ミンナのモノローグ フィンランドの人・社会福祉・介護 聖書を基として見る 2

今回は中年女性の人生に起ったことを見ていきましょう。
ストーリーはフィクションであり実在の人物・団体などとは一切関係ありません。

ミンナ 56歳

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』聖書 ペテロの手紙 第一 5章7節

 5週間の夏休みが終わり、人気のまばらなオフィスに戻った。ラップランドにあるサマーハウスにほとんどいたけれど、今年の夏は雨ばかりで天気が悪かったから、秋になったら太陽を求めてまたどこか南の島に行きたいねと夫と話していた。そうでなければ長く続く冬が越せなさそう。森のベリーもまだ熟すのに時間がかかりそうだから、また8月の終わりになったらもう一度サマーハウスに行くだろう。
 まだ夏休み最中の社員が多いためオフィスは閑散としているし、取引先の人たちも大概今夏休みを取っているので、かかってくる電話もまばらで静かに自分の業務に集中できる。同じ部署の同僚たちはまだ夏休みなので、ランチは一人、社員食堂でかぼちゃのスープとサラダを食べる。食堂もガランとしていて活気がなく、厨房の移民系のコックたちも手持ちぶたさそうにしている。最近は社員食堂でランチ時に余った食べ物を小売にしてくれるので、夕食用にチキンソースとライスを1パック購入した。メディアでは世界の環境問題が毎日のように取りざたされていて、ゴミを減らそう、プラスチックの使用をやめようとフィンランド人は小さな民族であるけれど世の中で話題になる問題を解決しようと、一人一人が意識している。環境問題に感心のあるフィンランドの企業としては、余った料理を捨てない方法をとり、こういう事で若い優秀な人材に就職先として選んでもらうために、意識の高さをアピールできるのだろう。働き盛りの小さな子どものいる家庭の女性には、スーパーにもよらずに食事を用意する手間が省けて、これはとてもありがたいだろうし。

 家のあるケラヴァ市からオフィスのあるヘルシンキまで、夏の期間は自転車通勤をしている。冬場はヘルシンキまで電車で30分だ。オフィスにはシャワーもあるので、到着時に汗をかいていてもさっぱりしてから業務に移ることができる。
 夕方、ここ北欧では晩夏でもまだ日の出ている時間は長いから、サイクリングロード沿いにある林からもれる木漏れ日の中自転車で家まで走る。郵便受けを見ると私宛に一通の封書が届いていた。

 最近のIT技術により殆どの請求書は直接銀行のホームページで支払いのやりとりをするようになっている。郵便配達も毎日ではなく、週3日になってしまった。郵便受けに来るのは税務署から、銀行のサービスの改定のお知らせ、車検が近づくと車検会社がサービスを競ってくる。今の時期は夏だから税務署からではない、車検も夏休み前に終わっている。封書はなんと家庭裁判所が差出人だ。一体何だろう?緊張して封を開けると、それは離婚届だった
 紙を持った手が小刻みに震える。息もうまく吸えない。頭の中が真っ白になって、私は床の上に膝をついてしまった。夫から離婚を申し渡された。私には何が理由なのかわからない。お互い仕事に通い、趣味を楽しみ、共通の友達もいて、生活費だって二人で折半していて私が彼のお荷物になっていたとは思えない。普通の生活を普通にしてきたのではないのか?ショックだったのは夫からは何の前ぶりもなしに離婚届けは夫一人の意思で出されていた、フィンランドでは離婚届が提出されれば、一応家庭裁判所で審査されるが100%離婚は成立してしまう。異議申し立てをするだけ、時間もお金も何よりも精神的に消耗するだけだろう。
 夫本人はまだサマーハウスに一人でいる。つい数日前まで一緒に過ごしていたのに、夫は一人で離婚の手続きを踏んでいたのだ。今はどんな手続きもインターネットでできてしまうから、私がまだサマーハウスにいる間に、ネットで離婚届を書いたのだろうか?どうりでお酒の消費がいつもより多かったわけだ。
 私は大学を出てから、ある会社で経理職をしている。大学時代に知り合った夫と結婚もして子供も生まれた。数十年の間、普通に家族生活を送っていたと思っていた。一戸建てをヘルシンキ郊外のベッドタウンに建て、休暇には家族でフィンランド国内、海外を旅行し、サマーハウスもラップランドの湖のほとりに買った。普通の生活を送っていたはずだ。


