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【エッセイ】駅に迎えに行く時の家族ルール

 私の家族は基本的に面倒事は他人のせいにすることが多い。
 例えば家族の誰かが帰ってくるのに駅まで迎えに行く時。今日は一人暮らしをしていた兄がワクチン接種のために実家へ帰ってきたのたが、何時に帰ってくるか中々連絡をよこさなかった。父から「アイツ連絡よこしてこねえ。ジムに行ってもいいと思うか。」
と聞かれた。私は「迎えに来てほしい連絡が無いなら行ってもいいんじゃない?」
と答えた。迎えに行く側の意見としては、「何時に迎えに行くかわからなかったから迎えに行けなかった。」と言って各々別の事をしようとしていた。勿論こちらから連絡すれば良いのだが、「誰がその行動をすべきか。」という点では、迎えに来て欲しい側が連絡先すべきという暗黙のルールがある。しかし、一応父は気にはしていたのか、すぐにはジムに行かなかった。それでも父として待つ時間としてはもう限界という土壇場で兄から帰りの連絡があったため、最終的に父は
「ちくしょう。」
と言いながら迎えに行った。もし連絡が無ければ兄は片道三十分の距離を歩くことになる。別に歩けるかもしれないが、ちょっと距離はあると思う。
 また、帰ってくる時間をLINEで送ってその時間に駅にいないという場合がある。母のことなのだが、自分がやりたい事を自由にやりたい性分なため、基本的には一人で遊んだ後は自力で帰る。しかし雨が降ってる時などは「迎えに来て」という通知が来る。
 母は帰り際にストレス発散で本屋に付いている喫茶店で本を読んだ後、帰ろうとする。そうすると、当たり前だが帰る時間が予定より大幅に遅れてしまうため、こちら側が迎えに行ったのに誰もいないみたいな状況になる。さすがに母に困って連絡をするけど、母は本に夢中になってるので気づかない。しょうがないから家にいる戻るが、そうすると母から怒りの電話が来る。
「どうして駅に迎えに来てって行ったのに来てくれないの!」
と電話越しに怒っている。正直母は歳を召してから我慢できる量は減ってきている。それにしても迎えに来てもらう経験値がちょっと足りない。もうちょっと人に頼る能力をつけてほしいと願っている。

父親・母親としての役割が徐々に減っていくと、本来の自分に戻っていくのだろうか。見た目は老けていくが、人間性として幼く見える時がある。それはそれで良いと思う。今まで色々な経験をしてきたんだから、段々解放されていって欲しい。

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