【日本のカツ丼第4話】名古屋で味噌カツ丼に出会った
結論:豆味噌とトンカツの相性至高
今まで、ソースカツ丼、タレカツ丼、デミカツ丼について触れました。今回は、味噌カツ丼について書きます。
味噌カツは、名古屋を中心に東海地方で食べられます。東海地方(愛知県、岐阜県、三重県)の味噌といえば、豆味噌が主流です。スーパーで買うお土産といえば、「かけてみそつけてみそ」。トンカツにかけたり、炒め物に使えば日本の回鍋肉、おでんにかけてもよしという、万能調味料です。豆味噌について、別の機会でお話します。
味噌カツ丼
どんぶりにご飯を盛り、豆味噌をベースにした甘辛く濃厚なタレをとんかつにかけます。味噌が主役として君臨し、深みもあり、デミカツ丼に似た味わいです。
矢場とん
味噌カツといえば、矢場とん。雲竜型の横綱をしめた豚のキャラクター、横綱ぶたがお出迎えしています。矢場とんは、名古屋市内だけではなく、東京駅、中部国際空港など29店舗を構える有名な味噌カツのお店です。味噌が苦手な方向けに、ソースもあります。矢場とんは、名古屋旅の最後に名古屋駅新幹線口地下街「エスカ」にあるお店でテイクアウトで味噌カツ丼を注文して持ち帰ることが多いです。味噌カツ丼だけではなく、味噌かつサンドもあります。
店内で食べるなら、鉄板とんかつがオススメです。熱々の鉄板の上にキャベツ、とんかつをのせて味噌ダレをかけます。キャベツも適度に火が入り、やわらかくなり、味噌ダレと絡まってより美味しく味わえます。
味噌カツの歴史
味噌カツは、戦後、屋台で誕生した説が知られています。他に、名古屋市発祥説と三重県津市発祥説があります。名古屋市は、栄にある叶屋、津市は洋食屋のカトレアで誕生したと伝わっています。
戦後の屋台発祥説
終戦直後、人々はお金がなく、食べるものも手に入れることが困難でした。お金を稼ぐために、屋台を始めます。
当時、名古屋の多くの屋台で提供されていた土手煮は、豚や牛のモツを甘辛い味噌ダレで煮込んだ料理。モツは安く、味噌は東海地方で盛んに作られたため、手軽に手に入る食材でした。今でも、土手煮と串カツはおつまみの定番として、居酒屋などで食べられます。
土手鍋の中に串カツをつけたら美味しかったため、広まったと言われています。
名古屋市「叶家」発祥説
叶家は1949年に創業しました。
浅草で蕎麦屋を経営していた創業者が、終戦と同時に名古屋に戻り、お店を開きました。名古屋は、味噌文化のため、味噌を使ったメニューが売れるだろうと考え、開発しました。天丼のタレをヒントに、愛知県の名物である八丁味噌をタレに使い、とんかつにかけたことから、味噌カツ丼が誕生しました。
その後、お客さんとともに味噌カツは発展していきました。味噌カツとご飯が分かれたり、味噌味のカツと言われていたのが、省略されて味噌カツと呼ばれるようになったのは、お客さんの意見を取り入れたり、注文の仕方が口頭で伝わったからです。
三重県津市発祥説
カトレアは、1965年に創業した洋食店。当時の洋食は高級で一般の方にはなかなか食べられない料理でした。創業者が庶民でも気軽に食べられる洋食を目指しました。
日本食に欠かせない味噌とポークカツレツを合わせて誕生したのが味噌カツです。味噌と脂の相性がよいところに目をつけた結果、誕生しました。洋食の出汁であるブイヨンと合わせるなど、洋食の技術をふんだんに取り入れています。
今回は、味噌カツ丼について書きました。家でも、とんかつの上に、「かけてみそつけてみそ」をかけるだけで東海地方の味噌文化について、別の機会で詳しく掘り下げます。
次回、日本で最もメジャーと考えられる玉子とじタイプのカツ丼について、取り上げます。