ToDo
病院の待合室で詩集を読んでいたら、思考がいくつか耳からこぼれるのを感じた。それはToDoリスト、2020年のめあてだった。
・写真の講座に通う
・詩の勉強を続ける
・noteで月刊誌をつくる
どれもしばらく前から思い描いていたことだけれど、それをこんな風に書きとめたら具体化するのじゃないかと思った。耳からこぼれたように感じたのは、たぶん、思考の絡まりが解けたからじゃないかと思う。わたしはいつも耳が塞がれているような感覚で生きている。耳抜きされたようなこの瞬間、視界がクリアになり滞っていたものの糸口が見つかる。
糸口はわたしに向かってこう語る。
「さあ、はじめましょう。失うものなどないのよ」
にっこりとスマイルマークを作って糸口は消える。
「石川さん」
わたしは、診察に呼ばれる。詩集を手に持ったままで診察室に入る。
今までに何度か投稿したことがあるから、知っている人も多いと思うけれど、わたしは統合失調症と転換性障害という病気を持っているので、定期的にメンタルクリニックに通っている。4週に一度のペースだ。今月は2回目、今年の8月はずいぶんと長い。
「いかがでしたか?」
主治医はいつもの問いかけで問診をはじめる。わたしはこの4週にあったことをかいつまんで話す。
健康診断で要精密検査となり、エコー検査を受けたので、その結果を伝える。総ビリルビンの数値が高かったけれど、それは(診断の時点で予想されていた通り)体質的なものであること。数値が高いことで疲れやすくなったりするのかを聞くと、数値が高いということは肝臓に黄疸が出ていて、すでに疲れている状態だと言われたこと。
そのことを踏まえて、アルバイトのシフトを来月から変えてもらうことにしたこと。
PZCという統合失調症の薬を飲んでいるのだけれど、以前は飲むと眠れなくなったので、朝食後の処方をしてもらっていた。でも今は眠くなってしまうから、試しに夜に飲んでみていること。
主治医は、わたしが薬の飲み方を変えたことを咎めることはしない。
「その薬は眠くなる作用もありますが、気持ちを高揚させる場合もあるので、どちらの可能性もあります。どの時間に飲んでも構わない薬ですから、しばらく夕食後の処方に変えてみましょう」
わたしはそのことを聞いてほっとする。
「本当は朝の時間に物を書きたいんです。でも、疲れもあってうまくできなくて」
「夏の疲れはどうしても出ますから、仕方ないですよ」
医師との問診で病状が解決することはあまりない。薬のデッキ構築のトライ&エラーを繰り返す。それで調子がよくなれば続けるし、ダメなら新しい薬の提案を受ける。そのことは正しいことだと思っている。カウンセリングとは違うから。
このクリニックには心理士もいるので、いつかカウンセリング自体は受けたいと願っている。でもそのことについては、糸口はその口を噤んだままでいる。
他にもいくつかこの先のことについて話をする。4週後の予約を取り、処方箋の確認をして診察を終える。
わたしは、詩集を抱えたままで、ToDoリストのことを考えていた。
・写真の講座に通う
詩の勉強の次に写真の勉強をしたいと考えていた。書籍も買い求め、自分なりの撮影スタイルも見つけることができたけれど、どうしてもしっくりこない。撮影のテーマが見つかっていないのも、ひとつはあるのだけど、その手前の「撮影の所作」のようなものが身についていない。
「たぶん、」
わたしはつぶやく。
「詩でも小説でも写真でも。習わなくてできてしまう優れた人はいるのだろうな。そういう人に芸術は微笑むのかもしれないな」
わたしはそう思うけれど、おこぼれでいいから、その芸術というやつの光に与ってみたい。
だから、格好が悪くてもいい、自分を砕いて学ぶのだ。
「ふうん」
糸口はつまらなそうに言う。なんだよ。
「いいじゃない、そんなに自分を卑下しなくたって。才能なんて咲かせるものよ。遅くなったって、その時、そこに読者はちゃんといるもの」
もう、とっくに枯れているかも。腐っているかも。
