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サイトリニューアルの裏側

体当たりNPO運営記(22) 2017年4月記
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4月24日(月)、森ノオトは4年ぶりのサイトリニューアルをしました。
それに伴い、キャッチコピーは「横浜あおば発・地元のエコ発見メディア」から、「地域で見つけるエコの種」に変更しました。

これまでの森ノオトのweb構築の変遷を振り返ります。
最初のウェブサイトは、2009年11月20日にオープンしました。当初は、青葉台の工務店「ウィズハウスプランニング」の社会貢献事業として、(1)地域コミュニティ拠点「ウィズの森」の情報発信、(2)ウィズの支援するNPO法人農に学ぶ環境教育ネットワークの情報発信、(3)地域情報の発信、この3点を公益性をもたせながらおこなうという使命を受けて誕生しました。当時は、webの立ち上げにかかる費用はウィズさんが持ち、その後の運用も北原まどかが個人事業主としてウィズさんから委託を受けておこなっていました。

2005年秋にフリーランスとして独立したわたしは、当初1年くらいは雑誌が主でしたが、2007年ごろからwebライターの仕事が増えました。特に日経BP社の環境webマガジン「ECOマネジメント」や、生活クラブ生協連合会の「アクションレポート」の創刊ライターとして、月2-3本記事を書くようになり、複数人のチームでwebマガジンを運用していく仕組みを学んでいました。いずれも、編集長がジャーナリズムの世界で活躍してきた方だったので、記事の精度や独立した編集権限に対して強い誇りを持っていました。新入社員で働いていたタウンニュース社でも、第二新卒で入った『チルチンびと』でもそうだったので、わたしはそうした編集方針を当たり前として過ごしてきました。
人生で一度は編集長になってみたい、とおぼろげながら考えていたわたしは、どこかの出版社と仕事をするときも、編集長の仕事や、編集部の仕組みを研究し、自分だったらどのように応用していくかを考えるくせがついていたのかもしれません。

初代の森ノオトのwebサイトは、Movable TypeというCMSで運用しました。CMSとはContents Management Systemという意味で、画像や文章を登録していけばコンテンツ(記事)を配信できる仕組みのことです。ブログもCMSの一種ですが、ブログが登場する以前はHTMLという、web独自の言語を組み合わせなければホームページをつくれず(ソフトもありますが、どうしてもソフトに依存したテンプレートになってしまう)、ブログ登場後、誰でも簡単に情報を発信できるようになりました。
ちなみにわたしは、学生時代の1998年からホームページビルダーというソフトで自分のホームページをつくり、ブログのような日記を書き、ラーメン屋や飲食店のサイトをつくり、「掲示板」をリンクして、まるで個人SNSのようなサイト運用をしていました。その後、digitalstage社のID for WebLIFEや、ブログ、mixi等々、さまざまなシステムを使って個人で情報を発信していたので、そもそも、そういう仕組みを考えたり運用するのが好きなんでしょうね。

ブログに慣れていたので、Movable Typeでのwebの運用は簡単でしたし、当初は自分一人で記事を書き、農に学ぶ。のメンバーから集めた原稿を編集し、更新も自分でして、ひととおり、わたしが楽にできる編集の仕組みを確立しました。ただ、仕事が忙しくなってきたので、2010年5月より、アルバイトで更新のみを担当してくれる人に頼み、「自分でない人が見てもわかる、原稿と写真の入稿方法」をつくりました。CMSのどの枠に、なんの情報を入れるのかを整理し、それを原稿と写真にわけ、一つのフォルダに入れて入稿しました。連絡にはサイボウズLiveを使うことにしました。いちいちメールで原稿類を送るよりも、ファイルとTODOを共有できるやり方のほうが、スムーズだったからです。その後、2010年8月にリポーターがスタートし、メンバーがどんな記事を書きたいのかを把握して、みんなでつくるレシピページや、子育て情報に特化したカテゴリなどをつくっていきました。

2013年1月に森ノオトをNPOとして独立するときに、ウェブサイトのリニューアルを考えました。当時のサイトでは、連載をもっている人しか名前を冠することができず、リポーター一人ひとりを際立たせることができず、カテゴリーごとに決められた枠の中に記事を配分するやり方でした。そのため、ライター別に一覧性を持たせることのできるWordpressというCMSヘ移行することに決めました。
また、独立に際してウェブサイトやコンテンツの所有権を考えたときに、企業からの資金提供でなく、自分のお金でリニューアルをおこなうほうが、今後のためによかろうという判断もありました。

