駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第27話

【前回の話】
第26話 https://note.com/teepei/n/n0690ebb2ccbb

「やっぱり分かりません。そもそも魔王さんの理解が深すぎませんか」
 虚ろな表情を隠さず、Aが魔王に愚痴をこぼす。
「丸一日ありましたからね、色々考察を進めるには十分すぎる時間です」
 そうですか、とAの諦めにも似た響きがため息に混じる。

 そしてふと、ある科白を思いだす。

「別れの時、って」
 Bに視線を向けると、Bは再び俯いている。
「ああ、それなんですが」
 と魔王。
 しかしその先は続かず、代わりに魔王の背後で妙な気配が発した。
 Aが覗き込み、そこには空中に現れた唐突な穴がある。
「そろそろですね」
 魔王が振り向き、穴からは人影が現れる。

 ドサ、と重みのある音をたて、出てきたのは男だった。

 続けて何かが穴から這い出ようとする。
 男に比べて遥かに大きく、そして容貌には異様さが先立ち、言葉を呑む。
 
 蛙。

 ここでようやくAの中で、魔王が邂逅していた三人組と繋がる。
 蛙男がドサっと大きく落ちる。打ち所が悪かったのか、片手で抑えながら頭を振っている。
 ふとその脇に、いつ間にか少女が立っていた。
「待ってましたよ」
 魔王が三人に歓迎の意を示す。
 しかし、先に衝撃から立ち直っていた男が魔王と向き合う。
「あんた誰だ」
 明らかに噛み合っていない。
 しばし考えるような間ののち、魔王がぽつりと言う。
「これは、何かニアミスですかね」
 そして今度は、取り残された穴が奇妙な運動を見せる。
 
 それは理解を超えた侵食だった。

 穴の向こうから何かが盛り上がり、それは気味の悪い肉感に満ちる。
 こちらの空間へねじ込む力は理不尽で、理解し難い軋みを伴い、気付くと巨体が現れた。
 皮膚がひりつく。
 頭で理解するよりも先に、体が危機を感じ取る。
 逃げなくては、と、Aがようやくその判断に至り、しかし既に遅い。
 巨体は弾けるような突進を見せた。
 ただしそれを受け止めたのは魔王だった。
 まともに衝撃を受け、魔王に強力な顎が食いつく。

 鰐。

 食いついた貌には本来の名残があり、強力な顎が魔王の右上半身を噛みつぶす。我が目を疑う間もなく、食いちぎられるであろう魔王の背中を前に、Aは呆けるしかなかった。
 
 しかしそこで、場が止まる。
 
 鰐男の貌に、何かが過る。
 
 それが怯えに近い、と気付いた時には鰐男の顎が魔王を解放していた。開いたままの口。無残にも砕けた牙を剥き出しにして、その巨体を後ずさりさせる。
「なんでしょう、これは」
 噛み砕かれようとした事実など気にも留めず、纏った涎を手で振り払う。
 開いたままの顎は外れてしまったのだろうか、小刻みに震える鰐男へ、魔王が一歩詰め寄る。
 付け入る隙がなかった凶暴な外見は、今やその目に怯えを見せる。
 
 魔王が次の一歩を進めた。
 
 妙に甲高い声を捻り出し、鰐男が距離を取る。
 それから長い口先に手を当て、何をするかと思えば口の中に押し込んだ。それから巨体のすべてを口の中に押し込み、宙に再びぽっかりと空いた穴を見せ、閉じた。
「何なんですか、一体」
 そうぼやきながら、まだまとわりつく涎を魔王が拭う。
「あんた、平気なのか」
 始めに穴から出てきた男が、ようやく魔王に問い掛ける。
「何がですか」
「何、って今、噛まれてたろう」
 ああ、と落ちきれない涎の処理に見切りを付け、魔王が男に向き直る。
「あれくらいなら大丈夫です。それより貴方、ちゃんと両腕がありますね」
 あっさり答え、魔王は再び噛み合わせの悪い問い掛けで返す。

 普通に強いんだ。

 改めて突き付けられた魔王という事実に、Aの認識がようやく追いつく。
「あんた、さっきから何言ってんだ」
 男は不可解な表情を隠さずに答える。
 蛙男は全く意に介しておらず、そもそも表情が読みづらい。
 少女にも動揺は見えず、蛙男のそばに立ったままだ。
 Bがいつもの笑顔に戻っていて、カヅマは涼しげな顔で遠くを見遣る。
「これは失礼いたしました、ちゃんとした説明もせずに」
 と魔王が詫びた途端、また異質な気配が起こった。

 やはり魔王の背後に位置し、再びAが覗き込む。

 魔王も振り向き、そこには穴が開いている。

 そして出てきた人影は慣れた着地を見せ、その片腕がない。

「今度は正解ですかね」
 
 そう言い、魔王が向き合った隻腕の人影は男だった。
 
 穴の開く気配が、そこかしこに現れる。
「久しぶりだな」
 
 隻腕の男が言う。
 
 ようやく噛み合う状況を見せ、魔王は静かに微笑みで答えた。
(続く)

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