コミュ力に、高いも低いもない。
コミュニケーション能力。
誰しも一度は、
「コミュ力があるのか、それともないのか?」
と自問自答したことがあるのではないでしょうか。
経団連のアンケートによると、企業が選考の際に最も重視している能力だそうです。
基本的にどれも抽象度が高いので、何とも言えないですが、社会で生きていく上で必要とされていることは間違いないでしょう。
実際に集団面接の際に、コミュニケーション能力の高さを全面に押し出している就活生を見かけたことがあります。
ただ、私はいつも思っていました。
「何をもってコミュニケーション能力が高いと言っているのか?」
定量的に示しようがないこの能力について、思想を全面に押し出して考えていきたいと思います。
1. コミュニケーション能力とは
「そもそも、コミュニケーション能力とは何だろうか?」と思いましたので、コトバンクパイセンに伺ってみました。
社会生活において、他者と円滑に意思の疎通が行える能力。
~ コトバンクより ~
物凄く簡潔にまとめられていますが、とても理解しやすいですね。
コミュニケーションという行為でキーになるのは、自分以外に関わる人がいるということですね。
自分以外に、少なくとも1人は誰かいないとコミュニケーションという行為は成り立たないということです。
2. コミュニケーションをとる方法
前項では、「何を今さら言ってるんだ!」というツッコミを受けそうなくらい、当たり前のことを説明しました。
インターネットやそれに付随して発展してきたテクノロジーにより、コミュニケーションをとる方法は多様化しています。
江戸時代ならいざしらず、ざっと挙げるだけでも下記のような方法があります。
・対面
・手話
・手紙
・電話
・伝書鳩
・飛脚
・メール
・メッセンジャーアプリ(LINE,WhatsAppなど)
・ネットワークサービス(Twitter,Facebookなど)
・Web会議サービス(ZOOM,Microsoft Teamsなど)
対面でのコミュニケーションが最もイメージ的には強いですが、数あるうちの1つに過ぎません。
コロナ禍のため、コミュニケーション方法の比重は大きく変化したことでしょう。
今後は、対面でのコミュニケーションが前提というわけではなくなるかもしれません。
3. コミュニケーション能力に高低はあるのか?
結論から申し上げると、そんなものはありません。
高い低いではなく、誰しもコミュニケーション能力はもっています。
私はコミュニケーション能力の高さを自らアピールする人に対して、常々疑問に感じていました。
コトバンクに記載されていたとおり、コミュニケーション能力とは他者と円滑に意思疎通ができる力です。
「自分以外の誰か」がいてはじめて成り立つものなのに、なぜ自ら高いと言えるのでしょうか。
お互いにとって、気持ちの良いやり取りが出来ることによって、コミュニケーションが成り立っていると言えます。
つまり、高いも低いもなく、コミュニケーションが成り立ったか成り立たないかという事実がそこにあるだけです。
私が大学2年生のときに受けていたコミュニケーション論の授業で、とある教授がこんなことを言っていました。
「就活でコミュニケーション能力なんて何のアピールにもならないよ。」
その当時はあまり理解できませんでしたが、今ならよく分かります。
自分一人だと発揮できない能力をアピールしてもしょうがないですし、定量的に示しようもありません。
そして、前項でも述べたとおり、コミュニケーションをとる手段は多様化しています。
対面でのコミュニケーションが苦手だと感じていても、何も問題などありません。
4. 誰もコミュ障ではない
「自分はコミュ障だから。」
とおっしゃる方がいます。
まあ私自身も言ったことはありますが。。
ただ、冷静に考えるとコミュ障など虚像です。
コミュニケーションが円滑にできないということは、相手にも問題があるはずです。
一人じゃ成り立たない行為であるからこそ、自分だけがコミュニケーション能力に乏しいと思い悩む必要はどこにもありません。
もちろん、相手が悪いと言うつもりもありません。
誰しもコミュニケーション能力を持っており、単に得意な方法に差異があるだけです。
私はそんなことをいつも自分に言い聞かせています。
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