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他責は言わずもがな、自責もよいものでないという話

どうも、ワイティー(@waithiii)です。

このnoteでは、自責思考・他責思考について考えていこうと思います。志高き紳士・淑女の方々は、マインドセットとして「他責思考ではなく、自責思考をもとう!」と声高に宣言しがちです。

しかし、本当に自責思考は素晴らしいマインドセットなのでしょうか?

私は自責思考や他責思考ではなく、無責思考を推していきたいです。無責任とは意味が違うので、悪しからず。


自責思考と他責思考

自責思考とは「課題が発生した時に、環境や他者を主要な原因として槍玉に挙げるのではなく、自身の思考方法やアプローチに問題があったのではないか」とするマインドです。

一方で、他責思考は言葉通り、「自分に主だった問題があるのではなく、他者や環境など外部要因が原因だ」とするマインドと言えます。いわば、自分以外の誰かのせいにするものです。

確かに自責思考と他責思考を比較すると、「ふむ、自責思考の方が素敵やん。」と思えます。

しかし、この自責思考も他者に強要されると、話は変わってきます。


他者に強要される自責思考

例えば、残業代もろくに出ず、休日だろうが当たり前に出勤を要求される会社を例に挙げます。疲労がたまりパフォーマンスも上がらず、辛い思いをしているが、インセンティブも得られない。

そんな環境下で上司に相談した際に、「いや会社や環境のせいにするんじゃなくて、自分に問題があるんじゃないの?」と一蹴されたらどうでしょう。

「全然ついてへんやん!」の連続だと思います。

このレベル感でなくとも、日常生活でこれよりも小さいレベルでの自責思考の強要は、至る所で散見されます。


他責思考の問題点

では他責思考はどうでしょう?

このマインドセットは、自責思考以上におすすめできません。

他責思考は、十中八九どころではなく、九分九厘九毛、相手にネガティブな印象を与えてしまうでしょう。

誰だって、人や環境のせいにする人間に、優しい言葉をかけたいとは思いません。他責思考は知らぬ間に、自分の首を締めているだけなのに注意が必要です。

「あまりに世の中がポイズンだ!」と思ったときのみ使用しましょう。


第三の思考法 ~無責思考~

自責思考では、他者は救われるが自分が傷つく可能性があり、他責思考では、自分が救われても他者が傷つく可能性があります。(最終的には自分にも返ってくる。)

どちらの思考でも、結局自分が傷つく可能性を拭いきれません。

そこで自責思考でも他責思考でもなく、「無責思考」を推奨したいです。

何か問題が起きたときに、自他含めて誰かに責任を求めようとするのではなく、割り切る心を持ちましょう。もちろん、問題の分析はきちんとしなければなりません。ただ、思い詰める必要などどこにもありません。

失敗は誰かしらがカバーしてくれるものですし、カバーのお礼はいずれ返せば良いだけです。場合によっては、カバーする必要もない小さな問題かもしれません。

そうは言っても、その時は深く落ち込むでしょう。そんな時ほど無責任に「何とかななるべ。うへへい!」と思ってしまえば良いです。

大抵の傷は、時間が経てば塞がります。

ただ、塞がった傷がまた開かないように、次に生かせるようにしましょう。



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