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彗星はじめのお話

昨日は夫の誕生日だったのでシャンパンを開けた。誕生日だからって盛大に祝いたい欲求など1ミリもない夫なのでどちらかというと私が率先して家族で行くレストランを予約したりプレゼントやケーキを用意したりしたのだ。いつもとはちょっと違う一日の風を家族に入れたかったから。小さな家族の小さな幸せを感じられたなかなか良い1日だった。

今日、編集者の小山田さんと月一ミーティングをした。Kindle出版をしようと決意してから去年縁あり小山田さんを見つけ、この人ならと思い編集担当をお願いした。

打ち合わせのあと、猛烈に睡魔がやってきて今日の午後はほぼ寝て過ごした。白昼夢の中にいるように体が重いんだか軽いんだかよくわからない。このままずっと寝ていたいような気もするがもう眠ったままの人生は限界だという気もした。世界を変えるには自分で行動するしかないのだという当たり前のことに不意に気がついた。のそのそと起き上がって台所に直行し、冷蔵庫を開けて昨日の残りのシャンパンをグラスに注ぎ1杯ぐいっと飲み干して、パソコンの前に座った。ずるずると書けずにいたエッセイの文章を書き始めた。明日からでなく書くなら今だと思ったのだ。

先月は1ヶ月で1章しか書けていなかったのが、なんだ、一気に2章も書けてしまった。書けなかった理由は色々ある。要するに人の目が怖かった。私ごときが書いて誰が読む?誰にも応援してもらえなかったらどうしよう?自分で出版するなんでカッコ悪いよな。だいたいそんなところである。

自分と対話をしながらエッセイを書くという作業は過去を丁寧に解剖してツーッと垂れる血にもおどおどせずに冷静に俯瞰の視点で観察して、こっちとあっちと、あれとそれの相関関係を整理していくようなものだ。だからあの体験が必要だったのだなということに自分で気づくためなのだ。

過去のあれこれを昇華させるために、静止画としてフレームに収まった時に、「あの日々の光景がどんな荒れ地や暴風雨だったとしても、それはこの世で一番美しい光景だった」と確信するために私はきっと書いているのだ。

最近ある地点に到達した。
私は普通のことを書きたい。私にとって普通の家族のこと。それは誰もが経験するかもしれない家族間の葛藤だったり親世代の重荷や苦しみからくるボタンのかけ違えの意思疎通のこじれだったり、そんな誰にでも当たり前に起こるような人間の葛藤と気づきと学びについての物語。自分にとって普通のことを、でもかけがえのない唯一無二の体験を書こう。

読む価値などないかもしれないし、ひょっとしたらこの世界のどこからの誰かの人生を変えるほどのエネルギーがあるかもしれない。それは誰にもわからないけれど、とにかく表現することに挑戦してみようと思うのだ。

人間のせつなさや、ややこしさ、そして愛おしさを学ぶために、きっと私はこの地球に生まれてきた。イギリスくんだりまで流れてきた。テーマは愛だ。もう人目なんてどうだっていいのかもしれない。心の叫びを一生に一度くらい、心の叫びを表現してみようと思う。

星々が次々と双子座に入ったなんだかこれまでとはもう違うこのタイミングに、日々の雑記を書き連ねるかもしれないマガジンをスタートさせてみました。Kindle出版にまつわる珍道中の経過もまた気が向いたら書いていくかもしれません。出版された暁にはぜひ応援してください。

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