イロナのモノローグ フィンランドの人・社会福祉・介護 聖書を基として見る 1

まずは三人の女性のモノローグをご紹介し、彼女たちの人生を辿りながらフィンランドの社会福祉と聖書の関係をお話したいと思います。この三人の女性の人生は全てフィクションです。

イロナ 0~20歳

『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。』聖書 詩篇139:13〜16

 神様の御手が私を組み立てられた。
 母の胎内で私の体は造られた。卵子と精子が出会わせられ、細胞分裂が起こっていく。そして器官が作られていく。最初に心臓が、それから目、手足、耳が。
 私を身ごもったと母が知った時、私はもう8周目だった。母は地域のネウヴォラに電話をして診察の予約をとった。これからネウヴォラ(フィンランド語で保健福祉センターにある妊婦や出産した母、6歳までの子供の健康診断をする直訳すると「助言の場」のこと)への通所が始まる。母の担当はシニッカという名前の保健師だ。普通この職は「ネウヴォラおばさん」と愛称を込めて呼ばれる。出産まで全8回ネウヴォラおばさんが母と私の健康を診る。医者の診察があるのは3回。妊娠12週、超音波検査で私の姿が初めて両親の目に映った。私がフィンランドと呼ばれる国に生まれるまで、40週。
 私が母のお腹の中に宿って154日経ち、母も5回はネウヴォラの検診に通ってから、マザーバッケージを母は申請した。パッケージと170€とどちらかが選べるが、初産の母は60アイテムが入ったパッケージを選んだ。小さな服や靴下は、父母の目にも物珍しい。喜び、期待、不安、様々な感情が混じり合う瞬間。父と母は両親教室にも通う。
 雪が溶け始め地面が顔を出す頃、時が満ちた。陣痛の間隔が10分おきになってから、母は父の運転する車でヘルシンキ市の出産病院へ移動。子宮口がかなり開いていた母はすぐ分娩室に通され分娩台に上がった。部分麻酔を麻酔医にしてもらってから数時間後、私は母の胎から生み出された。小さくても一人の人。出生と同時に私には個人登録番号が与えられる。私にはまだ名前がないが、個人登録番号は名前より先に付けられた。
 出産後は家族ルームに移動し、私、父母と一緒の部屋で眠る。両親は沐浴と授乳の指導を受け、必要な処置を受けた後、何も問題のなかった私は生後3日目には家の玄関を母と分離した状態でくぐった。父には18日間の育児休暇(無給)が与えられ、この期間は私たち三人が一緒にいることができる。何でもゆっくりなフィンランドのため、私が生まれてもまだベビーベッドもない。マザーパッケージの箱がしばらくの間、私のベッド。父はIKEAへとベビーベッドを買いに行き、組み立て始めた。
 ネウヴォラからはネウヴォラおばさんが母子が家に帰ってから1回家庭訪問をする。体重を計ったり、検査をした後は、ネウヴォラのおばさんと助手にコーヒーを出して時間を過ごす。
 母の母としての自覚と能力が備わってきた頃、祖父母、名付け親になる友人などを招いて自宅で私に名付けと洗礼が授けられる。牧師が招待され私は額に水をかけられ、私は初めて自分の名前で呼ばれる。牧師は洗礼式前に両親をインタビューして、両親の子供への願い、希望を聴く。イロナが私の名前。名付け親は伝統的にはフィンランド国教のルーテル福音派の教会員としての霊的生活のメンターであり、私の父母が信頼する生活素行に優れている人物が選ばれる。祈りや聖書の勉強をその子にリードするのが両親とこの名付け親である。人々の教会離れが進むフィンランドでは、洗礼式と呼ばずに「名付け式」と呼び、人前式で赤ん坊の名付けをするカップルも増えてきたが、私の両親には一応牧師を招待して洗礼式をしようという信仰があるようである。祖父母も友人も私の名前が決まった事で喜んでいる。洗礼を授けられるまでは私は両親からニックネームで呼ばれて、どんな名前を両親が考えているのか、決定するのかは二人の秘密である。各々の家に伝統があり、男の子にはおじいちゃん、女の子にはおばあちゃんの名前をセカンドやサードネームに入れたり、必ず使わなければならない名前というのもある家庭もある。