とはいえ、お金は無い無い尽くし。自分で投資できる金額は、50万円がいいところでした。でも、おそらく森ノオトのリニューアルには、150万円くらいはかかるだろうと言われていたので、どうしようと頭を悩ませていたところ、現NPO会員でもある藤崎浩太郎さんから紹介されたのが、当時あざみ野に在住していたWebプランナーの鈴村嘉右さん。彼は大学時代から学内SNSを立ち上げコミュニティをつくり、フリーランスでwebの設計をやりながら、地域貢献活動もアクティブにおこなう方で、森ノオトの低予算のリニューアルも「プロボノでやります」と、快く引き受けてくれました。
デザインは、当時リポーターで今でもデザイナーとして森ノオトを盛り上げてくれているピリカちゃんこと高山えりかさんに頼みました。鈴村さんの緻密な設計と、ピリカちゃんの明るくて華やかで細やかなデザインがいい形でかけあわされて、唯一無二の森ノオトブランドができあがったのです。今、森ノオトに来てくれているメンバーは、全員が「森ノオトの雰囲気が好き」「おしゃれで楽しそう」と言ってくれます。それは、ピリカちゃんのデザインやセンスによるものと、鈴村さんのつくってくださった非常にわかりやすく細かく情報を分類できるシステムのおかげです。森ノオトのウェブサイトを見れば、誰が、いつ、どこで、何をやって、どんな風につながっているのかというデータベースがあり、それを元にわたしも事業を組み立てたり、人と人をつなげたりすることができました。まさにデジタルアーカイブだったのです。

そんな、わたしにとっては完璧なウェブサイトも、この4年の間で、読者の7割がスマートフォンユーザーになったもののスマホ対応ではなく、アクティブな更新ペースで過去記事が埋もれてしまうという難点がありました。森ノオトのよさがデメリットにもつながる状態が歯がゆくもあり、またスタッフも入れ替わり事業も増えたので、より現状の森ノオトに近い形でのリニューアルが必要だという判断をしました。
web業界の人にリニューアルを相談したら、森ノオトのボリュームならば少なくとも250万円はかかると言われて、はてさてどうしようと頭を抱えていたところ、事務局の梶田あゆみさんが以前働いていたweb制作の会社に頼んで、少しでも安くできないか相談してみようということに。森ノオトの創刊から7年、11月に神保町にあるTAMさんにあゆみちゃんと一緒に赴いたときの、「この会社ならば安心して任せられる!」と感じた安堵感と、古巣に仕事を頼めるくらいにいい関係を築いてきているあゆみちゃんの仕事ぶりにも関心しました。リニューアルの予算は今の森ノオトにとってはかなりものもでしたが、椿直樹さんの著書『横浜の食卓』の編集や、環境省の「COOL CHOICE web」で大きなクリエイティブでの売り上げがあったので、どうにか目処が立ちそうだと決断しました。

実際にリニューアルに動き出したのは、今年1月ごろからです。なぜリニューアルが4月24日になったのかは覚えていないのですが、今回のリニューアルのリーダーはあゆみちゃんで、わたしの希望は伝えつつも、過去のコンテンツをまとめたり、発信したいことのコンセプトを詰めながら、リーダーについていく感じで準備をしました。
リニューアル前の一週間で、過去記事を入稿し直す作業を分担しておこないました。わたしとあゆみちゃん、あっこちゃん、なみこちゃん、由美子さんと、応援隊のながたに睦子さん、坂本カオルちゃんの7人で、一週間不眠不休の状態で、「女工哀史」のように入力作業に励みました。一括変換をすれば早いのでしょうが、過去、それによるバグを消しきれないことのほうが多くて、一つひとつ確認しながらのほうが確実で安定しているという判断でした。

大変な作業には、思いもかけぬ効用がありました。それは、若いスタッフも新しいメンバーも、はからずも森ノオトの歴史と向き合うことになったのです。「以前はこんな連載、あったんですね」「2013年のリニューアルのときは、こんな思いですね」「まどかさんも成長しましたね〜(笑)」などなど、過去の森ノオトも「みんなのものになった」のを実感できました。

長々と書いてしまいましたが、webサイトのリニューアルごとに、少しずつ、森ノオトも「チーム」になってきているのがわかりますね。新生森ノオトは、もはやわたしだけでは運用できない規模になっています。これからは「チーム」を意識したプレイを心がけ、わたしはあくまでも選手ではなくバックヤード、監督のつもりでライターやNPO会員さん、みんなの活躍を応援する立場に徹します。

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