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立ちどまらない少女たち/【小説】 繭の中で本を読む

 日曜日、オンラインでの礼拝を終えたわたしは、いつになく体調良好で、本屋さんにゆこうかな、と考える。

 少し早い昼食に、カップヌードルをすする。オーソドックスな赤いパッケージ。わたし、飲食業界については、まるで詳しくないのだけれど、なんだか日本て、すぐにバリエーションを増やしたがる傾向があるような気がする。時々、新商品開発のドキュメンタリータッチのエンターテインメントを視聴するけれど、そこに登場する人物は、本気で毎週新商品を出すことを考えている。
 それがお仕事だから、と言えば確かにそうなのだけれど、そこまでする必要あるのかな、と考えてしまう。日本の消費者は甘やかされているなあ、と思っちゃう。ううん、とても素晴らしいことだとは思うのだけれど、その情熱はあっていいと思うのだけれど、過剰ではないかな、と感じてしまう。
 消費の変化はなるべく少なくして、それよりももっと大きなうねり、例えば政治や社会に意識を向けるべきではないかな、と考えるんだ。個を尊重するというのは、各々の願望を満たすことではなくて、各々が少しずつ我慢をすることだと思うのだけれど、違うかな。
 売れることは大事だけれど、あんまり個人の欲求を頻繁に刺激しすぎないということも必要なのでは、と思う。
 ううん、これは愚痴だよ。社会の回るBPMの速さに、わたしがついていけないだけ。いつだって長縄跳びに入り込めない自分だ。ころころ変わるものを拠り所にできないだけだ。
 カップヌードルを食べながらこんなことを考えているわたしは、ずいぶんいかれているんだろう。
 スープをひとくち飲む。
 おいしかった。ごちそうさま。

「ザジ〜! 行ってくるね」
 陽だまりで丸くなって眠っているザジは、うんとも言わない。ま、もともと口数の少ない猫ではあるけれど。

 本を買う時、ブックレビューすることも考える。書影をどんな風に撮影しようか、とか。わたしにとって本は、書くための動力でもあるけれど、ちょっと自慢したいアイテムでもある。お気に入りの洋服を着て歩いている時の、ふふん、素敵でしょ、っていう気持ちに近いものを、書籍にも感じる。

 数冊の本を仕入れ、まだ陽の高いうちに部屋に戻る。
 静かな日曜日の午後、陽だまりに合わせて位置を変えながら眠り続けているザジは、変な例えなんだけれど、ドラジェを頬張った時と同じ喜びをわたしの脳内に発火させる。なにこれ、なにこれ、と戸惑いながら、急いで太陽の匂いが染み付いたザジの背中を吸う。
 ザジは迷惑そうに、にゃ、と短く鳴くけれど、動くそぶりはない。それは少しの猶予を与えるという通牒だ。はいはい、邪魔者はすみやかに去りますよ。

 わたしは、買った書籍をとりあえず本棚の手前に重ね、まだ読みかけだった本を手に取る。

 表紙がかわいくって、この本のことを知った時にすぐに予約カートに入れた。それでも、届いてから読み終わるまでには、ずいぶん時間がかかってしまった。それは、ひとえにわたしの体調が悪すぎたからだ。毎日、読書できるコンディションを得たいと思う。

『立ちどまらない少女たち』の第一部は、もう一冊読み進めている本と内容が呼応している。

 わたし、そんなに少女小説や少女漫画を多数、知っているわけではなくて、まだ読んでいない小説、漫画、読んだけれど、内容を忘れてしまっているもの、そういうものが多くあった。

 言及されている、『若草物語』や『赤毛のアン』に感じる憧憬は、リアルタイムの読者とはいささか様相は違うのかもしれないけれど、通底しているものは確かにあって、ああ、わたし、そういうものが描きたいのだ、と思う。だから、きちんと読み直さなければならない。
 図書館で読んだきりのもの、手放してしまっているもの、そういうものがいくつかある。また、紹介されている漫画は、ほとんど読んだことがないと思う。わたしの少女漫画との邂逅は『学園宝島』だったから(いろんな憶測を華麗にスルーして、筆を進める)。

 一冊の本に出会った時、そこから多くの書籍への矢印が見えてくるのがとても好きだ。それを縦横無尽に追いかけていた。もう一度、それをしてみよう。わたしは物語を通り抜けることも好きだけれど、そこで暗に、明に示されている物語にジャンプすることは、とても大きな喜びだ。

『立ちどまらない少女たち』の第二部に吉本ばななの初期作品に言及する章がある。だいたい読んでいると思うけれど、こちらもやっぱり多くの内容を忘れている。それでも、『TUGUMI』の主人公つぐみちゃんは、わたしの初恋の人なので忘れることはない。当時、わたしの体は、まあ、それなりに丈夫だったから、病弱な姿にシンパシーを覚えたわけではない。あの強烈なキャラクターに、ぐん、と惹かれた。お化けの手紙を書く、あの執念に。「パンツくらい、ケチケチすんなよ」というサバサバした感じに(このセリフでわたしは、羞恥の意味を変容できると、心のどこかで了解した)。それと、まりあちゃんの言う、

つぐみは意地悪で粗野で口が悪く、わがままで甘ったれでずる賢い。

ここになぜかノックアウトされた。そして、この箇所を暗唱していた(確かめながら書いたけれど、合ってた)。
 わたしの描くヒロイン像は、多かれ少なかれ、つぐみが影響していると思っている。そういう意味で、<少女マンガ>的であるのかもしれない。

「小説を、書きたいなあ」
 構想はある。タイトルも決まっている。枚数は、原稿用紙換算で400枚まで伸ばしたいと思っている。まだ1文字も書けていないけれど。
 日はすっかり暮れて、ザジはわたしにカリカリの催促をする。トレイにいつもほんの少しカリカリを残しておくのが彼女の癖だ。その残ったカリカリをカツカツと食べるのが、新しい食事の要求なのだ。変わってるなあ、と思う。
「ザジは変わっているねえ」
 わたしの言葉に答えたりしないで、じっと座っている。注がれたカリカリの表面を少し整えてから食べ始める。

 さあ、わたしの夕飯も何にしようか考えなくちゃ。
 コンビニで買っちゃおうかな。新製品、出てるかな。
「って、わたし、すっかり甘やかされて乗っかってるじゃん」
 食品企業の皆さま、手軽でとびきりおいしい食材を日々、届けてくださってありがとうございます。
 コンビニの明かりに誘われるのは、毎回、ちょっとわくわくしちゃうな。

***

立ちどまらない少女たち: 〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ
大串尚代 (著)
出版社 ‏ : ‎ 松柏社

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 今後のラインナップは未定です。
 長い間、この物語を書くことができず、その存在を忘れてさえいました。本屋にゆく途中で、ブックレビューはじめたいなあ、なんて考えていたのでした。家について、はた、と思い出したのです。
 読みかけの本は、そのまま止まっているものが多いです。オーディブルで聴き終わったものがいくつかあるので、そちらは、早い段階で書き起こそう。
 いつかのように、活字に溺れる日々を送ることができますように。

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