 少し遅れてサマーハウスからなんとなくこっそり気味に、私が会社にいるだろうと思われた昼間に戻ってきた夫に事の次第を問い詰めた。こんな事が起きて私が普通に会社に行けていると思っていたのかしら?彼は「離婚してくれ」と一言だけ。私も感情が昂り問い詰めていると、夫はとうとう真実を語り始めた。ラップランド出身の彼はラップランドを一人歩くのが趣味だが、ある日ハイキング中に一人の女性に出会い一緒に行動しているうちに、そういう関係になったと言うのだ。どのくらい前からそうだったのかは、明かさなかった。外科医の夫は勤務は時々ハードだが、その分私よりも自由になる時間が多い。その時間を利用して一人でラップランドハイキングに行っていたが、そんな事になっていようとは…。機械に疎い夫でSNSにも興味のない夫が、たまに熱心に携帯電話を見ていたのはそういう理由があったのか。そう言えば、一回彼の誕生日にバラの花束を持って帰ってきたことがあった。「同僚から」と言っていたが、今まで花束などもらってきたこともなかったし、しかも真っ赤なバラの花束を同僚が渡すだろうか?あれは相手の女からだったに違いない。私の心は締め付けられた。
 私の従姉メルヤも去年熟年離婚してしまったが、その理由が「食器洗い機に食器を入れるやり方」に彼女の夫が耐えられなくなったからだと聞いた。夫と子供たちがメルヤが思うように食器を並べられないらしい。確かに彼女はちょっと潔癖症で、何でもきれいに片付けて、物も定位置にあり、インテリア雑誌に出てくるようなインテリアの家に住んでいたけれど。メルヤの旦那さんはその事でもうかなり長い間「進展がない」と言うことで、子供たちが成人したら離婚しようと計画していたらしい。『そんな小さな事で??』と、その理由を聞いてびっくりするやら、呆れるやらだったし、それで離婚できるのだと関心したけれど、メルヤも今の私と同じように傷ついていたのかしら?

 夫はそそくさと自分の荷物をまとめ出て行ってしまった。物を集める趣味がある人ではなかったから、彼がまとめる必要のある物は少ない。家の壁にかけられている絵画やグラフィックはほとんどが彼の趣味だけれど、それらは全ておいていくのだろうか?女の元にでも行くのだろう。一戸建てに私一人だけが残された。

 すでに独り立ちしている私たちの娘にはもうすぐ子供が生まれる。私たちにとっての初孫だ。孫にはおじいちゃん、おばあちゃんがこれから一緒にいる姿を見せることはできないのか?どうしてこうなる前に私は気がつかなかったのか?相手はどういう女性なのか?あと数年すれば年金生活が始まるから、二人でリタイヤ後のプランを考えたこともあったのに?私たちが一緒にいた数十年はなんだったのか?何日も考えが巡り、眠れない夜が続き、仕事には行けなくなってしまった。酒に頼ろうともしたけれど、それは何とか留められた。
 職場には医師の診断書を提出しなければならないので、産業医へ行きこれまでの経過を説明すると、「鬱」と診断され抗鬱剤を処方された。3週間おきに再受診があるらしい。普通だったら毎日2時間ほどの散歩にも行くのに、それにも行くことができずにソファの上で日がな一日を過ごすだけ。

 孫は無事に生まれ、誕生から一月半経ち洗礼式だ。参加者は主役の白い長い礼服を着た赤ちゃん、娘夫婦、名付け親二人、私、私の母、婿の両親、私の兄弟とその子供達、婿の兄弟達、両親の一族からも数人そして洗礼を授ける牧師。しかし夫は来なかった。婿一族が私に向ける「哀れみと興味の混じった視線」に耐えられない。夫は私と顔を合わす事はしないらしい。また仮にここに参加していたとしても、状況はさらに困惑を極めるだろう。夫は一人または新しい女と一緒に、別の機会を持つのだろう。

 孫はとても可愛い。娘は大学での勉強を中断しての出産だったので、色々と用事があるだろうからと、私の体調が良い時は孫の世話を引き受ける。赤ちゃんでも母親なしで私のところにお泊まりもするし、小さな無垢な命に触れていると少しは離婚での傷も癒される。子供を育てた時とは違う喜びがある。娘は父のことや離婚のことについては多く語らない。彼女の中でも何か再構築する考えがあるのだろう

