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短編 愛と幻想のゼロ・グラビティ


 僕らは思っているよりずっと孤独なのかもしれない。

これはポストモダン的な内省的な文脈じゃなくて。

人がいなくて、みんな一人で働いてない?って話。

                                     *

次の自動販売機を目指して車を廻りこんで運転席へ急ぐ。

くそ、なんで左車線走らせといて右ハンドルなんだよ。

って、いつもの愚痴を頭の中で繰る。

配達関係に従事したことがある人は分かってくれる。車が左ハンドルだったら、マジで一日に2~30分は節約できる。

ゆっくり運転しながらドアを開けて降りて、車と一緒に走りながら郵便ポストに手紙入れて、またその車に乗って走り出す。

これが理想。

「国産車が右ハンドルなの絶対に政府の陰謀っすよ」

って、助手席に向かって言うと、

「あはは、町田くんそれ好きだねー」

って、返してくれていた牧のじいさんも先月契約満了になって辞めた。
会社は延長したがっていたけど、じいさん持病でもう足が上がんないって。


それからは一人で、城南地区の自動販売機にペットボトルや缶を補充している。

会社は募集かけてるけど、多分もう人は集まらないだろう。ってとこまできて、不意に孤独感が襲ってきた。

わわ、俺この先ずっと一人で仕事し続けるの??


-何が嫌なの?仕事でしょ?
-全然当たり前だから、他もみんなそう。
-ひとりって逆によくない?人間関係なくて。


わかる。言いたいこと分かるけど、問題はそこじゃない。


映画「ゼロ・グラビティ」で味わえるサンドラ・ブロックの孤独感や絶望的。
宇宙空間に一人放られるときの圧倒的無力感。そのことを言っている。


もちろんあんな状況に現実なるわけない。でも、ひとりってそういうことじゃん。なんかあったら、全部一人で立て直すわけ。

同僚や上司もいるよ?そりゃ。けど、みんながジョージ・クルーニーなわけない。

命懸けで助けてくれないし、
大丈夫?って後で声かけてくれるだけだし。声かけがあることがマシな方だし。


そういう穿った目で周りを見るとなんかみんな一人で働いてるように見える。マジでみんな黙々とやってる。

                                 *


何か大きなものに庇護されたいと願うのはヒトの先天性か。生来の危機管理能力が所以なのか。

碇ゲンドウみたく、もっかいみんなでひとつに戻りたーい。という気持ちに到るのは必然なのか。

なるほど狩猟を捨て稲作を始めた先祖の気持ち、めっちゃ実感する。

こんな風に一人でいたら、そのうち俺は狩猟へと回帰し、「愛と幻想のファシズム」のトウジようなカリスマになってしまうかもしれない。危ない。危ない。もててしまう。

そんな危惧をよそに、配送車のフロントガラスには秋の空が控えめに広がっていた。






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