同僚たちは業務とはまったく関係ない最近の出来事で井戸端会議をして盛り上がったりしているところをよく見る。どう考えてもタイパが低いに他ならない井戸端軍団だが、そういう無駄で無意味だと思うようなところから親睦を深めていったり交流の輪を広げていったりするのだろうと最近になって思う。ママ友システムなんかはいい例である。
幼稚園ママだった友人はドラマでよく見るお迎えまでのランチ会やお迎え時の母親同士の会合は日常的にあったのだという。面倒でも参加しておけば、何かあったときに頼れるツテが出来たり最近の幼稚園事情を把握できたりするので、タイパは低くてもそれ以上のメリットを感じていたのだろう。
Z世代やビジネスにおいてタイパを重視する傾向はもちろんあるのだろうが、子育てや家族に使う時間など、タイパの良さだけでは変えられないプライスレスなものだってある。
思えば娘の保育園時代に私は仕事と育児に追われまくっていた気がする。毎日リュックに連絡帳・着替え2セット・1枚ずつ書いた名前入りオムツ・コップと歯ブラシの準備をして8時半には娘がご機嫌でもどんなに嫌がっても保育園に連れて行き、チャリを爆走して9時から17時まで働く。残業になっても最終18時には間に合うようにギリギリで滑り込んでお迎えをする。帰宅後すぐに飯を食わせて風呂に入り明日の準備はしたりしなかったりして死んだように寝る。
連絡帳には娘の保育園の様子が書かれており、親はおうちでの様子と家で何を食べたかを毎日記入する。当時はほぼ手の込んだものなんて与えていなかったので、基本それっぽいことを書いて出していた。娘よ、すまん。
これに加えて週末は布団カバーと上履きと帽子を回収して洗濯し、週明けは布団カバーを設置してから仕事に行くという今考えたら苦行でしかないことを5年間やり続けた。さすがに私頑張ったなと卒園式で違う意味で泣いた。
結局私の今の生活スタイルは常にタイパに頼らざるを得なかったのだ。このまま働こうかと思わなくもなかったが、ばっちり小1の壁にぶつかり、しばらく不安そうだった娘の様子も見ていたのでちゃんと育児に力を入れなければとパートに切り替えた。
今はいくらか時間に余裕が生まれたことで、私のタイパ重視生活も少しずつ変化していってるのを感じている。仕事ではいくらでもタイパを追求できるけれど、家族や子育てにおいてはタイパもコスパも悪いなんて当たり前の事実なのだ。


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