 私が一歳になるまで、13回のネウヴォラ通所があり、そのうち3回は医師の診察。生後四ヶ月には家族全体の総評をネウヴォラおばさん、家族、医師の間で話し合う。

 一歳からその後は学校に入るまで5回のネウヴォラ通所がある。一歳半と4歳の時に医師の健康チェックが入る。

 私の母はすぐに仕事に戻らなかった。母にとって小さい私と時を過ごすのが仕事で良い成果を出したり経済的にもっと余裕がでるより、価値のある時間だった。父は普通に仕事に行っていたが、プロジェクトが忙しい時は残業したり、週末出勤をしていた。住居のアパートには中央に庭があり、他にも子連れ家族が日中集まっていたので、私も父か母と一緒にアパートの中庭デビューから始まった。母はここで育児情報を交換したり、他の赤ちゃん連れの家族とおしゃべりをする。夏でも冬でもフィンランドでは乳児を外で眠らせる事が推奨されるので、冬場も何枚もつなぎを着せられて外のベビーカーに寝かされた。寒さへの耐性がつくし、空気が冷たいと確かによく眠れる。
 母は外出もよくした。バスや電車にはベビーカーで乗れるスペースがあり、すでに先客がいっぱいで乗れない場合を除き、人がいっぱいで混雑していてもみんな詰めてベビーカーと母親を乗せてくれる。ノンステップバスや電車が来なかった時は、必ず誰かが「一緒にベビーカーを降ろすのを手伝うよ」と言って、降ろす事を手伝ってくれる。ベビーカーの私がいることで、母の行動が妨げられることはなかった。デパートやカフェには大概おむつ交換台が完備されており、電子レンジが完備された個室になっている場所もある。私が乗り物の中で泣いても、他の乗客も嫌な顔一つしない。運転手もベビーカーの乗り降りが終わるまで、ちゃんと待ってくれる。
 
 1歳で歩けるようになった私は公園おばさんと呼ばれる、おばさんが何人も小さい子を見る公園に朝の数時間預けられた。おばさんは公園で私たち子供が遊ぶのを手伝い、見守る。その2時間の間、母は自分の用事をすることができる。おばさんのグループには十五人ほどの子供がいて、大きい子は学校に行く前の子供もいた。その他に母はムスカリと呼ばれる幼児音楽教室、教会の母子デイケアなどに参加していた。ムスカリは受講料が必要だけれど、教会の活動は参加者にはお金がかからない。国教のルーテル教会は税と寄付で活動が続けられるからである。地域の教会には小グループで活動できる部屋があり、そこでコーヒー会、ムスカリ、教会学校なども開かれている。

 私が2歳になろうという時に、妹が生まれた。
 母はケルホと呼ばれるデイケアに私を申し込んできた。これは1日3時間午前中の活動で3歳から6歳までの児童がいる。小学校の近くにあるので同じ場所で学童保育もされている。遊んで、おやつを食べて帰宅するのが私の日課だった。

 しばらくすると母もそろそろ仕事を始めようという気になったらしく、私たち姉妹はパイヴァコティ(保育園)に入ることになった。妹は年少グループ、私は年長グループにへと入った。妹のクラスにはまだ歩けない十ヶ月の赤ちゃんもいた。朝8時ごろに行き朝ごはんのオートミールもパイヴァコティで食べる。お昼まで外で遊び、ランチの後は昼寝タイムがあるけれど、私はもう昼寝をする年齢ではないが1時間薄暗い部屋でゴロゴロしなければいけないのは、つまらない。時間が止まってしまったように感じる。保育士が絵本を読んでくれるけれど、どうしても隣で横になっている友達にちょっかいを出してしまう。昼寝の後はおやつ、そしてまたお迎えが来るまで外遊びだった。5時までには両親のどちらかが迎えに来たが、冬場はもう3時すぎに暗くなるのに、妹と一番最後まで迎えを待つために保育士の一人と園庭に残されるとちょっと寂しかった。パイヴァコティでは1週間の固定の行事プログラムもあったけれど、毎週何曜日に必ず何をすると言うでもなく、季節や行事に合わせて工作したり、父の日があったり母の日があったりした。

 秋には森の中でキノコを見たり、岩に登ったり、トナカイが食べるヤカラという植物や葉っぱを集めて遊ぶ。
 10月初旬、最初の雪が降る。雪だるまが作れるくらいいっぱい積もるといいな。秋になると雨の日が多くなるけれど、保育園ではそんなのお構いなしに子ども達を外に出す。ハーラリと呼ばれるつなぎの上に、魚屋さんのようなゴム製のハーラリを着て、長靴をはき、手にはやはりゴム素材の手袋をする。このゴムのつなぎが暑くって大嫌い!でもこれを着なくて済む日はほとんどない。

