サムライ 第7話

【前回の話】
第6話https://note.com/teepei/n/nc5cbb0e0d47f

 翌日、また違う従業員が声を掛けてきた。四人で当たれば、残業時間にそれほど食い込まずに済んだ。そしてその翌日、また違う従業員が声を掛けてくる。こうして次第に人が増えていき、いつからか森井と山辺の分を、それ以外の皆が何も言わず請け負うようになっていた。自分の片づけが終わった人間から森井と山辺の分に手を付けていき、残業に食い込むことはほとんどなかった。それでいて、森井と山辺に文句を言う人間はいない。徳本さんだけが二人を見かけると、謝ったのかい、と問いかける。皆は徳本さんにすべてを預けていた。徳本さんを中心にして築きあがった信頼関係を、それぞれが大事にしているようだった。森井は徳本さんに問いかけられても既に反応もしない。無視するので精いっぱい、と言ったほうが良かった。山辺は相変わらずそんな森井の後を追っかけて行く。

 尖っている雰囲気がとっつきにくい森井だったが、俺には少し踏み込んで話せるような時期があった。人員の都合で一時的に組まされたのだった。普段から発している森井の敵意がやりづらく、勿論最初は辟易していた。しかし意外にも森井は砕け、俺の面倒もよく見てくれた。そんな森井を知るうち、抱える敵意がどういうものなのかも窺い知る。それは破滅的な怒りだった。向かう先も分からず救いがない。ある時は体制に、ある時は多数派に、そして漠たる全体に刃向かい、傷付き、疎まれ、孤独だった。そのため周囲と馴染むこともあまりない。しかしその怒りについては、俺にも少しわかる気がしていた。森井が俺に対して砕けたのは、その辺りを肌で感じ取ったからかもしれない。当時の森井の言い分を小気味良く思っていたし、だから俺の事情も打ち明け、森井もそれに理解を示してくれた。
社会に初めて出て、入ったのが前の職場だった。俺の上に就いた上司は最悪で、上司である権力を振りかざし、あらゆる理不尽を振るっていた。以前の上長と似ていたわけだが、違うとしたら暴力さえ平気で振るうことだった。もちろん怪我にならない程度に、だ。自分より立場が上の人間には必要以上にへつらい、そして裏では平気でその人間に唾を吐くような、そんな糞みたいな上司が振るう暴力なんてたかが知れている。俺はそんな風に思い、顔色を伺う周囲に埋もれながら怒りを溜め込んでいた。そしてついに暴力が振るわれ、俺は反撃してしまった。初めての反撃に最初はうろたえ、痛みに悶えていた。それにもかかわらず、次の日には立ち直るどころか俺を訴えると騒ぎだしたのだ。そしてこう言った。
「訴えられたくなかったら、自己都合で退職しろ」
 最初に暴力を振るったのは上司のはずだったが、上司の暴力は怪我として残らない。そして目撃者であるはずの職場の人間達だったが、入って間もない若僧をかばうわけがなかった。訴訟に対する漠然とした恐怖を最大限に生かし、上司は俺を追い出すことに成功した。初めての社会で受けた理不尽に怯え、ビクビクするようにして駆け込んだのがこの職場だった。
「世の中糞ばかりだな」
 理解の証として吐き捨てられた台詞に、森井の敵意が剥き出しになって溢れていた。それからしばらくして山辺が入り、また配置換えが行われた。山辺は森井と組むようになり、もともと後輩として付き合いのあった山辺は森井のことを兄貴と呼んだ。その舎弟気質に俺は生理的な嫌悪感を抱き、山辺を壁にして森井とは疎遠になっていった。
(続く)

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