バンクーバーのブランド品店で売り子のバイト
30年ほど前にワーキングホリデーでカナダに6ヶ月ほど滞在した。そもそもがカナダ経由でアメリカに移住しようという無謀な計画だった事については前回書いたのでここでは割愛する。
カナダに降り立った直後、どこに泊まってどの様な行動を取ったのかはすっかり忘れてしまった。出費を抑えるためにバンクーバーのダウンタウンにあるYWCAに宿泊した気がする。
何はともあれ住む場所と仕事を確保せねばと焦った記憶はある。どこでどう見つけたのか忘れたが、気がついたらリッチモンドという郊外にある住宅街に住む家庭にホームステイをしながらダウタウンにあるパンパシフィックホテル内のブランド品店で売り子の仕事をしていた。
ホームステイ先は八木さんという日系カナダ人の家族だった。奥さんは日本の保守的な環境を逃れるために単身カナダに渡った人だった。確か、意に沿わない結婚を親から押し付けられそうになって逃げるようにカナダに移住したと言っていた。今はどうかわからないが、当時は美容師か寿司職人の資格があれば比較的簡単にカナダに住んで働けるビザが取得できたらしい。彼女は美容師になる気はなかったが美容学校に通って免許を取得しビザを手に入れた。渡加後におとなしいサラリーマンのご主人と巡り合って結婚し、3人の子供を産み、私がホームステイでお世話になった頃には専業主婦だった。険のある美人で歯に衣着せぬ物言いをする人だった。ややヒステリックな面もあり、緊張感を持って接する必要はあったが、何故か私は昔からそういう女性に取り入るのが苦手ではない。八木家には私以外にも入れ替わり立ち替わり常に1人か2人ホームステイしている若者がいたが、その人たちに関する愚痴を聞かされた記憶がある。
八木邸から職場となったパンパシフィックホテル内のブティックまではバス通勤だった。記憶は朧気だが片道30分程度だったと思う。バイトとはいえ、ほぼフルタイムだった気がする。毎朝バスに乗って職場に向かい、夕方バスに乗って八木家に戻るという生活だった。今思えばワーキングホリデーのワーキングに専念し過ぎずにもうちょっとホリデーの部分を楽しめば良かったと思う。
私がバイトしていたブティックの名前は確かCollections Internationalだったと思う。オーナーのパリスという女性は鮮やかな赤毛の美人だった。同僚の話では彼女は本当はファッションモデルになりたかったのだが身長が思うように伸びず断念したそうだ。確かに身長は170cmにも満たずモデルになるには小柄だが、それ以外は十分モデルになり得る素質を備えていた。彼女はCollections以外にもCelineの専門店をホテル内に一軒とダウンタウンの別のロケーションに一軒経営していた。私は基本Collections勤務だったが、人手が足りない時はCelineのいずれかの店舗にヘルプとして駆り出されることもあった。
ブランド品を扱う店舗だったのでそれなりにキチンとした服装での出勤が求められた。まさかブランド品店で働くことになるとは思っていなかったので日本から持って行った服はほとんどがカジュアルなものだった。現地で仕事用の服を買い足す必要が生じ、痛い出費となった。更に社員割引という悪魔の誘惑もあり、お給料の一部をそのままお店に吸い上げられてしまうこともたまにあった。
そのお店で働いていた時、日本人新婚カップルの団体が来店した事があった。ホテルでのディナーの後にツアーガイドに誘導されるがままゾロゾロ店内に入って来た。店内を物色する銘々のカップルに気を配りながら必要に応じて接客をしていると店の反対側でどよめきがあった。新妻の1人が気を失って倒れたのだ。意識はすぐに回復したが、ホテルの係員が呼ばれ、彼女は店外に運ばれていった。翌日、パリスからカードを渡され、日本語で何かお見舞いの言葉を書くよう指示された。当時のバンクーバーは日本人の観光客が多く訪れていたので同僚たちも片言の日本語は喋れたが、日本語の読み書きがまともにできるのは私一人だったのだ。カードにちょっとしたギフトを添えてホテルのフロントに託した。後日、「カードありがとうございました!」と件の新妻は夫と共に元気な姿を我々に見せてくれた。あの新婚カップルは今頃どうしているだろう。
15年ほど前に出張でバンクーバーを訪れた際、パンパシフィックホテルを覗いてみた。Collections Internationalは跡形もなく消えていた。
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