 クリスマスが近づくと急にキッチンでの仕事が増える。ジンジャークッキーを焼いて、クッキーハウスを母が組み立てる。私はクッキーにアイシングで飾り付けをする。ああ、早くサンタさんが来ないかな!サンタさんにお願いしてあるプレゼントは全部来るかな?おばあちゃんは「いい子にしていないと、トントゥという森の妖精がサンタさんに言いつけて、プレゼントもらえないよ」と言うので、時々窓の外をのぞいてトントゥがいるか確かめるけれど、まだ見た事がない。いい子にしていたら、もっとたくさんのプレゼントをもらえるのかな?
 去年のクリスマスはこうだった。クリスマスイブ数日前に両親と一緒に祖父母の家に来た。叔母や従兄弟たちもいる。おじいちゃんが森からもみの木を切ってきて、リビングに立てた。部屋の中は新鮮なもみの木の匂いでいっぱいになる。そしてモミの木の飾り付けを従兄弟たちと一緒にする。父や叔母が子供時代に作ったデコレーションもある。クリスマスツリーが完成すると、クリスマスへの期待は最高地を迎える。イブ当日はまず午前中はお墓まいりに行って、お墓にロウソクを灯して帰って来た。ご先祖様にクリスマスのご挨拶をしてきたの。その後はクリスマスのミルク粥をみんなで食べる。粥の中には一つだけアーモンドが入っていて、そのアーモンドが当たった人には来年は幸運が来ると言われている。私は見事アーモンドに当たった!15時過ぎに暗くなってからサウナに入って、身をきれいにしてそれからパーティの服をみんな切る。クリスマスイブは今でもフィンランドでとても特別。みんな家の中でも、パーティ用の靴を履いてこの日ばかりはちょっと違う。そして、豚の腿ロースト、人参、レバー、じゃがいも、かぶのキャセロール類、生の鮭に塩気を少しつけてあるもの、酢漬けのニシン、ビーツ、にんじん、たまねぎ、ゆでたじゃがいもをサイコロ状に切って混ぜたサラダが食卓に並ぶ。ロウソクがテーブルに灯され、みんなが食卓に着くと、聖書が持ってこられ、ルカの福音書の2章、イエス・キリストの誕生の場面が朗読される。去年は年上の従姉妹がその箇所を読んだ。言葉が難しくてわからないけれど、祖父母も父母も従姉妹たちもテーブルの自分の席で起立して聞く。朗読が終わったら「Enkeli taivaan」と言う賛美歌を歌う。昔、プロテスタント運動を始めたドイツのルターって言う牧師が作った賛美歌で、フィンランド語でそれを歌う。一家の家長のおじいちゃんが「クリスマス、おめでとう!」と号令をかけてみんなで「おめでとう」と挨拶をかわしてから、ディナーになる。いつも思うけれど、クリスマスディナーになるまで時間がかかる。友達にきいたら、クリスマスの食卓で聖書を読むという家庭はあまり今はないみたい。
 ディナーが終わると、待ちに待ったサンタクロースがやってくる!早くこないかなぁ?私も従姉妹たちも落ち着かない。おばに「歌を歌っていたら、早く来てくれるわよ」と言われ、みんなでクリスマスソングを歌いながら、従兄弟たちと輪になって踊っていた。そしたら、……ピンポーン!と呼び鈴の音!サンタが来た!私のプレゼントはちゃんとあるかしら?まずサンタさんに椅子に座ってもらい。歓迎の歌を子供達が歌う。大人も「トナカイはどこに置いてきての?」、「まだ何件の家を廻らないといけないの?」と質問していく。サンタさんの膝の上に子供達が座るのは、伝統行事。おじいちゃんもお父さんも、おばさんたちもカメラを手にしてサンタさんの膝の上に座る子供達を写真に収める。そしてついにサンタさんの大きな袋が開かれ、プレゼントが現れた。サンタさんが一つ一つに書かれている名札を読み上げていく。従兄弟の分、祖父母の分、両親の分、もちろん私のも!プレゼントを配るだけで15分くらいかかる。やったー、今年もたくさんプレゼントがもらえた!サンタさんに感謝の歌を歌って、送り出したら、プレゼントの包み紙をビリビリと破り一つ一つの中身を確かめる。ああ、待ちに待ったこの瞬間が一番楽しい!
 この後もみんなでボードゲームをして遊んだり、まだ夜食を食べたり時はゆっくり過ぎていく。年末まで家族や従兄弟とすごし、年末はそれぞれ自宅へ帰る。大晦日のカウントダウンを祝うためだ。私はそんなに遅くまで起きてられないけれど、大人は何をするのだろう?一年の最初の日はあまり特別な感じはしない。父はもう明日から仕事に出る。保育園に戻るのは母が仕事を始める1月7日だ。6日が祝日なので、その次の日から登園する子たちが多い。