「違うでしょ。枯れても腐っても、諦めきれなくて、もう引き返せないんだから学ぶしかないんだよ」
そうだった。普通に、といえば語弊はあるけれど、会社員として働いて、そこに適応できなくて
「諦めきれなくて!」
そう、芸術と呼ばれるようなものに属することを諦めきれなくて、それで病気をも招いて、抗ったと思う。
写真のコンテストにも応募をしたい。それは、純粋に、あるいはとても不純に、賞金のため。まずは、カメラ代とレンズ代を写真で稼ぐことでペイしたい。ストックフォトへの登録も続けるけれど、素材としての写真ではなく、作品としての写真を目指したい。
講師について街歩きができたら、何か見つかるのじゃないかと期待している。それは詩の講座に通うことで得られた感覚だと思う。
・詩の勉強を続ける
このことは、この間のエントリーにある。詩を書くということを捕まえることはできないだろうと思う。でも、詩を書くにあたっての態度というか姿勢というか、いや、布団から抜け出さないまま書いたりするけれど、片膝立ててキッチンで書いたりするけれど、心構え、それも違うな、うーん、なんだろう。
「詩の海を泳ぐ?」
ああ、そうかも。呑まれるんじゃなくてちゃんと泳ぎ、楽しむこと。
楽しいんだよ。詩も小説も写真も刺繍もイラストも全部、ぜんぶ。
・noteで月刊誌をつくる
それで、そういうものを全部詰め込んだ月刊誌を(ひとりで)はじめようと思う。実はベースの下書きはできていて、いくつかのコンテンツを追加すれば、来月にもはじめられるだろう。でも、それだと、きっと途中で息切れを起こしてしまう。
その月刊誌の中には連載小説が含まれる。「オールトの雲」というタイトルで、冒頭はここで読むことができる。
この小説を柱とした月刊誌なので、毎月の連載といきたい。でも、まだ2話の途中までしか書き上げていないのだ。それなのに、見切り発車でスタートしたら確実に原稿を落としてしまうだろう。
2020年のめあて、として思いついた時、それなら間に合うかもしれない、と思ったんだ。そして、こんな風に書き残すことで、後戻りできないようにしようとしている。
「オールトの雲」は一話完結のオムニバス小説で、全12話となっている。その構想だけ、思い浮かんでいる。原稿用紙換算枚数は一話25〜30枚。12話あれば一冊の単行本になるだろう。
ToDoリストのことを考えながら、いつの間にかわたしは自宅に戻っている。
コーヒーを淹れ、飲んでいる。
AirPodsからは羊文学の曲が流れている。最近のお気に入りだ。バンド自体のことはよく知らない。少しずつ、わたしの前に明かされてゆけばいい。
少しずつ、わたしの前に明かされてゆけばいい。
そんな風に、わたしはわたしを主人公にして生きていた。でも、いつかそれはとても傲慢なことのように思い、もっとちっぽけな人間だと考えるべきだ、と声が聞こえるようになった。実際ちっぽけで瑣末な存在だ。でも、でも。
「諦めきれないのでしょ」
治療の甲斐があってなのか、それともかえって進行しているせいなのか、最近のわたしの内側に住む声は、すこぶる前向きに戻った。傲慢で物怖じせず、かしましい。糸口もそんなわたしのイマジナリーフレンズ。
「そうかな。わたしは、あっていいのじゃないかな」
糸口はにっこりと笑う。わたしは、またわたし自身を主人公にする。起きる出来事に意味はなくていい。でも、そこからわたしは物語を紡ぐよ。世の解釈のために用いたりはしない。わたしは世界みたいなものを圧倒的なものだと思っている。わたしの理解の範疇にはない。糸口に触れてもいい。
「キスをしてもいい。でも、わたしはあるから、思いのままにしていいわけじゃない」
にっこりと笑って消える。わたしは、読みかけの詩集を手に取る。
***
<セットリスト>
三角みづ紀詩集
羊文学 "天気予報"
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?