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面白い文章の書き方なんて知ってたら誰にも言わずに実行しとるわ!

 過去の記事を見ていると、「さよならモラトリアム」以外は割と好きな曲の歌詞をタイトルにしてる記事が多いな。ブログか! もうちょっと他人様に見せることを想定して書けよ私。
 でも冷静になって考えてみると、ブログだって決して完全にプライベートな物じゃなくて、他人様に見せることを意識して書く文章ではあるよな。
 取り敢えず、これ以降の目標として歌詞タイトル止めます。過去に書いた歌詞タイトルの記事もタイトル変えました。でももしかしたらまた歌詞タイトルやっちゃうかもな。

 そんなことはさておき、文章を書く上で、読み手を意識するというのは大事なことである。書き手が何を書きたいか、を考えることは大事だが、書きたいものばかり考えていてはよくないな、と思う。
 私の場合、その代表的なものが学生時代に書いて駄々滑りした脚本だったのではないかと考えている。その時の自分が書きたかったものを、誰の目も気にせずに書いた。
 しかし、それはひどく拙いものだったし、当時から部内であまり良い印象を持たれていなかった私の気持ちを買おうとする人間は誰もいなかった。その結果、この脚本と私は我が演劇部の「黒歴史」になった。

 もちろん、ここで言うところの「読み手」というのは読者に限らない。先程「小説」ではなく「脚本」を例に挙げたのはそういうことである。
 文章で読んだ時に面白いものと、実際に声に出してみたときに面白いものは違う。文章を読んだだけでは伝わらない面白さがある。
 文章として書いて、頭の中で想像したときはめちゃくちゃ面白かったのに、実際に読んだり演じたりしてみるとそんなに面白くないな、と思うことがよくあった。
 何だったら、下手をすれば「すごく発音しづらいな」ということさえあった。そこまで行くと流石にひどいな、とは思うけど。

 そういう訳で、やっぱり文章を書くときには、その裏には自分が書いたものを読む人間がいて、それを気にしなければ受ける文章は書けない、ということを思ってしまうのである。
 もちろん、時には「私はこういうものが書きたい!」と思って誰の意見も聞かずに暴走することもあるけど。そう言う作品って後で読み返すと「あの時の私は何が書きたかったんだ!?」ってなるのよ。

 さて今日の記事、何が言いたかったかというと、4日で10本考えたショートシャンクが全然読まれませんでした。久しぶりに書くと滅茶苦茶難しいよね。
 しかしながらショートシャンクで疲れてしまって他の文章が全然書けていません。気がつけば10日開けてしまって本当にすみませんでした……バカか! つづく。


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