イロナ 6歳
 私は6歳になり、エスカリと呼ばれるプレスクールに入学。ここで学校に入る前の簡単な読み書きの勉強が始まるけれど、それは1日の午前中の時間で、午後は保育園の延長のような感じである。エスカリは教育なので社会がその費用を負担してくれる。残りの時間の保育は両親の一部負担である。料金は両親の収入によって決められる。秋に学期が時始まり、夏休みの始まる前5月の終わりがいつもエスカリの子供達が卒園していく時期で、園庭で小さなパーティが開かれた。保育園の先生たちは親たちからもらうお花やプレゼントで、いっぱいになっていた。

 私は二つの学区の間に住んでいるので、両親の希望と自分の希望で保育園の友達の大半がいく小学校ではなく、反対側にある小学校に通うことになった。両親の考えでは隣の小学校の方が小さめで、その分子供たちの行動に目が行き届きやすいと思ったのかもしれない。小学校教育はこれも社会が費用を負担するので、子供の能力のできるできないの基準で選べないし、両親の経済力も問題にならない。

小学生
 8月の半ばに学校生活が始まった。授業は早い日で12時には終わってしまう。始まるのも日によってまちまちで、9時から始まる日もあるし、10時の日もある。小学1年から2年の間は両親がこの学校の始業時間のために、仕事の量を減らし子供の通学時間まで家にいることができるようにすることもできる。仕事に行っている母はいつも学校の始まる前に電話を私にかけて、私に準備させる。小学校一年生で携帯電話(今20代前半の子どもが小学校時代はスマホはなかったが、今はスマホ)を持つのはフィンランドでは普通。私は何かあったら、すぐ母に電話する。最初の2年は私は学校の授業の後は学童へ通った。母がいつも16時になると迎えにきた。だいたいの家庭では父、母どちらかが保育園や学校へ子供を送り、どちらが迎えに行くかしてそれぞれ8時間の仕事ができるようにやりくりしている。私は保育園時代から習い事として体操と水泳をしていた。父はバレーボールを若い頃から趣味にしている。母は私が習い事をしている間散歩するか、ジムに行くか、泳ぐかしている。子供のいる家庭の自由時間は保育園、学校のあとは習い事中心に動くようになる。
夏には10週間の休みが6月の初めから始まる。終業式は親も講堂に集まり、校長先生のお話のあと「夏の賛美歌」をみんなで歌いクラスに戻ってから、通知表が各自に手渡され終了する。これで夏休み!とても嬉しい!パパとママは成績表とにらめっこして、ああだこうだと言っているけれど、自分的にはそんなに悪くないからいいんじゃないのかしら?寒い厳しい冬のフィンランドでは、短い夏をすべての人が楽しめるように配慮される。習い事も4月の終わりくらいでみんなお開きになる。学校の宿題もない。私は祖父母の家で何週間もすごしたり、親戚のサマーハウスに遊びに行ったりしている。従兄弟たちがいるので、祖父母のところにいても寂しくはない。子供は10週間の休みでも、両親はせいぜい4~5週間の夏休みしか取れないからだ。祖父母はこの時期孫の面倒をみるのが当たり前と思っている。労働力の大人の子供世代は忙しいからだ。祖父母のいない友達は市が運営する夏の学童でとりあえず夏至祭までいるか、学童と一緒になっている公園に行って遊ぶ。公園では夏の間監視員がいる他、「公園ランチ」といってスープやおかゆ類が公園の利用者に無料で配布される。自分のお昼用のパンだけ持っていれば、それに加えてスープでお腹を満たすことができる。親がまだ夏休みになっていない小学生は友達同士で来ていたり、幼児連れの母親も午前中に公園に来て時間を過ごす。
 夏至祭から普通大体のフィンランド人が休みをとる。
 夏至祭にはまず白樺の若木を2本取ってきて玄関の前に飾る。沈まない太陽の中でまずソーセージを焼いて、夜遅くまでサウナに入り、大人達はお酒を飲み楽しむ。子供たちもいつまで起きていても何も言われない。深夜2時ごろに一瞬暗くなるけれど、周りは見渡せるくらい明るいみたい。花が咲く時期だから、10種類の花を集めて枕の下に置いて眠ると将来結婚する人を夢で見れるという言い伝えもある。キンポウゲ、ライラック、シャク、忘れな草とか色々ある。従姉妹のお姉さんが花を集めて、どんな夢が観れるかやってみるんだって。
 私たち子ども達は宿題がないから、ひたすら湖で泳いだり、バーベキューしたり、釣りをしたり、ちょっとサイクリングに行ったり、カヌーに乗ったり、日も白夜で沈まないから夜遅くまでサウナに入りブラブラして、自然の中での生活と親族や友人との時間を楽しむ。サマーハウスは大体お隣が見えないくらい離れていて、完全にプライベートの空間となる。電気も水道もない場所もある。普段は街中に住んでいても、家族や友達だけの限られた空間がフィンランドにはたくさんあり、昔ながらの井戸から水を汲んだり薪をくべて料理をしたり、サウナに入ったりという事でただ時間が過ぎていく。お腹が空いたらレンジで温めてすぐ食事ができるという生活でないけれど、それでもまあなんとかなる。時間の感覚も1日明るいからあまりない。私も従兄弟たちといつまで遊んでいても怒られない。起きたい時に起きて、寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。誰にも邪魔されない。その間にブルーベリーを詰みに森に行ったりする。摘み立てのブルーベリーで作るブルーベリーパイは最高!手も歯も真っ黒になってしまうけど、とても大好き!

