サムライ 第13話

【前回の話】
第12話https://note.com/teepei/n/n23a2641b13e5

 次の日に徳本さんに会い、職場だから会うのは当然なんだけれども、俺はこの人に会いたかったんだ、と思った。
 そして挨拶もそこそこに、前日の帰り道の話をした。だけど湿っぽい空気に付き合わせるのも申し訳ないから、努めて明るく、むしろ間抜けな失恋を笑い飛ばすようにして話した。
 勿論徳本さんにも笑い飛ばしてもらいたいのだが、口をぐっと真一文字に引き締め、まるで何かに耐えるようにして聞いている。中々手強いな、なんて思いながら、それでも俺は、『おめでとう』がすぐ出なかったこと、彼女の伴侶の話をほとんど憶えていないこと、最後に無言を生みだしてしまったことなどを滑稽に仕立て上げ、まるでこれは笑い話なんだと言わんばかりに笑い飛ばす。
 だがやがて、バス停前のあの時のように、とうとう言葉が止まってしまう。
 すべてを話し尽くしたからだろうか。それともこれ以上は痛みに耐えられないからだろうか。
 その理由は分からないけれど、辛かったな、と徳本さんが優しく肩を叩いてくれた。
いやいや徳本さん、これは笑い話なんだよ。笑ってくれよ。
 そんな最後の強がりも、本当は求めていたその優しさに降伏し、俺はわずかに涙を許してしまう。
 
 そしてその日の午後、よりにもよってこんな日に、山辺が会社に姿を現した。
 勿論勝手に来たのではなく、上長に連絡をしたうえでのことだった。
 上長には仕事を続けたい意志を伝え、幾たびも徳本さんが促した謝罪を口にしたのだという。
 上長は午前中、本社で会議だったため、午後からの出社を勧めた。上長から事情を話すためだろうが、お陰で唐突な帰還がより際立って演出されてしまったのだ。
「ごめんなさい」
 上長から挨拶を促され、開口一番山辺は謝った。深々と頭を下げ、なかなか頭をあげてこない。いや、上げられないと言ったほうが良かった。
「もういいよ」
 山辺に近づき、そう言いながら谷口が背中を叩く。
 それをきっかけに職場の皆が、そして俺も近づいていき、山辺を囲んで口々に、もういいから、とか、頭を上げなよ、とか声を掛ける。それでもしばらく頭が上がらず、それは申し訳なさもあるだろうが、他にも理由があった。
 山辺は泣いていたのだった。
 谷口に叩かれた背中は震え、下げた頭の鼻先から、ぽたぽたと滴が落ちている。自分のことで忙しいこんな日に、と思っていたはずが、その姿から心に触れる何かを覚えてしまう。
 山辺の前の人垣が自然に割れ、徳本さんが現れた。
 その気配を察したのか、頭を下げたままの山辺に緊張が伺える。厳しく叱責されるとでも思ったのだろうか。
 しかし近づいた徳本さんは、いつもの調子で優しく背中を叩きながら言った。
 よく謝れたじゃないか、と。
 山辺の背中は大きく震えだし、既に嗚咽が漏れるのも構わず泣き出す。
 はちきれてしまったものは、もう止めることが出来ない。ようやく上げた山辺の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、そのままこう言い放ったのだ。
「でも、兄貴を裏切ることになっちまった」
 なんて切ないひと言だろう。
 森井を慕う気持ちは本物だった。
 だからこそ葛藤も大きかったに違いなく、その苦しみを垣間見てしまう。
 山辺は袖で顔を拭きながら、それでも嗚咽と涙が止まらない。まるで幼い子供のように泣きじゃくる。その切なさに突き動かされ、俺は山辺を抱擁して言う。
「大丈夫、もう大丈夫だから」
 そうして先程はわずかにしか許さなかった涙を、今度は思う存分流してやろうと決めた。
 そう、山辺があまりに無邪気に泣くもんだから、泣くことの何が悪いんだと思えたのだ。
 分かってる。
 山辺の切なさに便乗した自己浄化だ。
 徳本さんだって分かってる。
 それでも悪いことではないと、温かい目で見守ってくれるはずだ。
 そして周りのみんなも、どうしてこいつがこんなに泣くのかと思いながら、それでも温かい目で見てくれるだろう。
 その心地よさの中で、俺と山辺は心ゆくまで泣いたのだった。
(続く)

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