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テネシーワルツと江利チエミ

テネシーワルツとは、1946年に作られたアメリカのカントリーミュージックをパティペイジが1950年にカバーし、大ヒットした曲。

日本では、高倉健さんの元奥様、昭和を代表する歌手の江利チエミさんが1952年に日本語でカバーしたこともあり、日本でも愛される曲となっていきます。

わたしはこの曲が大好きで、常日頃口ずさんでしまうのですが。

何よりも歌詞がとても切ない。

『テネシーワルツに合わせて彼とダンスを踊っていた時、突然昔の友人に再会し、その友人に彼を紹介した。

二人は踊り始め、その友人はいつの間にか彼のハートを私から奪い去ってしまった。

私は今も思い出す。あの夜にかかっていた曲はテネシーワルツだったことを。』

すっごく省略しています。。。

歌詞を見るだけでドキッとしてしまう曲。

江利チエミさんはパティペイジのテネシーワルツのレコードをとある米兵さんからプレゼントされ、英語も堪能な彼女はのめりこんでしまったようです。

デビューするならこの曲がいいとご自身の想いを貫き、テネシーワルツの日本語バージョンにてレコードデビューを果たしました。(上記歌詞ではなく、当時の方たちが聞きやすい仕様になっていました)

その後は高倉健さんと結婚、波乱万丈な人生で離婚もし、1982年に45歳で虹の橋を渡ってしまわれております。

高倉健さんはご自身が亡くなられるまで、江利チエミさんのお墓へ毎日お参りにいっていたようで、

主演の映画【鉄道員ぽっぽや】でテネシーワルツが選ばれたとき、『この曲を使うなら芝居はできない。』と、おっしゃられたようです。

名曲には様々な想いが込められているのだなと、毎度歴史を辿ると胸をつかまれた気持ちになります。

私はパティペイジから知り、江利チエミさんにたどり着いたのですが、当時のアメリカの名曲をいくつか歌われております。

戦後復興真っただ中、江利さんから少しづつアメリカの文化を知っていく日本人も多かったのではないかなと勝手に妄想しています。

テネシーワルツと同時に発売された『Come on a My House』も名曲で、個人的に大好きで、YouTubeにアップされていた方がいたので、拝借いたしますね。

The 60年代!というファッションが本当に可愛らしい。


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