 そろそろ風が冷たくなるかもと思う時に、また学校が始まる。夏が終わるとクリスマスのことを考える。クリスマスまで四ヶ月も続く。嫌だな。でも友達と会えるのは嬉しい。だって夏休みの間は、家族ごとに予定があってサマーハウスにいたり、海外旅行に行ったりするから全く会うことができないのだもの。
 小学3年生になると英語の授業、4年生で第二外国語の授業が増える。英語はテレビドラマとかでも聞いてきたから簡単に話せるようになるし、友達同士で英語だけで話したりする。第二外国語は学校によって何が選択できるかまちまちだけれど、フィンランドの第二公用語のスウェーデン語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語などヨーロッパの主要言語から選ぶ。私はドイツ語を選んだ。英語よりずっと難しいから、これはあまり好きではない。

 高学年になると遠足などに行くためにクラスでバザーをしたりということが増えてくる。経済的に厳しい家庭の子もみんなと一緒に行くことができるようにバザーで旅費を捻出しようとするので、毎年5年生や6年生の保護者たちがバザーを開いたり、保護者会の時のコーヒーと軽食を用意する。母もケーキや菓子パンを焼いたり、実際に現場に出てコーヒーを売ったりと仕事の後に学校行事に協力することがあった。学校と保護者とのやりとりはWilmaというメールシステムで行われるので、このバザーの時期になると保護者同士のやりとりが増えて、父は「一人がリーダーになって指示すればいいのに、みんなでやりとりするから、全部メッセージを読むのが面倒」とイライラしていた。私はいつもバザーやディスコがあると、楽しいけれど。お化粧したり、そろそろ両親と一緒にいるのも面倒になってきたかも。

 学校が始まると10月には秋休み、12月のクリスマス休暇、2月の1週間はスキー休暇だから、まだ休みがある。時々まだ休みになってなくても1週間ほど南の島へ旅行にいく友達もいる。秋は暗くて雨が降るので、学校まで行くのが大変。昔の子供たちは学校まで7kmもじめじめした秋も歩いて、冬はスキーで通ったって言う。何十度の氷点下になっても学校は中止にならない。今の私たちは恵まれているのね。
 クリスマスが近づく12月になると、どこの習い事教室でもクリスマス会や発表会がある。子供の頃はサンタさんが家に来てくれるのを、今か今かと待っていたけれど、大きくなった今はサンタは家には来ない。プレゼントだけをディナーの後に交換する。

