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毛刈り

大陸由来の致死性感冒が猛威を振るう前までは、各地の動物園に足繁く通って動物を眺めていたものである。今はもう松葉杖無しでは歩けなくなったので、すっかり無沙汰であるが。

そんな動物園行脚の小旅行で、時折ヒツジの毛刈りに出くわす事があった。
出会ったヒツジの多くは、コリデール種と言う長い毛を持つ毛用種のヒツジではなかったかと思う。刈られた毛を実際に触る機会があったが、脂を含むやや湿った手触りだった。
稀にはその刈りたての毛を紡いで、毛糸にする実習を見かける事もあった(大人は参加出来ないのでワタクシは見ているだけだったが)。子供達にとっては良い課外授業では無いかと思う。

ナショナルジオグラフィック誌だったかと記憶しているが、ニュージーランドを自転車で横断するバックパッカーのエッセイを読んだ事がある。そのエッセイの筆者は長旅の途中、幾度か牧場関係者にヒツジの毛刈り勝負を挑まれ、その度に大敗を喫した旨を記していた。毛刈り勝負が終わる度に、エッセイの筆者は周囲からこう言われたそうだ…「諦めろ兄さん。牧場関係者にヒツジの毛刈り勝負を挑んで、勝てた旅行者はひとりも居ないんだから」。

ワタクシは北海道南部のとある農業高校のOBであるが、我が母校でもサフォークダウン種と呼ばれる、顔と四肢が黒い短毛種(肉用)のヒツジを複数飼育していた。年に1度、実習で毛刈りをやっていて(ハサミを用いる素朴な毛刈りであった旨付記する)その光景を実際に生徒会新聞の取材で見た事がある。

その取材の折、教職員がこんな事を言っていた。

「ヒツジの毛刈りを“動物虐待だ、辞めさせろ”と抗議の電話をしてきた人が居る」

曰く、電話の主は「遍く動物が有する通常の換毛時期を無視し、ヒトの都合でヒツジを丸裸にするのは虐待だ!」と言ってきたらしい。

元々ヒツジと言う動物は、ユーラシアの山岳地帯に住むアジアムフロンと言う動物を家畜化したものである。
元々は肉や脂肪を得る目的で飼われていたらしい。
ヒツジと言う動物はその家畜化の過程で、野生動物には珍しくない季節ごとの換毛が、ほぼ存在しないと言う特異な体質を会得した(こうした羊毛用のヒツジの誕生はバビロニア文明に起源があるとされている)。それはつまり、放っておくと体毛が止め処無く伸びて伸びて伸びまくる事を意味する。言わば人間の髪の毛と同じなのだ。
だから定期的に毛を刈り取ってやらないと、特に温暖湿潤な地域では体温を巧く調節出来ず、オーヴァーヒートで死んでしまう事もあるらしい(その所為か、日本では夏の湿度が比較的低い北海道以外であまり大規模な牧羊が巧く行った話を聞かない。本州以南の梅雨由来の湿った夏は、想像以上にヒツジには不向きなようである)。

逆に、寒冷な土地ではこの【伸びっぱなし】の毛が断熱材として大いに役立つらしく、オーストラリアで2021年頃、過去に群れから逃げ出し3年も戻らなかったヒツジをやっと見つけて回収したら、伸びまくった体毛の為に別の動物のような姿になって元気な姿で居たそうである。その時に得られた羊毛の総重量は30㎏にも及んだそうだ。

何でも虐待だ虐待だと騒ぐ“自称”動物愛護家には「せめて抗議の前に対象とする動物の生態くらい勉強して欲しい」とは前述の教職員の弁。
…最も電話の主が、家畜の飼育そのものまで否定しているのだったら、それはまた別問題になるが。

そう言えば、ヒツジとは少し異なるが、アンゴラヤギと言う長い毛を持つヤギが存在する。
このヤギは年に2回毛刈りをする事が可能であり、得られた細い毛を糸に加工して織り上げた織物は【モヘヤ】と呼ばれ、高級織物として名高い。
然しこのモヘア、矢張り動物愛護団体から「ヤギの犠牲の上に成り立つ織物なんてとんでもない!」と言いがかりをつけられ、現在では幾つかのアパレルメーカーで生産中止となってしまった。
この例は、ある意味我が母校に来たヒツジの毛刈りに対する抗議よりも酷いケースでは無いかと思う。モヘヤの材料になるアンゴラヤギの毛は、原産地である中央アジアの各国では重要な輸出品だからである。
アパレルメーカーの関係者も動物愛護団体も、もしかしたらモヘヤを織る時にアンゴラヤギの毛を【刈る】事すら知らなかったのではあるまいか。

無知は罪である。

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