 幼馴染から「11月にカナリア諸島へでも行きましょうよ」と誘われたけれどとてもそんな気はなかった。彼女の夫も一緒に来ると言うのに、私はその中に一人でいく事は今はできない。北の空を覆い尽くす厚い雲に覆われた秋の空と同じように、私の心の中にも暗い灰色のものが大きな領域を占めている。これから来るクリスマスもどうなるだろう?孫と一緒に過ごすのでなければ、寝たい時に眠り、多くの時間が眠りにへと消えていった。
 一年でみんなが一番待ち望み、楽しく過ごすクリスマスが近づいてきたが、ウキウキとした気分にもならず家の中も暗いまま12月を過ごした。幸い娘夫婦が孫を連れてイブからクリスマス当日にかけて来てくれることになったので、慌ててジンジャークッキーを焼いたりしてみた。音大卒の婿がピアノでクリスマスソングを弾き始めたら、やっと心にクリスマスは楽しまないと、という思いが来た。孫は赤い「妖精の帽子」を被って、ニコニコしているのはとってもカワイイ。娘は時々孫を連れて元夫に会いに行っているらしい。

 孫の誕生から半年後、今度は母が大変なことになった。街にほど近い郊外の森の中の一軒家に住む82歳の母は朝新聞を取りに行こうと家のポーチに出て数段の階段を降りようとした所、滑って転んで骨盤を骨折してしまった。たまたま犬の散歩をしていた母のお隣の若奥さんが現場を見て救急車を呼んでくれた。雪が降ったけれど最近は気候の変動が激しくて昔なら一度降ったなら春まで溶けなかった雪が、暖かい日に溶けてしまう。それがさらに夜の間に再び凍り、その氷が原因で転んでしまったのだ。少なくとも数ヶ月は病院でのリハビリとなる。その後家に戻るわけだが、今まで一人での生活ができた母だけれど、どうなるのだろう?とにかく病院でリハビリ生活をしている母の元へほぼ毎日通って、様子を見に言った。
 孫と母の世話、自分のメンタルの回復、仕事への復帰、今の私にはあまりにも荷が重すぎる。一人で住む一戸建ての維持費も大きい。元夫は外科医だが、私はただの事務職員で給料だってそんなに良い訳ではない。家、車の維持費、保険などは一人で払い続けるには負担が大きい。回復の時間に加え、どうやって家族の面倒を見ることができるのだろうか?
 

 一人散歩に出る。4月の初春の冷たい風の中を歩いていると、終わりのない真っ暗なトンネルの中を歩いているような気がする…。なぜこの半年の間に思ってもみなかった事が立て続けに起こったのか?北の大地になかなか訪れない春。遅く降った雪のせいで、まだ地上には雪が残る。ネコヤナギのつぼみは硬いままだ。イースターが週末に来るが、娘夫婦はこの時は、婿の実家に行くらしくて私のところには来ない。

 受難の金曜日、お隣に誘われてイースター受難劇を教会に見に行った。自分は何も悪いことをしていないのに、祭司たちの嫉妬で十字架に架けられたイエス。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」私は元夫を赦せるのだろうか?こんな事をしてくれた元夫を責めているが、元夫にそういう事ができる心の空白を与えていた自分自身のことも責めているのではないのだろうか?自分自身も赦す必要があるのだろうか?教会では劇の後イエスの死を象徴する黒い布が架けられた祭壇の前で、賛美隊による賛美歌が捧げられた。この修羅場を通ってきた中で涙は流さなかったが、何故かここで涙が出て止まらない。

 白樺の木に緑の葉が吹き出て、一気に大きくなった頃、母がリハビリ病棟から自宅に戻る時が来た。訪問介護の帰宅チームが自宅前で車椅子で帰ってきた母と私を迎えてくれて、病状や薬の説明、サービスの内容を確認した。もう今晩から市の訪問介護が様子を見にきてくれる。宅配ランチも契約した。掃除とか食料品の調達は私の仕事になるだろう。しばらくは母のシャワー介助もしなければ。母の年金だってそれほど多くないから、出費を抑えるためには私が助けることは私がした方がよい。父は数年前に他界している。
 母は認知症ではなく頭はしっかりしているので、リハビリ病棟にいた時には認知症が原因で入っている患者さんの言動に驚いたり、夜中の叫び声などでゆっくり眠ることもできなかったらしい。家に戻ることができて、安堵している。

 上司と相談して職場には仕事のシェアリングを頼み、一年の休みをもらった。自分の心が落ち着くための時間、孫との時間、母への時間、これらの責任を仕事をしながら持ち続ける事は私には不可能だ。住居も一戸建てからもっと小さいものへ引越しする必要がある。一人で庭の草刈りや家の管理など、とても手に負えない。財産分与の手続きもまだ終わってはいない。


 幸い近所の友人と散歩に出たりコーヒーを飲んだりすることができるようになったので、自分の感情を吐く場所はある。お隣の夫人は「Match(フィンランドで使われているのデートサイト)で新しい人でも探しなさいよ。新しい恋が始まればまた全てが良くなるわ」と勧めてくるが、まだとてもそんな気持ちになれない。

続く


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