中学へ。

中学も公立だから学力も何も関係ない。ほとんどが小学校からの繰り上がりだ。誰と同じクラスになりたいか希望は聞かれるが、三人まで。必ず誰か一人とは同じクラスになれる。高校には通知表の平均値でいける高校とそうじゃない高校が分かれ目になってくるので、勉強はちょっと頑張った方がいいのかもしれない。将来何をしたいのかわからないけれど。幸い学力的には私はトップクラスなので、進学校と呼ばれる高校にも進学できると思う。
 中学校では疑似選挙をする。投票の前にどんな候補者がいて、どんな考えを持っているのかを調べる時間がある。そして、ちゃんと周りが囲まれて他の人に見られないように投票場と箱をつくり、誰に投票したいのかを投票用紙に記入してスタンプを押して投票するので本当の選挙と変わらないらしい。
地域には「青年の家」と言う場所があって、そこに行くと中学生、高校生、高校を卒業したユースたちが集まって、ボードゲームをしたり一緒にスポーツをしたり、ただブラブラして遊んだりして時間を過ごせる。週末は夜の11時くらいまで開いているから、家にいるより友達と会えるこの場所に行く方がいい。指導員の大人がいるけれど、親に話さないような事も時には話す事もある。年齢の違う友達もここで知り会うの。
中一の秋には1週間の企業研修があって、自分の経験してみたい会社に行かせてもらう。父の会社に行くのはいやだから、街のカフェで聞いたらオッケーをもらった。カフェでサンドイッチを作ったり、コーヒーを入れたりして、私はこの仕事は一生はできないなと思った。中三での企業研修では保育園に2週間行った。子供達と接するのは意外と楽しいかも。
 他にも「タスクヴァルッキ」の日と言うのがあり、大体秋休みと同時期にあるのだけれど、1日例えば家の落ち葉掃きをするとか、どこか会社でもいいから何かを手伝って、親や会社の人から最初に決めておいた金額をもらう。そのお金は自分のものにならずに、寄付が必要な団体に寄付をする。ユニセフとか赤十字とかがするので、始める前に誰の何の必要のために、お金が必要なのかが説明される。
中学ではやはりいじめもクラス内で発生する。「いじめ防止プログラム」と言うのがあって、何をどうしたらいじめが発生しないように防げるのか、もしいじめを見たらどうするのかと言う研修を受けるけれど、私はこれがうまく機能しているとは思わない。自分は全く関わってない女子グループで関係がおかしくなり、それがクラス全体の女子に関わるみたいな事になって、保護者も呼び出されて緊急の懇談会になったけれど、両親も何がどうなっているのだか、ほとんど理解できてなさそうだった。結局当事者の子は他の学校へと転校して行った。
 中学卒業までにまたは同時に堅信礼がある。1年くらい前からどのクラスで堅信礼を受けるのか悩む。家の近くでするのか、それともどこか他の町のキャンプ場で寝泊まりしながら受けるのか。友達とも同じキャンプに行きたいから、友達とも相談して場所を決める。堅信礼とはルーテル福音教会で、教義を学ぶためのキャンプに参加して、基本教理を学んで、教会の礼拝で聖餐式が受けれるようになる。これはフィンランド人には大切な行事なので、また親族を招待してお祝いのパーティが開かれる。私は1週間のキャンプを選び、森の奥にある教会のキャンプ施設で仲間と一緒に遊び、過ごすことにした。聖書を読んだり、自分の成長、キリスト者としての霊的成長をみんなで分かち合う時間がある。イソネンと呼ばれる去年か一昨年に堅信礼に出た子たちが、新たに受ける子たちのメンターとなって、一緒に過ごす。教会でいよいよ「堅信礼」の儀式の前に白い礼服を着させてもらう。キリストが私たちのために十字架で死なれ、私たちは受ける価値がないのに罪赦され、「義」をキリストから着せられたと言う象徴という意味があるので、この礼服は自分で着ないで誰かに着せてもらう。礼拝に出て大人たちと一緒に聖餐式を受けて、自宅に帰ってからお祝いのパーティ。スタジオで写真も撮らなくちゃね。お決まりのバラの花束を持って。お祝いにはたくさんプレゼントをもらう。一番大切なのは両親が買ってくれた十字架のペンダント。みんなそれぞれ自分の気に入った形の十字架のペンダントを買ってもらう。そして、友達や兄弟に子供が産まれたら名付け親になる事もできるようになる。
 堅信礼のパーティが終わってもまだまだ夏休みは続く。中学になっても宿題もない、夜の来ない中で家族と友達と過ごす。あ、唯一の宿題は植物を集めて押し花にして、ラテン語名を調べて提出することだった。


高校

 中学卒業後は勉強の成績が良くて本人の希望があるなら高校へ、どうしても勉強が苦手な子は職業専門学校に行くことになる。だいたいクラスは半分は高校へ半分は職業専門学校に入学する事になる。高校は他の中学からも進級してくるので、知らない顔も増えた。将来を考えて文系、理系とどちらに進むのか考えてみる。両親と担任と私での三者面談もある。勉強は高校からが本番。ちょっと気を抜いたり、サボったりすると5学期の成績が足りなくなってしまう。1学期中に3日以上病欠しても単位が足りなくなってしまうから、気が抜けない。私も流石に本腰を入れて勉強した方がいいと思った。一人ひとりに自分用のパソコンが購入されて、高校卒業試験も同じパソコンを使って受ける。パソコンの自費負担は少しあるけれど、友達がいる他の自治体では無料提供のところもある。
 コースは2学期以降は自分で選択して、文系に行くのか理系に行くのかを決める。将来何をしたいのか分からないのに、選択するのは難しいけれど、嫌いなものを消去していくと、やっぱり理系かなと思う。高校の数学は難しくなるので、関数を計算する計算機も必要になってくる。最初は三十人くらいいた数学選択者もあまりの難しさに1学期過ぎるごとに人数が減っていく。父は「数学で卒業試験でいい点取っていると就職に有利だから、数学は頑張った方がいい」と言う。

教科書は中学校までは支給されたけど、高校からは自分で用意しないといけない。電子版の教科書しかない教科もあるし、本の教科書もある。教科書は新品を買うと高いから、学生用古本屋で買ってくる。
高校になると急に勉強の内容が難しくなるし、レポートもたくさん書く必要があるから、自然と勉強量が増えた。両親もずっと机に向かっている私を見て驚いている。
 高校では政党の候補者が各党からやってきて、私たちの興味のある内容、運転免許、教育計画などについて候補者達がディベートして、子供が質問あればしていい。政治っていうのはテレビの向こうでおじさんやおばさんが何かを一生懸命話しているだけなのかと思っていたけれど、自分達の生活の問題もこの人達は考えていて意見があって、これからどうしていけばいいのかを考えているんだなと思った。
彼氏もできた。彼は数学が苦手だから教えてあげる。英語は彼氏のほうが断然うまい。男子はオンラインゲームをする時間が女子より長く、フィンランド語で遊べるゲームも限られているため、もっと遊ぶためには英語を理解し、できるようじゃないと遊べないから。フィンランドではほとんどの教科で女子のほうが成績がいいけれど、英語だけは男子。特に試験勉強しなくても、何の問題もなくパスできる。
学校ではピルも女子全員に処方してくれる。親には内緒。容易に妊娠しないためには、自分の体を守る必要があると言うので、この件については学校には親に知らせる義務もない。もし移民のムスリムの女の子でピルを使っているのをお父さんが知ったら、殺されてしまう事もあるらしいから、そのための対応でもあるらしい。ある日母が私の部屋を掃除していたら、ピルを見つけてしまい、色々と問われてしまった。そこらへんに置いてあった私がいけないんだけれどね。タバコとピルの相性は悪く、同時に摂取すると血栓ができる恐れがあるから、両方は使うなとは言われた。一度飲み始めたら飲み続けないといけないし、新しく買うには結構お金がかかる。
テストはほとんど記述式で、自分の考えをまとめて書かないといけないからいつも難しい。特に「宗教」の時間は、まったくとんちんかんな事をきいてくる。
 高3のテストが終わり卒業が間近になり、もう学校に来なくなると、高2が学校で一番年上となることから、最年長=古いという事に掛けて「古いダンス」パーティが開かれる。アメリカで「プロム」と言われているパーティみたいなもの。パートナーは付き合っているとかそういうのは関係ない。特に女子が多く、男子が少ない学年ではもう高校に入り周りを見渡した時点で「『古いダンス』のパートナーになって!」と約束を取り付けないといけない。でもあぶれてしまっても、上級生が助けてくれるから、そこまで必死になる必要もないんだけれど。何ヶ月も前からダンスを練習して、特に女子は美しいドレスをいかに安く手に入れるかに時間をかける。おばあちゃんがドレスを手縫いしてくれる子もいる。男子は数日前にあわてて服を用意しに走るのが普通。この日は高2生はみんなフォーマルに着飾り、親たちも招待され華麗なダンスパーティを披露する。披露が終わったら、親と一緒に踊る時間もある。これが終わったらいよいよ本格的に高校卒業テストへ向けて、気合いを入れる。
 高校卒業テストは早ければもう高2の春学期から始められる。最低4教科を受けなければいけない。4つのうちの一つは母語(フィンランド語、スウェーデン語、またはサーメ語)。3つの中にはもう一つの母国語(フィンランド語ならスウェーデン語、スウェーデン語ならフィンランド語)、外国語、数学またはリアルと呼ばれる教科から選ぶ。この他に自分で進学に必要と思われる教科を自分で選ぶ。最初に受けたテストの結果に不満があれば、もう一度挑戦することもできる。テストは全てパソコンでの記述式。数学のテストは4時間あって、終われば途中で退出できる。私は語学はちょっと苦手で、どちらかと言うと理数系。フィンランド語、英語はもちろんやらないといけないけれど。文系の子ならフィンランド語、スウェーデン語、英語、ドイツ語など4ヶ国語のテストを受ける子もいる。とにかくこれが大学入試への証明となるので、力を入れないと。
10週間の夏休みは相変わらず宿題もない。バイトもしたいけれど、高校生を雇ってくれる場所はなかなかない。どこでも「経験」が必要と言われる。仕事をした事がないのに、どうやって経験をつければいいのだろう?とにかく叔母のコネで、夏休みの間の学童アシスタントの職を得た。子供は6月の初めから夏休みになるけれど、親はまだ夏至祭まではとりあえず働く人が多いから、その間子ども達を預ける場所だ。朝から親が迎えにくる5時まで学童の場所で、小学生たちと一緒に遊んで過ごす。お昼はみんな持参。ランチにパンだけの子がいたり、忙しい親は子供のランチまで手が回らないのかな?これを見ているとちょっと悲しくなるなぁ。4週間通って、初めてお給料という物を手に入れて、何を買おう?中学卒業後に専門学校に行った子たちは、夏の間も仕事はちゃんと手に入れてる。
 高校の最終学年が始まる前に私は18歳を迎え、フィンランドで法律上の大人となった。両親の私への扶養義務は終了し、私には納税の義務ができて納税カードもすぐに送られてきた。また選挙権もあるので、選挙の時には投票券が送られてきた。思えば小学校の時に実際の大統領候補がどういう人でどんな政党に属して、どんなスローガンを掲げていて調べて、みんなで誰が大統領にいいかと投票するかという、擬似投票もやったなぁ。あれはこの時のための、練習だったんだ。
 高3になるといよいよ卒業試験に向けてずっと勉強の日が続く。4月の終わりまでテストが続く。得点の付け方は7段階に分かれていて最高のLaudatur
は全体の受験者の7%だけに与えられる、以下Eximia cum laude approbatur
は15%、Magna cum laude approbatur20%、Cum laude approbatur24%、Lubenter approbatur 20%、Approbatur 11%、Improbatur 5%となる。私の生物のテストでは最高のLaudaturまで3点少なかった!他の教科もあとわずかでLaudatur
に届くのに、残念。それでもかなり上位の成績だから、まあ自分的には満足しているし、問題ない。
 このテストは高3で絶対しないといけないのではなく、自分の学力が十分じゃないと思ったら先に伸ばし、3年生の一年が終わった後でも高校に残り授業を受けテストにチャレンジできる。だから高校に4年いる子や、秋学期に終了する3年半いる子というのもいる。
 この高校卒業のテストが大学入試の基準値になるので、このテストの学力証明書をもらい高校を卒業するとまた親戚一同を招待してのパーティとなる。成績表もみんなに見てもらう。伝統的にこの卒業試験をパスした者には、特別な帽子があり、昔は一夏中それをかぶっていたみたい。帽子を頭に載せたら、それはとても名誉ある事なのだ。またバラのお花をたくさんもらって、何十人もお客を迎える。母もアシスタントを頼んできて、キッチンで大忙しだ。スパークリングワインで乾杯を交わし、お祝いをもらって長い1日を過ごす。
 テストを終了するのと同時にこの先をどうするのかも考える。私はすぐ進学しようと思い大学に願書を出した、まだ何をしたいのかわからない友達は一年ギャップイヤーを取る。その数がおよそ25%。専門学校に進む人もいるし、大学を受験したけれど、入れない子もいる。男子は徴兵制があるので最低半年は軍隊に行かないといけないので、進学を考えるのはその後。彼氏も軍隊に行ってしまう。
私は運良く大学に入れた。自宅を出て学生寮で暮らすつもりだが、学生寮に入るための倍率も高い。家賃補助と学生補助が社会保険省から出るけれど、自分で生活するために夏の間にアルバイトをしてお金を貯めないと。高校を出たばかりの私にはまだ職探しは困難を極める。募集に応募して、だいたいグループ面接で課題が与えられ面接されるけれど、自分でうまく行ったと思っても、やはりその分野の勉強をしているとか、進学するとかじゃないとなかなか道が開かれない。面接に来ていた他の子から「あなたはグループワークでもリーダーシップがあって、発言もしっかりしているから受かるよ!」と言われたけど、やっぱりダメだった。それだけじゃ足りないみたい。
 年上の友達は20歳だけれど専門学校で学んでもう就職が決まった。家も買うのにローンも組んだし、赤ちゃんも生まれる。

次のストーリーへ続く

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